詩篇に楽しもう 08 
『詩篇第127篇』 詩篇第127篇 
  
詩篇150篇のうち、ソロモンを表題に含むのは二つあります(第72篇と第127篇)。 
いずれも、ソロモンが作者であることは?です。 
内容がソロモン的な詩篇と考えたほうがいいでしょう。 
  
1節から2節にかけて、「・・・はむなしい。」という、むなしさを強調するかのような表現が3回繰り返されます。 
しかし、ここはむなしさの強調ではありません 
「確かに生きている神様は、あなたの家を建ててくださる。 
確かに生きている神様は、あなたの町を守ってくださる。 
確かに生きている神様は、あなたの仕事を支えてくださる。」 
これが、この箇所の主題です。 
むなしさの強調ではなく、生きて働く神様とともにいる充実を賛美しているのです。 
  
また、私たちは眠らなければ死んでしまいます。 
神様は私たちに眠りを与えて、休息と新しい力を与えてくれるのです。 
そして、私たちが眠っている間にも、休まず、眠らず、私たちを支え続けてくれるのです。 
  
見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。(3節) 
現在、女の人が妊娠すると、「赤ちゃんができた」と言うことが多くなりました。 
しかし、ひと昔前はそうではありませんでした。 
では、何と言っていたのでしょう。 
それは、「赤ちゃんが授かった」です。 
おなかの中の赤ちゃんは、神様からのプレゼント、神様からの授かりものなのです。 
  
妊娠したお母さんは、今日は子どもの腕を作ろうとか、明日は子どもの心臓を作ろうとか考えることはありません 
おなかの中で新しいいのちが造られるとき、人間が細工して何ができるわけでもありません。 
また、何かすることも要求されません。 
いのちのはじめから、神様は私たちを見ているのです。 
もちろん、神様を信じているかいないかなどの区別はありません。 
そして、神様はただ見ていただけではありません。 
一人一人を別々に、個性を与えて、大切に大切に愛して造ってくれたのです。 
  
若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。 
幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。 
彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。(4-5節) 
子どもは神様からの愛のプレゼントです。 
神様からの愛のプレゼントを、愛のプレゼントとして、しっかりと握っている人は幸いです。 
そして、矢筒に矢が満たされているように、家族に子どもがたくさん与えられた人は、本当に幸いです。 
彼らは、神様の愛のプレゼントをたくさん受け取ったのです。 
神様の愛を、心から認めて受けることができるからです。 
神様の愛に満たされている人は、どんな状況でもイキイキと生きていけます。 
  
では、子のない人達はダメなのでしょうか。 
もちろん、そうではありません。 
誰でもはじめは子どもでした。 
また、誰でもはじめは母の胎の中にいました。 
当たり前のことですが、大切な真実です。 
ということは、私たちはみんな、神様からの愛のプレゼントとして生まれてきたのです。 
誰でも大切な神様の宝物なのです。 
一人一人別々の光を輝かせる宝石なのです。 
  
今日ここで誕生会をするはなえちゃん(4歳・ゴスペルハウスメンバー)は、今日は誰よりも光り輝いて見えます。 
いえ、確かに光り輝いています。 
はなえちゃんは、今日というこの日の主人公です。 
生まれて1463日目、今日は喜びの日です。 
ご家族にとっても、私たちゴスペルハウスにとっても、とても嬉しい日であります。 
  
神様の目から見たら、私たち一人一人が輝いています。 
神様のことをどれくらい知っていようがいまいが、神様をどれくらい信じていようがいまいが、そんなことは問題ではありません。 
大切なのは、神様に造られ、神様に愛されていることです。 
そして、確かに私たち一人一人は、神様に造られたのです。 
誰ひとり例外はありません。 
そう、あなたは神様に愛されているのです。 
  
  
あなたは、神様がこの世に贈ったプレゼントです。 
おなかの中にいるときから、大切に愛されたプレゼントです。 
今日、それは神様があなたを喜ぶ日。 
そして、あなたがあなたを喜ぶ日です。 
あなたは最高の宝石です。 
あなただけの輝きを、この地で光らせましょう。 
  
あなたのためにお祈りしています。 
  
(写真は、誕生会のはなえちゃんです) 
  
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