57   詩篇 第127篇 (詩篇に楽しもう08 2006.09.30第二礼拝)
詩篇に楽しもう 08
『詩篇第127篇』 詩篇第127篇
 
詩篇150篇のうち、ソロモンを表題に含むのは二つあります(第72篇と第127篇)。
いずれも、ソロモンが作者であることは?です。
内容がソロモン的な詩篇と考えたほうがいいでしょう。
 
1節から2節にかけて、「・・・はむなしい。」という、むなしさを強調するかのような表現が3回繰り返されます。
しかし、ここはむなしさの強調ではありません
「確かに生きている神様は、あなたの家を建ててくださる。
確かに生きている神様は、あなたの町を守ってくださる。
確かに生きている神様は、あなたの仕事を支えてくださる。」
これが、この箇所の主題です。
むなしさの強調ではなく、生きて働く神様とともにいる充実を賛美しているのです。
 
また、私たちは眠らなければ死んでしまいます。
神様は私たちに眠りを与えて、休息と新しい力を与えてくれるのです。
そして、私たちが眠っている間にも、休まず、眠らず、私たちを支え続けてくれるのです。
 
見よ。子どもたちは主の賜物、胎の実は報酬である。(3節)
現在、女の人が妊娠すると、「赤ちゃんができた」と言うことが多くなりました。
しかし、ひと昔前はそうではありませんでした。
では、何と言っていたのでしょう。
それは、「赤ちゃんが授かった」です。
おなかの中の赤ちゃんは、神様からのプレゼント、神様からの授かりものなのです。
 
妊娠したお母さんは、今日は子どもの腕を作ろうとか、明日は子どもの心臓を作ろうとか考えることはありません
おなかの中で新しいいのちが造られるとき、人間が細工して何ができるわけでもありません。
また、何かすることも要求されません。
いのちのはじめから、神様は私たちを見ているのです。
もちろん、神様を信じているかいないかなどの区別はありません。
そして、神様はただ見ていただけではありません。
一人一人を別々に、個性を与えて、大切に大切に愛して造ってくれたのです。
 
若い時の子らはまさに勇士の手にある矢のようだ。
幸いなことよ。矢筒をその矢で満たしている人は。
彼らは、門で敵と語る時にも、恥を見ることがない。(4-5節)
子どもは神様からの愛のプレゼントです。
神様からの愛のプレゼントを、愛のプレゼントとして、しっかりと握っている人は幸いです。
そして、矢筒に矢が満たされているように、家族に子どもがたくさん与えられた人は、本当に幸いです。
彼らは、神様の愛のプレゼントをたくさん受け取ったのです。
神様の愛を、心から認めて受けることができるからです。
神様の愛に満たされている人は、どんな状況でもイキイキと生きていけます。
 
では、子のない人達はダメなのでしょうか。
もちろん、そうではありません。
誰でもはじめは子どもでした。
また、誰でもはじめは母の胎の中にいました。
当たり前のことですが、大切な真実です。
ということは、私たちはみんな、神様からの愛のプレゼントとして生まれてきたのです。
誰でも大切な神様の宝物なのです。
一人一人別々の光を輝かせる宝石なのです。
 
今日ここで誕生会をするはなえちゃん(4歳・ゴスペルハウスメンバー)は、今日は誰よりも光り輝いて見えます。
いえ、確かに光り輝いています。
はなえちゃんは、今日というこの日の主人公です。
生まれて1463日目、今日は喜びの日です。
ご家族にとっても、私たちゴスペルハウスにとっても、とても嬉しい日であります。
 
神様の目から見たら、私たち一人一人が輝いています。
神様のことをどれくらい知っていようがいまいが、神様をどれくらい信じていようがいまいが、そんなことは問題ではありません。
大切なのは、神様に造られ、神様に愛されていることです。
そして、確かに私たち一人一人は、神様に造られたのです。
誰ひとり例外はありません。
そう、あなたは神様に愛されているのです。
 
 
あなたは、神様がこの世に贈ったプレゼントです。
おなかの中にいるときから、大切に愛されたプレゼントです。
今日、それは神様があなたを喜ぶ日。
そして、あなたがあなたを喜ぶ日です。
あなたは最高の宝石です。
あなただけの輝きを、この地で光らせましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。
 
(写真は、誕生会のはなえちゃんです)




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