あなたへのラブレター 14
『事実どおりに』 1テサロニケ 2:13
テサロニケ人への手紙は、パウロの3週間の滞在により誕生したテサロニケ教会への手紙です。
パウロは、ユダヤ人たちの迫害・妨害によって、テサロニケを立ち退かざるを得ませんでした。
でき上がったばかりの教会が心配のため、パウロは同行者テモテを送り、状況や問題点を聞いたうえで、この手紙を書きました。
つまり、若い教会のための、パウロからの手紙なのです。
若い教会という点では、サンパウロ・ゴスペルハウスに状況は似ていますね。
今週はこの箇所から、神様の言葉・人間の言葉・悪魔の言葉に焦点をあてて、御言葉を開いていきます。
毎週の礼拝メッセージ準備の中で、まず、私は神様からメッセージを受けます。
それはまさに、完璧なメッセージです。
そして、礼拝のときに、それを皆さんにお分かちすることになるのです。
ですから、私は神様に願っていることがあります。
「私はあなたのメッセージを聞きました。
でも、私の耳も私の口も不完全です。
ですから、私の語った言葉も不完全になってしまいます。
だから、聴いている人の耳に届く1cm前に、私の語った言葉を神様の思うとおりに修正してください。」
神様の言葉は、力ある言葉、確かな言葉、創造の言葉、愛の言葉です。
神様は言葉だけでこの世界を造りました。
しかし、人間の言葉は、不完全な言葉、不確かな言葉、弱い言葉なのです。
そして、悪魔の言葉には、それなりに力があります。
私は高校生のときに、腰をひどく痛めたことがありました。
しかし、ヨットの全国大会が迫っていたため、悪魔と取り引きしたのです。
私の魂と引き換えに、腰を癒してくれという取り引きです。
腰は完全に癒され、それから22歳でヨットの選手を辞めるまで、一度も再発しませんでした。
私は、悪魔に癒されたのです。
しかし、悪魔の言葉は、私たちを破滅へとみちびく言葉です。
私たちを神様の愛から離そうとする言葉です。
そのためには、神様の言葉さえ利用することがあるのです。(創世記3章)
神様の言葉を誤解・曲解させるように仕向けるのです。
本来、愛の言葉・解放の言葉・自由の言葉であるべき神様の言葉が、悪魔によって呪い・縛りに感じるようになりかねないのです。
これが、悪魔の手口です。
もし、あなたが聖書の言葉によって束縛を感じたなら、それは聖書の解釈が間違っています。
イエスさまの十字架によって、解放の宣言をしましょう!
私は悪魔に癒され、ヨットの選手を辞めた後、次第に心が重くなっていきました。
悪魔との取り引きに、心が縛られていたのです。
しかし、30歳のときイエスさまに出会い、イエスさまの十字架によって解放の宣言をしました。
それ以来、悪魔は取り引きについて何も抗議してきません。
イエスさまの十字架は、私たちのすべての債務を負っているのです。
私たちは、人間の中に生きています。
不確かな人間の言葉の中に生きているとも言えます。
人間の言葉には、いい言葉もありますが、そうでない言葉もあって、傷ついたり傷つけたりを繰り返すことになります。
また、そんな私たちを、悪魔は虎視眈々と狙っているのです。
だからこそ、私たちは、神様の言葉に触れ続ける必要があるのです。
不確かな言葉に埋没するのではなく、確かな神様の言葉を受け続ける必要があるのです。
そして、御言葉を事実どおりに神様の言葉として受け取る必要もあります。
聖書は、確かに神様の言葉です。
でも、聖書の記述者も、また翻訳者も不完全な人間なのです。
そして何よりも、読む私たちも、もちろん不完全な者です。
そうしたら、解釈などに間違いがあって当然です。
加えて、悪魔の妨害もあるのです。
神様の言葉を、きちんと事実どおりに受け取るのは、私たちだけでは至難のわざなのです。
そこで神様の出番です。
神様によって、耳や目を整えてもらうことが必要です。
神様なしに真理はわかりません。
そして、神様は、「助け主は求める人には与えられる。」と約束しているのです。
聖書の言葉は、神様の言葉です。
私たちのために、ひとり子イエスさままでを殺した愛の神様の言葉です。
神様は、あなたを愛してこの言葉を発しました。
テサロニケの人達が神様の言葉を受け入れたとき、パウロはどんなに嬉しかったでしょう。
なぜなら、パウロは神様の言葉の力といのちを知っていたのですから。
彼は、自分への賞賛ではなく、神様の栄光を求めていたのです。
神様の言葉を、事実どおりに、神様の言葉として受け入れましょう。
そのとき、神様の言葉はあなたの中で、いのちある言葉としてイキイキと働き出します。
神様の言葉がいのちを創造したように、あなたの言葉がいのちの輝きを表すのです。
あなたの人生を、いのちの輝きで満たしましょう!
あなたのための祈りしています。
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