67   詩篇 第103篇 (詩篇に楽しもう11 2006.11.19)
詩篇に楽しもう 11
『詩篇 第103篇』 詩篇 第103篇
 
私が始めて人前で聖書のメッセージをお伝えしたのは、1996年9月のことでした。
クリスチャンになって半年経った頃、青年会でのご奉仕をさせてもらったのです。
そのときの聖書箇所が、今週の聖書箇所と同じ、詩篇第103篇でした。
ですから、10年ぶりに同じ箇所からのメッセージということになります。
 
私たち人間は、不平不満は繰り返し言えます。
また、愚痴や自慢話など、他人にマイナスの感情を与えるものは、やたらと繰り返してしまうものです。
それに対して、感謝は繰り返し言いにくく、また、実際、繰り返し言わないものです。
他人にプラスの感情を与えるものは、意識しないと繰り返しにくいようです。
 
また、他人から受けた非難や批判などのネガティブな反応は、いつまでも覚えています。
しかし、ほめられたことや感謝されたことなどはすぐに忘れてしまいがちです。
お気に入りの洋服を着て街に出かけたとしましょう。
そこで出会った5人の人にほめられたとしても、6人目の人にけなされたとしたら、家に帰ったときに覚えているのは、けなされたことだけです。
 
私はこのような姿(自分を含めて)を見るときに、罪ある不十分な人間の姿をまざまざと見せ付けられた気がします。
罪ある人間の問題なのか、サタンの策略なのか、私たちはこういう傾向にあるようです。
マイナスの感情(言葉)は人の心に刺さり、簡単には抜けません。
しかし、プラスのものは一過性のようです。
 
私たち夫婦は新婚当初、ケンカばかりしていました。
マイナスの感情が消えないので、翌日も、その次の日も同じことでいがみ合ってしまうのです。
相手に感謝すべきこともいっぱいあるのに、たった一つのことで延々とケンカできる夫婦でした。
 
さて、今週の聖書箇所はこういいます。
わがたましいよ。主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。(2節)
辛かったことや悔しかったことは、何一つ忘れないことも簡単です。
しかし、良くしてくださったことを何一つ忘れないでいるのはは難しいことです。
 
私の聖書ケースには、1枚のカードが入っています。
ハワイの教会時代に、1人の若い伝道師が私たちにカードを渡し、勧めてくれたのです。
「神様の良くしてくださったことを何一つ忘れないように、このカードに神様が良くしてくださったことをひとつひとつ書きましょう」
自殺の淵から救われたばかりの私は、喜んでカードに記入しました。
そして、このカードに残そうという呼びかけが、私の最初の説教のメッセージだったのです。
 
それから10年、神様は私に新たなプレゼントを用意してくださっていました。
それは、「神様は、恵みと祝福を忘れないためのキーを私たちにくれる」ということです。
 
長男のはれるは、医者に妊娠は不可能だと宣言された後に授かった子どもです。
ですから、いのちの源である神様が、私たちのために与えてくれた子どもということを、いつも思い起こさせます。
次男タリタ・三男ホサナも、それぞれの理由で神様の愛を思い起こさせます。
また、私はハワイという言葉を聞くたびに、神様への感謝があふれます。
他にもたくさんの祝福へのキーを神様は私に与えてくださったのです。
このキーをしっかりと握ることで、私たちは祝福から引き離されにくくなります。
 
そして、もう一つ大切なことは、マイナスの感情を忘れることです。
これは、神様の力によって可能です。
マイナスの感情からの解放を願うのです。
不本意な事実は、消すことはできませんが、その経験は恵みに変えることもできます。
しかし、それにともなうマイナスの感情は、私たちには必要ありません。
 
私たちの夫婦ゲンカをとめたのは忘れることでした。
「神様、忘れる能力をください。」
私が神様に祈ると、神様はすぐに、それをかなえてくださいました。
それからというもの、私はケンカしても、翌朝、目が覚めたときには、ケンカの原因を忘れているのです。
妻も、相手が内容すら忘れてしまっているので、ケンカしようがありません。
こうして、我が家に平和が与えられたのです。
 
ただし、私のようにうかつに祈るのは注意が必要です。
「神様、忘れる能力をください。」という私の祈りを、神様は誠実に聞いてくださいました。
それからというもの、物忘れがひどくて仕方がないのです。
ですから皆さんは、マイナスの感情からの解放を明確に祈ってください。
私のように、必要なことすら忘れてしまわないように。
しかし、私は、それには代えられないほどの恵みも与えられたので、ハレルヤです。
 
大切なことは3つです。
神様の良くしてくださったことを忘れないこと。
祝福のキーをしっかりと握ること。
マイナスの感情から解放されること。
 
そのとき、3節以下に書いてある現実があなたのものになるのです。
素晴らしいことが書いてありますが、ごく簡単に要約すれば、こうなります。
「あなたがどんな状況にいても、どこにいても、どんな時でも、そして、あなたがどんな人であっても、神様の愛はあなたに注がれている。」
しかも、その愛は惜しみなく、あなたの人生を満たすまでに注がれるのです。
あなたに愛を惜しみなく注ぐため、イエスさまのいのちさえ捧げた神様の決意を持った恵みです。
あなたは、神様の愛が存分に注がれた、神様の宝物としての人生を歩んでいいのです。
 
もしあなたが、神様が良くしてくださったことを忘れても、マイナスの感情に振り回されても、神様の愛は変わらず降り注ぎます。
イエスさまの十字架の愛は、すべての人のものだからです。
しかし、マイナスの感情に振り回されていると、その愛に気がつかないのです。
宝物としての人生を手に入れてるにもかかわらず、気がつかないのです。
気がつかなければ、それを自分のものにはできません。
それでは、神様の宝物なのに、自分の価値に気がつかないで過ごすことになってしまいます。
 
私は、初めてのメッセージのときに、私がされたように、カードを配りました。
古くからの知り合いの方は、まだ、持っていらっしゃるかも知れませんね。
それから10年後の今日、私は原点に返って、またカードを配ります。
どうぞ、神様が良くしてくださったことを書いてみてください。
あなたに与えられた、神様の愛を振り返ってみましょう。
 
あなたは神様に愛されています。
あなたへの神様の恵みを数えてみましょう。
恵みを思い出すための、祝福のキーを持ちましょう。
マイナスの感情から解放されるために。
そして、あなたが神様の宝物として生きるために。
 
あなたのためにお祈りしています。



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