詩篇に楽しもう 12
『詩篇第34篇』 詩篇第34篇
今週の詩篇は、次の言葉で始まっています。
私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。(1節)
いつも神様をほめたたえるという詩篇で、主題は、先週の箇所と同じです。
先週は、3つのポイントをお話しました。
・神様の良くしてくださったことを忘れないこと。
・祝福のキーをしっかりと握ること。
・マイナスの感情から解放されること。
今週は、さらにもう一つの要因を解き明かしていきたいと思います。
ダビデによる。彼がアビメレクの前で気違いを装い、彼に追われて去ったとき
この詩篇の表題には、こう書いてあります。
第1サムエル記 21:10-15の内容に対応しての詩篇ということです。
第1サムエル記第21章は、15節しかないので、ぜひ一度読んでください。
そこにはこう書いてあります。
ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。
それでダビデは彼らの前で気違いを装い、捕えられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。(1サムエル 21:12-13)
ダビデはこの演技を、神様の知恵でやったわけではありません。
ガデの王を恐れ、自分の知恵でしただけなのです。
大男のゴリヤテに、たった一人で立ち向かい、彼を倒した男と同一人物とは思えない行動です。
ゴリヤテを倒したとき、彼は神様だけを武器に立ち向かいました。
ダビデは神様が守ってくれ、戦ってくれることを知っていたのです。
しかしこのとき、ダビデは神様の守りも神様の力も忘れていました。
神様はダビデに、祝福のキーを与えています。
祭司アヒメレクのところには、ゴリヤテの剣があったのです。
ゴリヤテの剣、それは、神様の力を思い出すのに十分な祝福のキーです。
しかし、ダビデはその祝福のキーを握らず、自分の知恵・自分の感情に頼ってしまったのです。
ふつう、こういうときには失敗するはずです。
ダビデは、主の良くしてくださったことを忘れています。
そして、ゴリヤテの剣という祝福のキーを見逃しています。
また、マイナスの感情に振り回されているのです。
先週のメッセージから言えば、いちばん悪い状態、祝福を受けにくい状態です。
しかし、ここで大切な事実があります。
それは、神様は、因果応報の神様ではないということです。
「・・・だから、・・・である。」ではないのです。
「失敗したのだから、見捨てられる。」とはならないのです。
私たちの神様は、「にもかかわらず」の神様です。
神様の愛は、「・・・にもかかわらず、・・・である。」なのです。
「失敗したにもかかわらず、そこに働き守ってくれる。」神様です。
「裏切ったにもかかわらず、完全な赦しを与えてくれる。」神様です。
「疑ったにもかかわらず、何もできない私たちにもかかわらず、見捨てない。」神様なのです。
私たちは、神様を知りました。
神様の正しさを知ってしまったのです。
その分、自分自身の醜さを知るようになってしまいました。
だから、失敗すると絶望できます。
自分自身を見放すこともできます。
しかし、そのときこそ、「にもかかわらず」の神様に出会うチャンスなのです。
絶対に見捨てない神様、絶対の赦しを持った愛に出会うチャンスなのです。
ダビデは、アキシュのもとから去った後に、自分自身の醜さに絶望したはずです。
そして、そのとき、「にもかかわらず」の神様に出会ったのです。
ですから、次のように賛美をできるのです。
主のすばらしさを味わい、これを見つめよ。
幸いなことよ。彼に身を避ける者は。(8節)
正しい者の悩みは多い。
しかし、主はそのすべてから彼を救い出される。(19節)
正しい者の悩みを、自分の力で解決せよとは言っていません。
強い信仰と、強靭な精神で乗り切れということではないのです。
イエスさまは、自力で解決できない、弱く醜い私たちを救うために来たのです。
自分の力・信仰・誠実に絶望し、神様に助けてもらうことが重要なのです。
そのとき、ダビデのような、賛美の生活が始まります。
私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。(1節)
先週の3つのポイントは大切です。
しかし、それ以上に大切なこと、それは、生きた神様が人生に働くことです。
理論や方法・説明ではありません。
生きて働く神様、「にもかかわらず」の神様に出会うことです。
そのとき、真っ暗な絶望の中にも、目もくらむほどの光あふれる人生が始まります。
「にもかかわらず」の神様いる限り、失敗や絶望は、そこで終わることはないのです。
さあ、光の中を歩みましょう。
あなたは、「・・・だから、しかたがない。」と、あきらめなくていいのです。
あなたの神様は、「にもかかわらず」の神様です。
あなたは、失敗してもいいのです。
絶望してもいいのです。
世界中があなたを見捨てても、「にもかかわらず」の神様は見捨てません。
失敗も、絶望も、神様の祝福への1つの入り口なのです。
あなたのための祈りしています。
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