72   宿屋のクリスマス (クリスマス2006-01 2006.12.23 第一礼拝)
クリスマス2006 01 2006.12.23-1
『宿屋のクリスマス』 ルカ 2:1-7
 
クリスマスおめでとうございます。
クリスマス、それは、神様の愛の証拠であるイエスさまの誕生を喜ぶときです。
イエスさまの誕生には、さまざまな人々が関係しています。
今年のクリスマス礼拝は、3回に分けて、3つの視点からクリスマスを解き明かしていこうと思います。
 
まず第1回は、「宿屋のクリスマス」です。
この箇所を読むと、イエスさま誕生のための場所は用意されなかったことがわかります。
マリヤは当時14、5歳だったといわれています。
14、5歳の妊婦が、出産間近だというのに、きっと陣痛も起こって苦しがっていただろうに、誰も部屋をかわってあげなかったのです。
 
皇帝の命令による人口調査のために、ベツレヘムはごった返していました。
宿屋はどこも超満員、ヨセフとマリヤのための場所はなかったのは仕方がありません。
しかし、陣痛が始まったら、・・・・・周りの人はどうするでしょう?
あなたが当事者だったらどうしますか。
宿屋の主人が何かしないでしょうか。
また、他の宿泊客が何かしないでしょうか。
しかし、現実は、誰も、何もしなかったのです!
まったく歓迎されない中での、救い主の誕生です。
 
これは、2000年前だけに起こった出来事ではなく、私たちにも起こる事柄です。
イエスさまを受け入れる前の、私たちの心の中もそうだったのです。
さまざまな思いや価値観でいっぱいになっていて、「よいことかも知れない」と思いながら、神様からのストレートな愛の表現を受け止められなかったのです。
 
でも、この箇所は「あなたの心はどうですか!」という責めのメッセージではありません。
 
出エジプトのときに見せた神様の力を思い出してみましょう。
神様は、約束の民を救い出すために、エジプトに10の災いを起こしました。
10番目の災いでは、エジプトのすべての初子を殺すということまでやってのけた神様です。
ですから、宿屋の一つくらい簡単にあけることができたはずです。
「主は宿屋にいたものを打たれた。それで、マリヤは安心して出産することができた。」という記述も可能だったはずです。
でも、神様はそうしませんでした。
ここに愛があるのです。
 
誰にも受け入れてもらえないにもかかわらず、ひっそりと、しかも、しっかりとたくましく生まれた救い主。
これがクリスマスの愛です。
神様は、誰も責められることを望まないのです。
その神様の愛の証拠が、赤ちゃんイエスさまの誕生なのです。
 
このクリスマスの愛は、私たちの人生にも注がれています。
私たちが神様を受け入れる前から、私たちのために用意されていたのが救い主・イエスさまなのです。
ひっそりと、しかし、しっかりと神様の愛は私たちの人生に与えられているのです。
 
クリスマスの神様の愛。
それは、あなたが受け入れていようがいまいが、変わることのない愛です。
たとえあなたが受け入れなくても、神様の愛はあなたにプレゼントされています。
あなたの心が他のものでいっぱいでも、クリスマスの愛は、ひっそりと、しかし、しっかりとあなたの心に生きているのです。
 
あなたの素敵なクリスマスのためにお祈りしています。



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