3   ヨセフのインマヌエル (インマヌエル02 2008.01.12 第1礼拝)
シリーズ インマヌエル 02
『ヨセフのインマヌエル』創世記 39:1-6,20-23
 
先週は、ヤコブの話でしたが、今週はその息子ヨセフのインマヌエルです。
先週は、『あなたがどんな人間であっても、神様はあなたとともにいる。』が主題でした。
父ヤコブと同じように、ヨセフも家族から離れ、異国で一人ぼっちになりました。
このとき、神様がともにいるという経験をしたのです。
ただし、ヤコブのときのように、自業自得や因果応報という言葉とはイメージが違います。
 
創世記第39章は、神様がヨセフとともにおられたということを記述しています。
1-6節と20-23節は、ともに同じ内容を表しているといっていいでしょう。
それは4つの内容に要約されます。
「神様がヨセフとともにおられること」(2,3,21,23節)
「神様がヨセフのすることをすべて成功させて下さること」(3,23節)
「ヨセフが主人の好意を得ること」(4,21節)
「主人がヨセフの手に最大限のものを任せること」(4-6,22-23節)
 
こうやってみると、一見、ラッキーな人生のように感じます。
しかし彼は、兄たちによって奴隷として売られ、主人の妻によって牢獄に入れられるはめになったのです。
彼に、直接的な原因はありません。
原因は、嫉妬や濡れ衣です。
そのような状況の中で、神様がともにいたゆえに、彼は成功を手にしたのです。
 
この箇所から、このように言う人がいました。
彼は、その置かれた状況の中でベストを尽くしたから、成功したのだ。
彼は、神様がともにいるので、苦境でも悠々としていた。
だから、神様がともにいるキリスト者はそうであるべき。
どんな状況でも、ベストを尽くしましょう。
 
私は、果たしてそれは真実なのか、疑ってしまいます。
信頼していた兄たちによって奴隷として売られ、その上、まったくの濡れ衣で投獄されたヨセフです。
悲しくて悔しくて、彼は、いっぱい涙を流したことでしょう。
彼は、苦しかったに違いありません。
神様に慰められ、支えられて、ようやく立っていたというのが、現実ではないでしょうか。
 
彼の流した涙を、神様は責めないし、あきらめろとも言いません。
その涙をぬぐってくれるのが、私たちの愛する神様なのです。(参考:イザヤ25:8、黙示録7:17、21:4)
元気づけ、祝福し、成功させたのは、彼の信仰や考え方ではなく、神様の愛なのです。
生きた神様だからこそ、その生きた愛が彼を支えていたのです。
そして、その神様はあなたの涙も知っているのです。
 
よちよち歩きの小さい子どもは、親に手をつないでもらっているだけで、実力以上の力を発揮します。
足どりがしっかりして、すたすたと歩くものです。
手すりを握っても、そうはいきません。
生きた支えがあればこそなのです。
ヨセフを支えていたものは、生きた神様の愛の手なのです。
 
先ほど言いましたように、先週は『あなたがどんな人間であっても、神様はあなたとともにいる。』ということを学びました。
今週は次のことを覚えていてください。
『あなたがどんな状況にあっても、神様はあなたとともにいる。』
まわりの人があなたをどんなに扱っても、神様の愛は揺らぐことがありません。
人はあなたを捨てても、神様はあなたを捨てないのです。
この愛に支えられて、力いっぱい生きていきましょう。
あなたの悔しさ、悲しさを知っている神様がいます。
あなたの涙をぬぐってくれる神様がいます。
世界中の誰もがあなた見捨てたとしても、あなたは神様に愛されています。
神様とともに生きましょう。
生きた愛を、体験していきましょう。



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