8   罪から解放されている (ラブレター24 2008.02.09)
あなたへのラブレター 24
『罪から解放されている!』 ローマ 6:1-11
 
パウロは各地を巡り、イエスさまの十字架の救いを説いてきました。
自分の努力のゆえではなく、絶対的な愛と赦しのゆえに救いがなされると説いてきました。
ところが、それをとんでもない方向に曲げてしまう勢力が現れてきたのです。
 
曲解してしまう人たち、これは、何も2000年前に限ったことではありません。
現代でも、このよう言う人が少なくありません。
「イエスさまを信じるだけで天国にいけるのなら、死ぬ寸前に信仰告白したほうがお得だ。」
私は、その人にこのようにお伝えします。
「そうですか。では、そのようにされたらいいでしょう。
でも私は、いま生きている神様とともに過ごす喜びを選びます。」
 
パウロに対する曲解勢力は、次のようなものでした。
「罪があるところに救いがあるのなら、罪を犯すことは神様のためである。
なぜなら、救いのわざを明らかにするのだから。
神様の救いのわざのために、もっと罪を犯そう。」
もちろん、これは間違っています。
この勢力に対するパウロの反駁が、この聖書箇所なのです。
 
私たちには、みな、良心があります。
しかし、ついつい悪いことをしてしまうものです。
また、いいこととわかっていても、やり切ることができないこともしばしばです。
「わかっちゃいるけど・・・・・」
パウロは、このような人たちを罪の奴隷と表現しました。
罪に支配されている状態です。
不完全な私たちは、みんな罪の奴隷であったと言っていいでしょう。
 
我が家の長男はれる(7歳)と次男タリタ(3歳)は、仲の悪い兄弟です。
対抗心むき出しの弟と、それを赦さない兄なので、毎日争いがたえません。
家に帰ってくるだけで、階段を上るだけで、ドアを開けるだけで、修羅場が繰り広げられます。
学校があれば戦う時間も少ないのですが、この5連休の間はずっと一緒にいて、激しい戦いが続いていました。
そしてとうとう、私は彼らに罰を与えました。
おもちゃも、部屋も、ご飯も、お菓子も、布団も、全部ケンカのもとになるので、取り上げたのです。
彼らに与えられたのは、廊下に置かれた丸い座布団1つだけになりました。
そこで寝て、そこで遊ぶだけです。
さすがに彼らは泣きました。
 
さて、ヘブル人の奴隷が解放される方法は、聖書に5つ書いてあります。
(1)ヘブル人である奴隷とその妻、ヘブル人である女奴隷は6年の束縛の後に解放
(2)ヘブル人が自分自身を自発的に奴隷として売った場合は、ヨベルの年に解放
(3)主人との結婚を条件に売られた女奴隷は、主人が結婚の約束を満たさない時には解放
(4)主人に打たれて生涯にわたる障害を受けた時は解放
(5)逃げ帰ってきた奴隷(ヘブル人で他国人の主人のもとから)は保護される
 
しかし、罪の奴隷は、この限りではありません。
6年間で解放されることもないし、ヨベルの年の50年でも解放されません。
では、解放される方法はないのでしょうか。
いえ、方法は、あります。
それは、死ぬことです。
そうすれば、奴隷ではなく、死者になるからです。
 
この箇所で、パウロは私たちに「死になさい」とは言っていません。
私たちは「死んだ」と言っています。
イエスさまと一つになった私たちは、十字架のイエスさまとともに、もう死んでいるのです。
ここが、まじめなクリスチャンにありがちな、変な謙遜との違いです。
「私は、死に切れていないので・・・」
パウロは、そうは言っていません。
「あなたは、もう死んだのだ。だから、罪の力から解放されたのだ。
それだけでなく、あなたは、よみがえりのいのちの中にいるのだ。」
 
重要なのは、イエスさまがあなたの中にいて、あなたがイエスさまの中にいることです。
イエスさまと一体化することです。
古い自分を、罪の奴隷の自分を十字架につけてしまいましょう。
難しいことではありません。
2000年前に、あなたは、もう十字架についているのですから。
そして、よみがえりのイエスさまとともに、新しい自分、よみがえりのいのちの自分を生きましょう。
 
さて、はれるとタリタは、何もかも失って、少し落ち着きました。
そして、丸い座布団にうずくまって、はれるは祈りはじめました。
これは、彼が困ったときにする行動です。
彼の最大の武器でもあります。
「天の神様、感謝します。
どうか、タリタと仲良くできるようにしてください。
僕をいい子にしてください。
学校の勉強も、もっとできるようにして、ピアノももっと上手にしてください。
イエスさまのお名前でお祈りします。アーメン」
 
「勉強やピアノは、いま関係ないでしょ」と、私ははじめ思いました。
しかし、彼が望んだのは、今までの自分からの脱出です。
そして、新しい自分への希望です。
まさに、ここでパウロが私たちに望んでいる事柄です。
 
私たちは、感情が揺れ動くこともあります。
「どうせ私はダメなんだ」
「何で、こんなことしちゃったんだろう」
こんな感情は、誰でも経験するものです。
ただ、これだけは忘れないでください。
罪の奴隷の古いあなたは、十字架で死にました。
そして、愛と喜びの新しいいのちが、希望あふれるいのちが、あなたの中に生きているのです。
 
 
あなたはイエスさまと一つになっています。
罪の奴隷、呪われるべき古いあなたは、十字架について死にました。
あなたは、罪から完全に解放されているのです。
そして今、あなたは、よみがえりのいのちの中にいます。
罪の力、死の力にさえ打ち勝つ、愛のいのちはあなたのものなのです。
 
あなたのためにお祈りしています。



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