10   十字架上の言葉 (受難週特別礼拝 2005.03.19)
受難週特別礼拝 「十字架上の言葉」
マルコ 15:25-35
 
今週は受難週です。
イエスさまが十字架にかかられた週です。
そこで、今週はイエスさまの十字架上の言葉を開いていきたいと思います。
イエスさまは十字架上で、7つの言葉を言われました。
時間の経過順に並べてみましょう。
 
「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」ルカ23:34
「女の方。そこに、あなたの息子がいます。」ヨハネ19:26
「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」ルカ23:43
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」マルコ15:34
「わたしは渇く。」ヨハネ19:28
「完了した。」ヨハネ19:30
「父よ。わが霊を御手にゆだねます。」ルカ23:46
 
7つの言葉のうち、マルコの福音書とマタイの福音書には、それぞれ1つずつしか記されていません。
それは、今週の聖書の箇所にある「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」です。
(マタイでは「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」27:46)
そしてこれは、7つの言葉のうち、唯一、新約聖書の記述言語であるギリシャ語で書かれていないものです。
イエスさまが語った、その言葉どおりの記述なのです。
他の箇所では、「タリタ・クミ」、「エパタ」などがあります。
いずれも、イエスさまが語られた言葉への感動を表す場面で使われる表現方法です。
 
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」というのは、詩篇22篇の書き出しと同じです。
しかし、この場面でイエスさまは、詩篇を暗誦していたのではありません。
この言葉は、イエスさまの心の底からの叫びなのです。
イエスさまは、私たちの苦しさや悲しみをすべてご存知でした。
しかし、そのイエスさまにとって、唯一体験していない事がありました。
それは、罪の結果としての神様との断絶です。
 
イエスさまは罪を犯しませんでした。
しかし、全人類の罪を背負い十字架にかかったのです。
いわば、罪そのものとなって神様ののろいを受けたのです。
その時に叫ばざるを得なかった言葉が、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。(わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。)」だったのです。
 
ではなぜ、ここまでイエスさまは裁かれなくてはならなかったのでしょうか?
それは、神様が誠実な方、真実な方、つまり、正しい方だからです。
なので、罪をうやむやにすることはできないのです。
罪のある身のままでは、神様の国、天国に入ることはできません。
そんな小さな罪でも、その償いをしなければならないのです。
もしも、神様が罪をうやむやにするような、いい加減な方だったら、神様の国である天国もいい加減なものになってしまいます。
また、罪のある身のままで天国にどんどん行けるのなら、そこは天国ではなく、罪のあふれた国になってしまいます。
どちらにしても、それは天国とはいえません。
 
私たちは2つに1つの選択をしなくてはいけません。
罪を償って赦されるか、裁かれて呪われ、滅ぼされるかです。
しかし、残念なことに、私たちには罪を償う能力がありません。
また、神様から見ると、罪は赦せません。
しかし、すぐさまには裁けないのです。
滅ぼせないのです。
それは、神様が私たちを宝物として愛しておられるからです。
どちらも、にっちもさっちも行かない状態なのです。
 
その両方のジレンマを解消するために来られたのが、救い主イエスさまです。
私たち全人類の罪を一身に担ったのです。
そして、十字架上で、本来私たちが受けるべき、すべてののろいの直撃を受けたのです。
それは神様からののろいでした。
このとき、初めてイエスさまは神様を「神」と呼びました。
それまでは、イエスさまは「父」と呼んでいたのです。
父と呼べるような神様との交わりが絶たれたのです。
神様をむやみに怖がり、ばちが当たらないようにしている人々のように、神様との距離のあるイエスさまがそこにいるのです。
本当に見捨てられた救い主です。
 
見捨てられたイエスさまは、罪の贖いを完成しました。
罪の贖いは、赦しを導きます。
赦すことができなかったために止められていた神様の愛は、今、無限のエネルギーを持って発散し始めました。
イエスさまがのろいの直撃を受けた、その十字架が、愛の発信源になったのです。
 
私たちのすべての罪を担ったイエスさまの十字架。
その十字架上でイエスさまが受けたのろいは、もう私たちに力を及ぼしません。
イエスさまは、私たちの完全な身代わりだからです。
そのイエスさまが、こう言ったのです。
「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」
イエスさまは完全に見捨てられました。
私たちの身代わりとしてです。ということは、もう絶対に神様は私たちを見捨てないということです。
 
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ。」
この言葉は、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味でした。
しかし、今や私たちにとって、「神様は決して見捨てない」という約束の言葉になったのです。
力強く叫びましょう。
「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ!」
 
イエスさまは、十字架で全世界ののろいの直撃を受けました。
しかし、その十字架から、あなたへの愛が噴出しました。
そして、神様は、あなたにこう言います。
「私は、あなたを決して見捨てない」
 
あなたのためにお祈りしています。



| 前週へ | 年間目次 | 次週へ |


ホーム 集会案内 伝道師紹介 Message 2008 御言葉の旅 歴史(年表) リンク集 Message 2007 Message 2006 Message 2005
Message 2004


gospelhouse@church.ne.jpメールはこちらまで。