シリーズ イエス様と話そう23 
『ベテスダの池の男』 ヨハネ 5:1-15 
  
今週の聖書箇所の舞台は、ベテスダと呼ばれる池です。 
ベテスダとは「あわれみの家」という意味です。 
それについては、4節が詳しく説明しています。 
ただ、4節は古い写本にないので、欄外に書かれていたり、カッコの中に書かれていたりします。 
次のような記述です。  
「主の使いが時々この池に降りてきて、水を動かすのであるが、水が動かされたあとで最初に入った者は、どのような病気にかかっている者でも癒されたからである。」 
  
神様のあわれみが時々現れるので「あわれみの家」と呼ばれているのでしょう。 
  
ここに、38年間あわれみを待っている男がいます。 
ひと口に38年と言いますが、38年前の今日から今年の今日までを数えると、なんと13880日です。 
彼は、13880回の期待を持って夜明けを迎え、13880回の失望とともに日没を迎えていたのでした。 
  
その彼に、イエスさまは声をかけられます。 
「よくなりたいか。」(6節) 
あまりにも当たり前の質問です。 
普通に考えれば、答えは「はい」または「よくなりたい!」でしょう。 
しかし、彼の答えは当たり前ではありませんでした。 
「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。」(7節) 
彼は、自分の状態・環境(助けてくれる人がいない)・13880回の過去の経験から、もう結論を出してしまっているのです。 
「もう、不可能です」 
まるで、希望を持たなければ絶望もしないとでも言うかのように。 
  
そんな彼に、イエスさまは癒されよと命じます。 
そして、彼は癒されたのです。 
全く希望を失った男に、希望を与える。 
これこそ世の光、イエスさまなのです。 
  
しかし、この日は安息日でした。 
安息日は、神様が創造のわざを7日目に休まれ、その日を聖別したことの記念です。 
神様から与えられた十戒の中の一つにもなっています。 
大切な律法です。 
違反するならば、死刑か国外追放です。 
しかし、あえてイエスさまはその日に癒しを行ったのです。 
彼はもう、13880日待っているのです。 
このうえ、1日増えたからといって、そんなに大きな苦痛はありません。 
それどころか「明日、癒される」と伝えてあげるならば、彼は1日幸せな気分で待っていたことでしょう。 
  
でもイエスさまは、その13880分の1を待ちませんでした。 
それは、苦しんでいる者をほっとけないという思いもあったでしょう。 
しかし、それ以上に大切なことを、ここでイエスさまは示しているのです。 
  
神様は、天地を6日間で創造し、7日目に休まれました。 
7日目に、創造のわざを休まれたのです。 
しかし、休んだのは、創造のわざだけなのです。 
神様の愛やあわれみは、休んでいません。 
もちろん、安息日にも愛は休むことはありません。 
ですから、神様の愛の対象は、安息日にも休むことなく、神様の愛を受けなければならないのです。 
そして、イエスさまは「あなたこそ、神様の愛の対象なのだ」と言っているのです。 
その愛を受けることは、すべての律法を超えた正しいことと言っているのです。 
  
才能も状況も環境も経験も関係ない。 
それどころか、不可能に見えるようなときこそ、神様の全能の力・全能の愛が、私たちの上に明らかにされるときなのです。 
イエスさまは十字架上で、私たちが負うべきすべてののろいを受けました。 
だから、私たちは完全な神様の愛の対象なのです 
  
この男はそのことに気がつきました。 
とてつもなく大きな神様の愛に。 
そして、自分がその愛の対象であることに。自分が神様の宝であることに。 
ですから、彼は律法学者たちに出会っても、床を運んでいたのです。 
見つかって責められても、「私を直してくださった方が、『床を取り上げて歩け。』と言われたのです。」(11節)と言えたのです。 
何よりも大切なことを知ったのです。 
それは神様に愛されることです。 
そうすると「もう罪を犯してはなりません。」(14節)というイエスさまの言葉もわかります。 
これは、神様に愛されることをやめてはならないということです。 
神様の宝であることを忘れてはならないということです。 
  
この愛は、もちろん、私たちにも注がれている愛です。 
しかし、13880回の失望の後のこの男と同じように、私たちの状態や環境や経験が、その愛を邪魔する事があります。 
私たちが完全な愛の対象であるのにです。 
ですから私たちは、大掃除をする必要があります。 
私たちの中のごみ(神様の愛を邪魔するもの)を大掃除して、愛をいっぱい入れましょう。 
そして、神様の宝物として新しい歩みを始めましょう。 
それが、私たちに、神様が最も求めておられることです。 
  
神様の愛を受けること。 
それは、あなたに与えられた、神様への最高の奉仕です。 
あなたの状況や環境、過去の経験が、それを邪魔する事があります。 
しかし、決して忘れないで下さい。 
あなたを愛する神様の愛は、一時たりとも休む事がないのです。 
さあ、今、最高の奉仕を始めませんか。 
あなたは、神様の愛を受ける器です。 
  
あなたのためにお祈りしています。 
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