22   生まれつきの盲人 その3 (話そう29 2005.06.11)
シリーズ イエス様と話そう29
『生まれつきの盲人その3』 ヨハネ 9:26-41
 
生まれつきの盲人の第3週、最終回です。
イエスさまに肉体の目も心の目も開かれた元盲人と、パリサイ人たちとの会話(論争)が続きます。
しかし、目が開かれ、イエスさまとであった者と、かたくなな心の者との会話は、すれ違うばかりです。
30節から彼は、偉大なメッセージを語り始めます(〜33節)。
しかし、パリサイ人たちには届きません。
 
パリサイ人たちは、豊富な宗教知識を持っていました。
それに対して、盲目だった男は深い宗教知識は持っていません。
しかし、彼はイエスさまに出会ったのです。
ただ出会っただけでなく、心の目も開かれて、悟ったのです。
私たちは次のことを知るべきです。
どんな豊富な宗教知識の蓄積も、たった一度の神様体験にはかなわないということです。
百聞は一見に如かずといいますが、莫大な宗教知識は一度の神様との出会いに劣るのです。
 
パリサイ人たちは怒り、彼をのろい、彼をののしり、彼を追放します。
追放された彼は、途方にくれたことでしょう。
ユダヤの会堂からの追放は、神様の祝福からの追放と同じ意味なのです。
彼はイエスさまによって目が開かれ、自分自身の本当の価値を見出したはずでした。
のろわれていると思われていた人生には決別しました。
神様の宝物としての自分の発見です。
しかし、実際に身に起こったことは、会堂からの追放でした。
もう、会堂で神様を礼拝することができないのです。
 
彼はきっとイエスさまを探したことでしょう。
しかし、彼はイエスさまの顔を知らないのです。
彼は盲目だったときにしかイエスさまと会っていません。
彼の目が開かれたのは、イエスさまの前ではなく、シロアムの池で泥を洗ったときだったからです。
途方にくれながらも、彼はイエスさまを探しています。
 
しかし、彼はイエスさまを見つけることはできませんでした。
なぜなら、イエスさまが彼を先に見つけ出したからです。(35節)
探しているはずの者が、探されてしまうのです。
そして、イエスさまはご自身を彼の前に明らかにしました。
ご自身を人の子(救い主)として彼にはっきりと示したのです。
 
これがキリスト教の本質です。
私たちが神様を求めているのですが、神様が私たちを求め、見つけるのです。
見つけるだけでなく、ご自身を明らかにされます。
その明らかさの表れが、イエスさまの誕生であり、十字架であり、復活なのです
 
彼のイエスさまに対する呼び方が変わっていきます。
第1週目では「あの方」でした。先週は「預言者」でしたね。そして今回「主」「人の子」となり、かつ、彼はイエスさまを拝したのです。
これはユダヤ人としては、驚くべきことです。
なぜなら、ユダヤ人は唯一の創造主なる神様以外を拝することはありえないからです。
彼は、イエスさまが神様であることに気づいたのです。
イエスさまがご自身を明らかにされ、招かれたことに、彼は見事に応じたのです。
 
この奇蹟のスタートはイエスさまでした。
イエスさまが彼を見つめました。
イエスさまが彼をいやしました。
イエスさまが彼に冒険を与えました。
イエスさまが彼を見つけ出しました。
イエスさまが彼を招き導きました。
 
見つめ・いやし・冒険を与え・見つけ出し・招き導く、しかもいのちがけで。
こう並べてみると、一つの職業が浮かんできませんか?
そうです、それは羊飼いです。
羊飼いの羊に対する態度です。
羊飼いは羊を見つめ、傷ついた羊をいやし、良い草の生えているところまでの冒険を与え、迷った羊を見つけ出し、本来いるべき牧場に導く。
イエスさまこそが私たちの羊飼いです。
 
羊は弱い生き物です。
特に、視力はとても弱いそうです。しかし、視力が弱いからこそ、羊飼いにきちんと導かれることができるのです。
もしも、眼鏡をかけて少し見えるようになった羊がいたとしましょう。
その羊は、自分勝手な方向に進み、やがて、危険に陥ったり、命を落としたりしかねません。
見えない者は導かれ、見える者(見えると思っている者)は導かれないのです。
彼らは、導かれずに、罪の中に取り残されてしまうのです。(41節参照)
 
私はこの箇所を読んで、詩篇23編を思い出しました。まさに、この盲目だった人のためにあるような詩です。ちょっと長いですが、引用します。
 
詩篇23編
主は私の羊飼い。私は、乏しいことがありません。
主は私を緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。
主は私のたましいを生き返らせ、御名のために、私を義の道に導かれます。
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。
私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。
まことに、私のいのちの日の限り、いつくしみと恵みとが、私を追って来るでしょう。私は、いつまでも、主の家に住まいましょう。
 
私たちの羊飼い、イエスさまには希望があります。
心の底から期待しましょう。
 
イエスさまは、あなたを見つめています。
あなたをいやし、あなたを支えます。
あなたを見つけ出し、あなたを導きます。
イエスさまは、あなたの羊飼いです。
あなたの希望、あなたの喜び、あなたの守りは、ここにあります。
 
あなたのためにお祈りしています。



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