31   少年イエスと話そう (話そう31 2005.08.13)
シリーズ イエス様と話そう31
『少年イエスと話そう』ルカ 2:41-52
 
さて、聖書クイズです。
聖書に記されている、一番はじめのイエスさまの言葉は何でしょう。
イエスさまは神様ですから、三位一体の視点から考えれば、答えは、「光よ。あれ。」(創世記1:3)です。
人間としてのイエスさまに限って言うならば、今回の箇所が一番最初の言葉になります。
(もちろん、それ以前にも話してはいたでしょうが)
また、ここはイエスさまの少年時代の唯一のエピソードでもあります。
 
時は過越の祭りです。
この祭は春にユダヤ人が偉大な歴史的出来事である出エジプトを記念して守った祭で、ユダヤの3大祭の一つです。
多くのユダヤ人がエルサレムに押しかけ、盛大な祭りが行われていました。
ちなみに、イエスさまが十字架にかかったのも、この過越の祭りの時でした。
最後の晩餐は、過越の祭りの食事でした。
 
そこでイエスさまは両親とはぐれてしまったのです。
当時の徒歩の旅は、男女の体力差の関係から、男女がそれぞれ集団になって時間差で旅をしていました。
女性が早目に出発し、男性は遅れて出発します。
男性のほうが歩くのが早いので、一日分の距離を歩く頃には追いつくということなのです。
 
マリヤは、イエスさまは父親と一緒に行くと思っていたのでしょう。
同じように、ヨセフは、イエスさまは母親と一緒に行くと思っていたのでしょう。
ところがイエスさまはエルサレムにいました。
それで1日、気がつかずにいたのです。
そして、血相を変えて捜し歩いたのです。
 
3日後にイエスさまを見つけたマリヤはこう言います。
「まあ、あなたはなぜ私たちにこんなことをしたのです。見なさい。父上も私も、心配してあなたを捜し回っていたのです。」(48節)
ここの父上の部分を英語の聖書で読みますと "your father" とあります。
あなたの父上ということです。
つまり、ヨセフのことですね。
 
しかしイエスさまは答えました。
「どうしてわたしをお捜しになったのですか。わたしが必ず自分の父の家にいることを、ご存じなかったのですか。」(49節)
イエスさまは神様の宮を自分の父の家と言ったのです。
つまり、イエスさまはご自身を「神様の子」と宣言したのです。
聖書の最初のイエスさまの言葉は、神様の子としての宣言だったのです。
 
そして、私たちはここでもう一つのことを学びましょう。
イエスさまは「どうしてわたしをお捜しになったのですか。」と言われました。
捜す必要はありません、居場所ははっきりしていますよ。ということです。
これは、現代に生きる私たちに語られている言葉でもあります。
イエスさまの居場所ははっきりしているのです。
今回の聖書箇所が地上でのイエスさまの最初の言葉です。
地上での最後の言葉を見てみましょう。
「わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。」(マタイ28:20)
 
そうです。イエスさまはいつも、いつまでも私たちとともにいるのです。
今のあなたから、イエスさまは離れたところにいる訳ではありません。
だから、じたばたしたって見つからないのです。
捜す必要はありません。イエスさまはいつもともにいてくださるのですから。
 
では、私たちはどうしたら良いのでしょうか。
しかし両親には、イエスの話されたことばの意味がわからなかった。(50節)
母はこれらのことをみな、心に留めておいた。(51節)
これが信仰です。
完全に理解できなくてもかまわないのです。
本当の神様は、不完全な私たちに理解できるような薄っぺらな神様ではないのです。
ただ心に留めておきましょう。
神様は私たちを愛していること。
神様は私たちから決して離れないこと。
愛の証拠として、イエスさまの十字架があること。
いつも心をそれで満たしていましょう。
いつも、いつまでもともにいてくださる神様の約束を喜びましょう!
 
神様は遠くにいる訳ではありません。
イエスさまは隠れている訳ではありません。
いつも、いつまでもあなたとともにいます。
あなたは捜す必要がありません。
ただ、感じましょう。
いつもともにいるイエスさまを。
 
あなたのための祈りしています。



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