34   良い羊飼いのたとえ (たとえ24 2005.09.03)
シリーズ イエスさまのたとえばなし 24
『良い羊飼いのたとえ』ヨハネ 10:1-21
 
今週の聖書箇所は「良い羊飼いのたとえ」です。
このたとえばなしは、他のたとえばなしと比べて、少しわかりやすいのではないでしょうか。
と言うのも、1〜5節のはじめのたとえばなしを、聞いていた人たちが理解できなかったため、もっとはっきりとしたたとえばなしをイエスさまが続けたからです。
 
ここでの登場人物は3種類の人たちです。
牧者・良い羊飼い…これはイエスさまです。
羊…これは私たち人間をあらわしています。
盗人・盗賊・雇い人(悪い羊飼い)…これは偽者の指導者です。
1つずつ見ていくことにしましょう。
 
盗人で強盗
これらの人々は、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。(10節)
私たちの命を奪う者です、自由を奪う者です。
雇い人
彼らは羊をモノとして扱う者です。
雇い人にとって、羊は仕事の材料、金儲けのための手段、生きるための材料なのです。
会衆を金儲けの対象としか思えない宗教家たちです。
 
イエスさまは、本当の牧者・良い羊飼いはそうではないと言っているのです。
ここを念頭において、この聖書箇所を読んでいただけるなら、イエスさまの大きな愛が皆さんの心にしっかりと刻み込まれます。
私は何もメッセージする必要はないでしょう。
しかし、蛇足になるかもしれませんが、一部抜粋してみましょう。
 
良い羊飼い(イエスさま)は、
門からはいる者(2節)です。
つまり、正当に神様から遣わされた者ということです。
その先頭に立って行きます。(4節)
私たちを追い立てる者ではありません。
羊がいのちを得、またそれを豊かに持つため(10節)来ました。
私たちの利益を求め、自己賞賛も自己利益も求めません。
羊のためにいのちを捨てます。(11・15・17節)
自己犠牲をいとわず、むしろ、すすんで自己犠牲を捧げる方です。
ほかの羊があります。(16節)
全人類のための救い主となのです。
 
そして、特に大切なことは、言葉だけでなく、イエスさまは実践したということです。
今、日本では国会議員の選挙が行なわれていますが、「皆さんのためにこの身を捧げます」と言う候補者のうち、本当に自分の利益を一切求めないで、すすんで自己犠牲を捧げる人が何人いるでしょうか。
しかし、イエスさまは十字架の死に至るまで、誠実を尽くしました。
 
そして私たちは羊です。
羊は何かをしたから牧者の群れの羊になったのではありません。
たとえば、野生の羊が羊飼いの前で芸をして、合格したら群れに入れてもらえる、なんてことはないのです。
牧者の持ち物だから、牧者の羊なのです。
私たちは、1人として例外なく、神様によっていのちが与えられました。
ですから、存在そのものが、神様の群れの羊で、すでに神様の祝福の対象なのです。
 
そしてイエスさまはこう言われました。
彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。(16節)
これは、一人ひとりの羊が、それぞれ、イエスさまと1対1の関係を持つということです。
私たちは、それぞれがイエスさまの声を聞き、その結果、一つの群れになるのです。
イエスさまは十把ひとからげに「みんなぁー!」とは呼びません。
私たち一人ひとりの名前を呼んで話しかけてくださるのです。
 
イエスさまの羊である私たちは、もう、その声を聞き分けることができるはずです。
もう否定的な、破壊的な言葉は、私たちの耳に入れなくていいのです。
耳を澄ましてみましょう。
イエスさまの「○○さん、愛してるよ!」とあなたを呼ぶ声が聞こえてきます。
喜んでその声に従っていきましょう。
 
あなたのいのちのために、いのちを捨てた方がいます。
それは、あなたの救い主、イエス・キリストです。
イエスさまにとって、あなたは大切な存在なのです。
今も、イエスさまはあなたに呼びかけます。
私の愛する羊よ!
この声を聞き分け、この声についていきましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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