35   敵を愛しなさい 〜新しいリズムで〜 (メッセンジャー03 2005.09.10)
シリーズ メッセンジャーはイエスさま 03
『敵を愛しなさい 〜新しいリズムで〜』 マタイ 5:43-48
 
今週の聖書箇所は、キリスト者の生活の真髄、真骨頂とも言える「敵を愛する」です。
43節から始まるこのメッセージは、到達不可能とも思える48節「だから、あなたがたは、天の父が完全なように、完全でありなさい。」へと向かっていきます。
ここから、「新しいリズムで」という副題で聖書を解き明かしていきたいと思います。
 
長男のはれるは、いま、キーボードを習っています。
習い始めて5ヶ月になるのですが、今までは4分の4拍子の曲ばかりを練習していました。
ところが、今月になって3拍子の曲がテキストに登場したのです。
「1・2・3・4」のリズムが「1・2・3」に変わったわけです。
すると、楽譜を読んでも、手でリズムを刻んでも、実際に弾いてみても、どうしても4つ目の音が足りない感じでうまくいかないのです。
彼は、いままで慣れていた4拍子が3拍子に変わって、そのリズムの変化をうまく受け入れられないでいたのです。
 
それほど私たちにとって、リズムの変化というのは受け入れにくいということです。
仕方がないので、私と1対1でリズムの変化への適応を練習しました。
しっかりと新しいリズムを身につけると、新しい曲がとても心地よい響きになりました。
そして、2拍子の曲へもすぐに対応できるようになったのです。
リズムの変化を一度受け入れたら、次の変化はずっと簡単ということです。
 
イエスさまは、ここでのメッセージを、この言葉で始められました。
『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。(43節)
これは、聖書の言葉ではありません。聖書には次のようにあります。
あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。(レビ記19:18)
ここまでは同じですが、敵についての記述が違うのです。
あなたの敵の牛とか、ろばで、迷っているのに出会った場合、必ずそれを彼のところに返さなければならない。あなたを憎んでいる者のろばが、荷物の下敷きになっているのを見た場合、それを起こしてやりたくなくても、必ず彼といっしょに起こしてやらなければならない。(出エジプト記23:4-5)
 
当時のユダヤ人たちは、ユダヤ人(同胞)は隣人、異邦人は敵という単純な図式を作って、勝手に納得していたのです。
不完全な愛をごまかすための逃げ道をつくって、自分たちの愛のなさを隠し、正当化していたのです。
 
イエスさまは続けます。
しかし、わたしはあなたがたに言います。自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。(44節)
この愛は、自然に発生する愛ではありません。
若い男性が美しい年頃の女性を見ると、自然に愛情が湧いてきます。
父や母は、自分の幼子を自然に愛します。
子どもは、自分の親を自然に愛します。
自分に優しくしてくれた人には、理由もなく愛情が湧くことでしょう。
しかし、ここで言われている愛はそういう愛ではないのです。
ひとことで言うならば、愛せない者を愛する愛です。
 
この愛には、強い意志が必要です。
自然発生的な感情がスタートの愛ではなく、愛そうという意志が必要なのです。
これが神様の愛です。
私たちに目に見える形としては、イエスさまの十字架がその典型です。
 
すべての人の心に罪が入りこみ、神様から離れている時に、いのちをかけて私たちを神様のもとへ返してくれたのがイエスさまの十字架です。
本来なら、神様にのろわれて滅ぼされるはずだった私たちのために、いのちをかけてまで愛するような価値のない私たちのために、いのちを捨てられたのです。
そして、このいのちがけの愛によって、すべての人は神様の子どもとしての特権を得たのです。
 
それでこそ、天におられるあなたがたの父の子どもになれるのです。(45節)
これは、敵まで愛することができるようになったら、神様の子どもと認められるということではありません。
なぜなら、イエスさまの十字架によって、すべての人は神様の子どもです。
だから、すべての人が隣人です。
いえ、隣人どころか、兄弟姉妹なのです。
もう敵はいません。
私たちは神様の子どもとして、神様の完全の愛を受け継いでいるのです。
神様から見れば、私たちはもう完全な者なのです。
 
不完全な自分を嘆く、古いリズムは過ぎ去りました。
神様の愛とともに生きる、新しいリズムの生涯が始まっているのです。
どんな人でも受け取っていいのです。
いえ、すでに受け取っているのです。
ただ、それに気がついているか、いないかが問題なのです。
新しいリズムを受け入れているか、いないかというところが分岐点です。
 
そう考えてみますと、私たちがこの完全なリズムに入るための最後の壁は何でしょうか。
最強の敵、最も迫害する者は誰でしょうか。
それは、私たち自身です。
自分自身こそが、最強の敵(壁)、最も迫害する者です。
「お前はだめだ」「お前は神様にふさわしくない」
私たちの心の中から、このようなマイナスの攻撃が最後まで出てくるのです。
 
しかし、イエスさまは言われました。
「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい。」
これは、つまり「あなた自身を愛し、あなた自身のために祈りなさい。」と言うことです。
自分を愛する宣言をしましょう。
自分自身の祝福を祈りましょう。
これが最後の最強の敵、自分自身の中にある否定的なものへの戦いです。
愛と祝福によって、最強の敵を打ち破るのです。
 
神様に愛されていることを知りましょう。
自分自身を愛しましょう。
神様を愛しましょう。
そして、すべての人を愛しましょう。
この神様の愛のリズムが、私たちの中でいきいきとスタートします。
完全な愛のリズムを受けて、私たちは完全な者になるのです。
はじめは、ぎこちないかも知れません。
でも、いったん受け入れるなら、それはとても心地よいリズムです。
神様の子どもとして、堂々と、このリズムの中で生きていきましょう。
 
新しいリズムが、あなたの中で動き始めています。
それは、神様のリズム、完全な愛のリズムです。
耳を澄まして、聞き取ってください。
あなたのすべてで、その愛を受け取ってください。
その愛のリズムの中で生きましょう。
完全な者として、愛と自由と喜びに満たされて。
 
あなたのためにお祈りしています。



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