37   悪霊につかれた大ぜいの人 (話そう32 2005.09.24)
シリーズ イエスさまと話そう32
『悪霊につかれた大ぜいの人』 マタイ 8:16-17
 
今週の聖書箇所は、山上の説教(5章から7章)の後に、イエスさまが山から降りられた箇所です。
全く新しい生き方、全く新しい神様観、全く新しい基準を示した山上の説教のあとにイエスさまがであったのは、生々しい現実でした。
病に苦しむ人、悪霊につかれた人、本当に弱い人間の姿でした。
今週はこの箇所から、「キリスト者の成長・完全・完成」というテーマでお話ししたいと思います。
 
イエスさまは、この苦しむ人たちを、一人ひとり大切に扱われました。
それは、「彼が私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負った。」というイザヤの預言が成就するためでした。
これは、イエスさまがイザヤの言うことを聞いて、その通りにしたということではありません。
イザヤは何百年も前に、神様から来るべき救い主のことを聞いていたのです。
そして、救い主であるイエスさまは、神様の預言(予言)どおりに現れ、行なったということなのです。
 
弱い者の中で、イエスさまが私たちのわずらいを身に引き受け、私たちの病を背負ったことが、成就することがイエスさまの本分だったのです。
すなわち、救い主としての正しい行動だったのです。
ということは、救われる立場の私たちの正しい行動は何になるのでしょうか。
つまり、キリスト者としての成長とは何でしょうか?
それは、イエスさまに私たちのわずらいを引き受けていただいて、私たちの病を背負っていただくことです。
つまり、私たちの弱さをイエスさまの前にさらけ出すことです。
 
私は先週の説教で、「ここ数ヶ月間、心の病気・たましいの病気だった」とお話しました。
しかし、私は気がついたのです。
この心の病気は、「神様からの罰」でもなく、「神様(またはサタン)からの試練・誘惑」でもありません。
また、「罪から来る苦しい結果」でもないのです。
この心の病気は、「神様からの素敵なプレゼント」だったのです。
自分自身の弱さを認め、自分自身に絶望し、神様の前にひれ伏すしかなくなった時に、神様の栄光・力が存分に現れたのです。
それを知るために神様が下さった素敵なプレゼントが、心の病気だったのです。
 
パウロは、コリント人への手紙の中でこのように書いています。
ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。(2コリント12:10)
 
この言葉はまさに真理です。
自分の弱さを徹底的に知り、受け入れ、その弱さの中に神様の無限の力を見出す時、キリスト者は成長するのです。
成長どころか、そこに完全に徹した時、キリスト者として完全なもの、完成したものとされるのです。
私たちの弱さの中に、成長・完全・完成があるのです。
 
先週のメッセージのあと、何人かの方から言葉をいただきました。
心配してくださった方、ともに喜んでくれた方、逆に励まされたという方もいました。
私に神様がプレゼントしてくださった弱さは、私の中で働くだけでなく、周りの方々との間の愛の関係も創造してくださったのです。
私の内部と私の外部に、愛の環境が創られたのです。
 
ですから、私たちは弱さをも喜びましょう。
自分の弱さを受け入れましょう。
そして、卑屈になるのではなく、本当の謙遜を身につけましょう。
そのとき、他の人の弱さをも受け入れられ、愛の環境が創造されるのです。
弱さに徹した時に、強さが完全に現れるのです。
それが、キリスト者の成長・完全・完成です。
 
あなたのためにお祈りしています。



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