『生きている人と生かされている人』 
ヨナ4:1-11 
  
今週の聖書箇所は、旧約聖書ヨナ書の第4章です。 
ふだんのゴスペルハウスの土曜礼拝は、新約聖書を進めていますが、今週は特別に旧約聖書を進めようと思います。 
また、第4章を聖書箇所としてあげましたが、皆さんには、ぜひとも第1章からヨナ書を読んでいただきたいと思います。 
全部で4章で、聖書では3〜4ページ、2800字程度の短い物語です。 
5〜10分もあれば読破できることでしょう。 
  
さて、今週はこの第4章の中から、「私は生きているより死んだほうがまし」(3節,8節)というヨナの言葉に焦点を当てて、「生きている人と生かされている人」というテーマで御言葉を解き明かしていきたいと思います。 
第2章でヨナは素晴らしい悔い改めと賛美をし、第3章では大きな神様のための仕事をなしました。 
そのヨナが言う言葉として、「私は生きているより死んだほうがまし」というのはやや不釣合いな感じです。 
  
いったい、何が彼をそれほどまでの気持ちにさせたのでしょうか。 
それは、ニネベの町が、神様による滅びから救われたことです。 
ニネベはアッシリアの首都で、アッシリアはユダヤの敵国なので、ヨナははじめからこの仕事に乗り気ではありませんでした。 
しかし、死を願うまでの思いを持ったのはなぜでしょう。 
そこには、異邦人を見下す気持ちが感じられます。 
また、ユダヤ人の特権意識も垣間見ることができます。 
  
今週、私と妻は「伝道の動機」について、話し合う時間を持つことができました。 
妻は、「私は高校生の時に、神様にどれほど愛されているかを知ることができた。それで、その愛を受けて、その愛を伝えるために、伝道したいという気持ちになった。」と話しました。 
そして、「牧師・伝道師の中で、その愛を忘れてしまっているように見える人がいることは悲しい」と続けました。 
そこで私は「じゃあ、あなたから見て僕の伝道の動機は何だと思う?」と聞いてみました。 
すると彼女は少し考えた後に、「あなたには何にも動機がない。神様の力によって押し出されて、やらせて頂いているだけ。」と答えたのです。 
  
私はこの言葉を聞いて嬉しくなりました。 
なぜなら、私もそう思っているからです。 
まさに、ど真ん中ストライクの解答でした。 
もしも、こんなにいい加減な私の中に伝道の動機があるというのなら、その動機は私の心がくじけると同時になくなってしまうことでしょう。 
しかし、私の伝道の動機は、神様の動機なのです。 
神様が私を選んで、押し出し、支え、続けさせてくださっているのです。 
そうでなかったら、とっくにブラジルから脱出していたことでしょう。 
私は伝道者ですが、「伝道しているもの」ではなく「伝道させられている(させて頂いている)者」なのです。 
  
第2章でヨナは、海の中でおぼれて死にかけ、また、魚の腹の中で死にかけていました。 
その状況の中で、生かされていることの感謝と喜びに満たされていたのです。 
そして、救いは主のものと宣言したのです。(2:9) 
自分の人生の主権者は神様であると、宣言したということです。 
死にかけていく中で、彼は生かされている人として、いのちの喜びの中にいました。 
  
しかし、第3章で大きな悔い改めの実が実った時、預言者としての務めをしたという自負が出できました。 
ユダヤ人(選ばれた民)だから、預言者(選ばれた人)だからということで、生きる権利を勝ち取ったような気持ちになったのではないでしょうか。 
人生の主権者は自分と勘違いしてしまったようです。 
それで、彼はニネベの町が滅びることを望んでいました。 
また、神様に対してそのようにすべきだという、服従を要求していたのです。 
神様が彼の思い通りにならなかった時、彼は権利を侵害されたような気持ちになったのです。 
そして、生きる権利を奪われたような気になり、死を願ったのです。 
自分の力で生きていると人いう意識が、いのちの喜びを消し、死を願うまでになってしまったのです。 
  
生かされている人が、死にかけている中で生かされる喜びに満たされ、反対に、自力で生きている(つもりの)人が死を願っているのです。 
皮肉な感じ、逆説的な感じがしますが、ヨナにはまさにこの通りに起こっていたのです。 
  
私たちはみんな、生きている人ではなく、生かされている人です。 
たとえをあげてみましょう。 
私たちの心臓は、24時間365日年中無休で働いています。 
しかし、意識して動かしたことは、一度もないはずです。 
そのほかの体の部分も、この地球も太陽も宇宙も、何もかも神様のプレゼントなのです。 
ですから、私たちは生きる権利を勝ち取った正しい人、生きている人ではありません。 
私たちは、神様から生きる喜びをいただいた、生かされている人なのです。 
愛され、喜ぶ人なのです。 
  
ヨナもこの後、きっと気がついたことでしょう。 
この生かされている喜び、愛されている喜びに。 
そして、その喜びと愛の中で、神様とともに生きて(生かされて)いったことでしょう。 
私たちも、そのように生かされていきましょう。 
  
あなたの人生の主人公はあなたです。 
しかし、その人生に本当のいのちを贈ってくれるのは、神様。 
本当の生きる(生かされている)喜び、いのちの喜びは、神様の愛のプレゼントです。 
イエスさまの十字架はその愛の証拠。 
自力で生きている人として、生きる喜びを捨てるのではなく、 
愛のいのちに生かされている人として、生きる喜びに満たされましょう。 
  
あなたのためにお祈りしています。  
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