ゴスペルハウス・移転2周年フェスタ礼拝
「一緒に食事」
ヨハネの黙示録 3:20
見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。
だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。
本日は、ゴスペルハウス移転2周年と、私の誕生日を記念してのゴスペルハウス・フェスタです。
こうして、愛する皆さんとご一緒にご馳走を食べられることを感謝します。
食事というのは、「同じ釜の飯を食べる」といった言葉があるように、非常に親密さを増すものです。
聖書の中にも、たくさんの食事の場面が出てきます。
有名な最後の晩餐、5000人の食事の奇蹟、復活したイエスさまが弟子のための魚とパンを準備されたこと、ザアカイの家やマタイの家での宴会、などなど数えていったらメッセージの時間がなくなってしまいます。
ちなみに、私がはじめて教会に行くことになったきっかけも、食事会につられてでした。
本日の聖書箇所も、食事の箇所です。
ここでわたしと書いてあるのは、イエスさまのことです。
この箇所は、よく、「イエスさまをお迎えすること」の大切さを示すのに使われる箇所です。
しかし、本日はちょっと違ったところに焦点を当ててみたいと思います。
それは、「イエスさまが私たちの心の戸の前まで来てくださった」という事です。
普通、幸せは私たちが探し当てるものです。
探して、求めて、努力して、手に入れるものです。
しかし、ここではそうではないのです。
イエスさまが私たちのところへ来てくださったのです。
イエスさまは、私たちを本当の幸せに導くために来ました。
神様の永遠の愛に愛され、神様の永遠に喜びに喜ばれるために来たのです。
そして、罪深い私たち一人ひとりの戸の前まで来てくださったのです。
私たちが幸せを探すのではなく、幸せが私たちを探して、やって来たのです。
私たちが天国を探すのではなく、天国が私たちを探して、やって来たのです。
これがキリスト教の原則です。
そして、私たちがそれを受け入れるなら、イエスさまは私たちとともに、食事をするのです。
ゆっくりと、イエスさまとともに、楽しい時を過ごすことができるのです。
さあ、私たちはイエスさまとともに、楽しい食事をしようではありませんか。
今からのフェスタの食事の真ん中にも、イエスさまがともにおられます。
(本日は、フェスタなのでショートメッセージです)
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