シリーズ メッセンジャーはイエスさま 06 
『なにを喜ぶか』 ルカ 10:17-20 
  
今週からアドベントに入ります。 
イエスさまの誕生を喜んで待ち望む、素敵な期間です。 
この素敵な時期を皆さんとともに過ごせることを感謝します。 
  
今週の聖書箇所は、イエスさまが遣わした70人に対してのイエスさまの言葉です。 
第10章1節には次のように書いてあります。 
その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。 
  
その70人が、意気揚々と帰ってきた場面です。 
彼らは、派遣されたときには不安もあったことでしょう。 
しかし、神様の助けもあって、伝道の実が目に見える形であらわれました。 
順調に進む伝道に楽しさも感じていたことでしょう。 
また、自らの(本当は神様の助けが大きかったのですが)成果に喜んでいました。 
だから17節では、勢いの良い伝道報告をしています。 
  
彼らに対して、イエスさまは勝利の宣言をされます。(18-19節) 
そしてまた、それは「よくやった」という、ねぎらいの言葉でもありました。 
しかし、本当に喜ぶのはそれではない、とイエスさまは続けます。 
「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(20節) 
  
これは、他の事を喜んではいけないと言っているのではありません。 
なぜなら、聖書には次のように書いてあるからです。 
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4) 
いつも喜んでいなさい。(1テサ5:16) 
  
「名が天に書きしるされている」とは、どういうことでしょうか。 
1つは、この地上での生涯が終わった後に、天国に行くことができるということです。 
しかし、それは死後の世界の保証だけではありません。 
もう1つは、救い主イエスさまが身代わりで死んでくださったということです。 
私たちには、天国に持っていけない醜い部分があります。 
それは、誰でも持っている罪なのです。 
しかし、天国に入る基準は、「全く罪のない者」だけです。 
ですから、私たちは誰ひとり天国に入る資格はなかったのです。 
誰ひとりとして、天に名前が記されている者はいなかったはずなのです。 
それを贖うために、イエスさまが十字架につき、身代わりに死んでくださったのです。 
  
「人の価値は、その人が何をしたかによって測られるのではなく、その人のために他の人が何をしてくれたかによって測られる」という言葉があります。 
たとえば宝石を見るとしますと、それがどんな宝石か、そんな規格の物かなどで判断できる人たちもいます。 
しかし、私たちの多くは、それを手に入れるときに支払われた代価でその価値を測ります。 
つまり、「・・万円のダイヤモンド」とか「・・万円のサファイア」とか言うようにです。 
  
それでは私たちの価値はどうでしょうか? 
私たちの価値は、神様にその愛するひとり子、イエスさまのいのちを捨てさせるほど大きいのです。 
救い主・イエスさまは、いのちがけで愛してくれ、いのちがけで赦してくれたのです。 
私たちはそれによって、名が天にしるされたのです。 
私たちのために払われた代価、それは、イエス・キリストさまです。 
ですから私たちは、神様にとって、イエスさまと同じ価値があるのです。 
そして、イエスさまは、それを喜びなさいと言ったのです。 
  
自分の存在の価値自体に喜びを見出す時、私たちはいつも喜んでいられます。 
目の前にあらわれた成功や失敗に一喜一憂しない、本当の自分自身の価値を発見できるのです。 
その時、私たちには、喜びと愛に満ちた生活が約束されます。 
そして、そのために送られたのが、イエスさまです。 
私たちに、存在の価値を与えるために、神様がくれた大きな大きな愛の贈り物です。 
アドベント第1週、イエスさまという贈り物の大きな価値に、喜びましょう。 
そして、私たち自身の大きな価値に、喜びましょう。 
  
あなたの名前は、もうすでに、天国にしるされています。 
喜びましょう、イエスさまという、大きな神様からの贈り物を。 
喜びましょう、あなたという、かけがえのない存在を。 
喜んで、喜んで、喜び続けましょう! 
  
あなたのためにお祈りしています。  
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