46   なにを喜ぶか (メッセンジャー06 2005.11.26)
シリーズ メッセンジャーはイエスさま 06
『なにを喜ぶか』 ルカ 10:17-20
 
今週からアドベントに入ります。
イエスさまの誕生を喜んで待ち望む、素敵な期間です。
この素敵な時期を皆さんとともに過ごせることを感謝します。
 
今週の聖書箇所は、イエスさまが遣わした70人に対してのイエスさまの言葉です。
第10章1節には次のように書いてあります。
その後、主は、別に七十人を定め、ご自分が行くつもりのすべての町や村へ、ふたりずつ先にお遣わしになった。
 
その70人が、意気揚々と帰ってきた場面です。
彼らは、派遣されたときには不安もあったことでしょう。
しかし、神様の助けもあって、伝道の実が目に見える形であらわれました。
順調に進む伝道に楽しさも感じていたことでしょう。
また、自らの(本当は神様の助けが大きかったのですが)成果に喜んでいました。
だから17節では、勢いの良い伝道報告をしています。
 
彼らに対して、イエスさまは勝利の宣言をされます。(18-19節)
そしてまた、それは「よくやった」という、ねぎらいの言葉でもありました。
しかし、本当に喜ぶのはそれではない、とイエスさまは続けます。
「ただあなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい。」(20節)
 
これは、他の事を喜んではいけないと言っているのではありません。
なぜなら、聖書には次のように書いてあるからです。
いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。(ピリピ4:4)
いつも喜んでいなさい。(1テサ5:16)
 
「名が天に書きしるされている」とは、どういうことでしょうか。
1つは、この地上での生涯が終わった後に、天国に行くことができるということです。
しかし、それは死後の世界の保証だけではありません。
もう1つは、救い主イエスさまが身代わりで死んでくださったということです。
私たちには、天国に持っていけない醜い部分があります。
それは、誰でも持っている罪なのです。
しかし、天国に入る基準は、「全く罪のない者」だけです。
ですから、私たちは誰ひとり天国に入る資格はなかったのです。
誰ひとりとして、天に名前が記されている者はいなかったはずなのです。
それを贖うために、イエスさまが十字架につき、身代わりに死んでくださったのです。
 
「人の価値は、その人が何をしたかによって測られるのではなく、その人のために他の人が何をしてくれたかによって測られる」という言葉があります。
たとえば宝石を見るとしますと、それがどんな宝石か、そんな規格の物かなどで判断できる人たちもいます。
しかし、私たちの多くは、それを手に入れるときに支払われた代価でその価値を測ります。
つまり、「・・万円のダイヤモンド」とか「・・万円のサファイア」とか言うようにです。
 
それでは私たちの価値はどうでしょうか?
私たちの価値は、神様にその愛するひとり子、イエスさまのいのちを捨てさせるほど大きいのです。
救い主・イエスさまは、いのちがけで愛してくれ、いのちがけで赦してくれたのです。
私たちはそれによって、名が天にしるされたのです。
私たちのために払われた代価、それは、イエス・キリストさまです。
ですから私たちは、神様にとって、イエスさまと同じ価値があるのです。
そして、イエスさまは、それを喜びなさいと言ったのです。
 
自分の存在の価値自体に喜びを見出す時、私たちはいつも喜んでいられます。
目の前にあらわれた成功や失敗に一喜一憂しない、本当の自分自身の価値を発見できるのです。
その時、私たちには、喜びと愛に満ちた生活が約束されます。
そして、そのために送られたのが、イエスさまです。
私たちに、存在の価値を与えるために、神様がくれた大きな大きな愛の贈り物です。
アドベント第1週、イエスさまという贈り物の大きな価値に、喜びましょう。
そして、私たち自身の大きな価値に、喜びましょう。
 
あなたの名前は、もうすでに、天国にしるされています。
喜びましょう、イエスさまという、大きな神様からの贈り物を。
喜びましょう、あなたという、かけがえのない存在を。
喜んで、喜んで、喜び続けましょう!
 
あなたのためにお祈りしています。



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