10   ペテロ(話そう10 2004.07.10)
シリーズ イエス様と話そう 10
『ペテロ』 マタイ 14:22-33
 
ペテロは、イエスさまの選ばれた十二弟子の中でもリーダー格と呼んでいい男です。
彼は感情的な男で、そそっかしくて、短気です。
その性格が災いしてか、失敗や失言も多い弟子です。
しかし、なぜか憎めない、親しみのわく男性でもあります。
この箇所から「喜びと希望があふれる祈り」について読み解いていきましょう。
 
イエスさまは5000人の給食の奇蹟(14章15節〜21節参照)の後、群衆を帰し、弟子たちを船に乗せ、ご自身は祈るために山に登られました。
ガリラヤ湖は、激しい突風や嵐で有名な湖です。
まわりの高原から峡谷を通って吹き下ろす冷たい空気と、湖面からの暖かい空気とがぶつかって引き起される激しい突風や嵐は、漁船を転覆させることもあります。
この箇所の嵐は、まさにガリラヤ湖の名物といっていいでしょう。
 
私は高校・大学とヨット部に入っていました。
高校のヨット部は弱くて、私の在籍当時、27年間連続して国体出場を逃していました。
一年生の時、ちょうど創部50周年ということで、記念パーティーが開催されました。
そこには、27年前に国体に出場し、その後、日本人初のヨットの世界チャンピオンになったN氏という先輩も来ていました。
私は質問する機会を得たので「どうしたら全国大会に出られますか」と聞きました。
それはまさに、このヨット部の悲願なのです。
 
N氏の答えは意外なものでした。
「全国大会に出たい」と思って練習しているうちは、いつまでたっても出られない。
そうではなく「全国大会で優勝する」とか「世界選手権に出る(全国大会優勝者の権利です)」と思って練習すれば、全国大会に出ることはその通過点として必ず手に入る。
全国大会出場がかなえられたということを前提として、その先に目を向けろ。
単純な私は、N氏のこの言葉を信じました。
「世界選手権に出る」が目標です。
そして次の年、N氏の言葉どおり、私は国体に出場し、数年後、世界選手権に出ていたのです。
 
苦しい時の神頼みという言葉の通り、私たちは苦しい時に神様に祈ることが多くあります。
その祈りに「請求書の祈り」と「領収書の祈り」があります。
「請求書の祈り」とは、苦しみの中で、苦しみを見つめ、神様にそれを取って下さいと祈るものです。
風邪をひいたとき
「神様、早くこの風邪を治してください」
これが請求書の祈りです。
「領収書の祈り」とは、苦しみの中で、顔を上げ、その先にある神様の祝福の中にいる自分を見つめる祈りです。
「神様、風邪がいやされた事を感謝します」
言い換えれば、現実に縛られているのが請求書の祈りで、祝福の約束に信頼しているのが領収書の祈りです。
 
ガリラヤ湖上の弟子たちが嵐に四苦八苦している時、イエスさまは山の上にいました。
祈るためにです。
神様との対話の時間、イエスさまにとってもっとも大切な時間です。
しかし、月明かりの中、困っている弟子たちを見つけたイエスさまは、ためらわずに弟子たちを助けに向かいます。
これがイエスさまの姿勢です。
ご自身にとって最も大切なものを投げ打ってまで、困っている私たちのところへ来てくださるお方なのです。
 
そんなイエスさまに対して、私たちには何が必要でしょう。
それは「顔を上げること」です。
顔を上げてイエスさまをしっかりと見ることです。
弟子たちは嵐の中で船を保つのに精一杯で、顔を上げることができませんでした。
イエスさまは「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と声をかけ、彼らの顔を上げさせたのです。(27節)
 
このあと、ペテロはまさしくイエスさましか見ていませんでした。
彼は愛するイエスさまのもとに行きたくなったのです。
イエスさまにお願いし「来なさい。」と言われると、なんのためらいもなく水の上に足を踏み出しました。
彼にはイエスさまの隣に立っている自分しか見えなかったのです。
イエスさまの約束の言葉に完全に信頼したのです。まさに領収書の祈りです。
 
しかし、彼は途中で風を見ました。
そして恐れ、現実に縛られたのです。
現実、それはニュートンが発見する以前から存在した万有引力でした。
彼は万有引力に引かれて、水の中に沈みかけます。
その時、彼はまたイエスさまに目を向けたのです。
「主よ。助けてください。」
ペテロの真骨頂です。
彼は失敗しても、またすぐにイエスさまに目を向けたのです。
 
イエスさまはどうされたでしょう。
第一にイエスさまは「すぐに」手を伸ばされました。
イエスさまは、私たちの苦しみをそのまま見捨てるお方ではないのです。
そしてペテロに言いました。
「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」
これは「私から目を離さないでいなさい」ということです。
ペテロは、イエスさまから目を離したとき、現実に縛られたのです。
ヘブル人への手紙の12章にはこのような言葉があります。
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。
イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。
 
現実に縛られているならば、苦しみの祈りしか出てきません。
しかし、イエスさまから目を離さなければ、喜びと希望あふれる祈りが広がってくるのです。
 
あなたの苦しみの時に、その苦しみに心を奪われてはいけません。
あなたの悩みの時に、その悩みに支配されてはいけません。
顔を上げて、その先にある神様の祝福と安らぎに、瞳を凝らしましょう。
耳を澄ましましょう。
神様があなたの祝福を約束されました。
イエスさまは、いのちを捨ててまで、その約束を果たしました。
イエスさまから目を離してはいけません。
あなたは、すでに、手に入れています。
喜びと希望あふれる祈りを。
 
あなたのためにお祈りしています。



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