9   姦淫の女(話そう09 2004.07.03)
シリーズ イエス様と話そう 09 
『姦淫の女』 ヨハネ 8:3-11
 
今週は『姦淫の女』の聖書箇所から、『イエスさまの挑戦』というメッセージです。
 
姦淫の現場で捕らえられた女が、イエスさまの前に連れて来られます。
神様の与えた律法では、姦淫は死刑です。
イエスさまに意見を聞くことなど何も必要なく、死刑は確定しているのです。
しかし彼らは、イエスさまを陥れるための道具として彼女を利用したのです。
どんな答えをしようと、それを利用してイエスさまを陥れようとしたのです。
 
もしイエスさまが彼女を赦したなら、イエスさまは律法を破ることになります。
神様の与えた律法を破るということは、神様にそむくという事になります。
イエスさまの活動を「罪を軽視する堕落した宗教」と攻撃することができます。
 
そして、赦さなかったなら、つまり死刑を宣告したなら、2つの攻撃ができます。
1つは、イエスさまの伝道の中心は「愛」と「赦し」でした。それを粉砕できます。
もう1つは、当時ユダヤはローマの植民地で、死刑を宣告する権利がなかったのです。
イエスさまをローマの敵にすることができたのです。
 
イエスさまは、この窮地において、指で地面に書いておられました。(6節・8節)
何を書いていたのかは定かではありません。
聖書に書いてないからです。
いろいろな説がありますが、ここでは何を書いていたかが大問題なのではなく、何のためにそうしていたかが重要です。
イエスさまは、彼らに時間を与えたのです。
彼らが自分自身を見るため(知るため)の時間です。
 
6節でイエスさまが書いていたのは、彼らが繰り返し問い続けるためです。
そのことによって、彼ら自身の残虐さを知らせたかったのです。
一人の女性の命をイエスさまを陥れるための道具としている姿。
神様の権威をもって人を裁き、人を捨てる残酷さ。
彼らに問い続けさせることで、それはいっそう鮮明になっていきます。
 
そして、そこでイエスさまは言われました。
「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい。」
そしてもう一度イエスさまは地面に書きます。
この時間で、イエスさまは、彼らに自分自身の罪深さを知らせたのです。
 
イエスさまは彼らの人生に挑戦しました。
じっくり自分自身を見つめる時、自分自身の残虐さ・罪深さを知る時、それは神様の「愛」と「赦し」を知るチャンスです。
未来を変えるチャンスです。
神様の「愛」と「赦し」を受けなさい。
私の十字架はあなた方のためのものだ!
イエスさまは無言で彼らに呼びかけているのです。
イエスさまが書いている最中、彼らは年長者から一人一人帰っていきます。
美しい風景です。
その帰って行く一人一人を、イエスさまは招いているのです。
 
そして彼女にイエスさまは言われました。
「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。今からは決して罪を犯してはなりません。」
 
人間は過去でできていると考えることができます。
過去が現在をつくり、現在が未来をつくるという考え方です。
因果応報もその1つでしょう。
しかしイエスさまはそうではありませんでした。
イエスさまは、過去がどうだったからではなく、未来にどうなるかを問題とされました。
 
イエスさまは彼女の人生にも挑戦されたのです。
イエスさまは彼女に「赦す」とは言っていません。
しかし、彼女を信頼し、未来の彼女の人生に挑戦したのです。
過去の重荷はイエスさまが担います。
イエスさまの十字架は、私たちの過去を担ってくださったのです。
聖い未来への挑戦なのです。
 
パリサイ人や律法学者のその後も、彼女のその後も聖書には書いてありません。
いわば未完の物語です。
そして、私たちの人生もいまだ未完成。
イエスさまは私たちの人生に挑戦しています。
 
イエスさまは、あなたを愛するがゆえに、あなたの人生に挑戦します。
あなたの過去に、十字架の血潮で挑戦し、罪の赦しを与えます。
あなたの現在に、信頼と愛で挑戦します。
あなたの未来に、聖さと祝福の人生をつくり出す挑戦をします。
イエスさまの挑戦、それは命をかけた挑戦です。
あなたは背を向けて逃げますか?
それとも、イエスさまの挑戦に向き合いますか?
 
あなたのためにお祈りしています。



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