19   マタイ(話そう18 2004.09.18)
シリーズ イエス様と話そう 18
『マタイ』 マタイ 9:9
 
今週の聖書箇所は、たったの1節です。
過去70回のメッセージ中で、最も短い聖書箇所です。
しかし、この1節を理解するために、ぜひ、マタイ第8章と第9章をお読みいただきたいと思います。
そういった意味では、今週は今までで最も長い聖書箇所にあたるのかも知れません。
 
マタイの福音書の第5章から第7章は「山上の垂訓」です。
その後に続く第8章と第9章は、奇蹟のオンパレードと言っても差し支えがないほど、イエスさまの奇蹟が書かれています。
らい病の人のいやし(8:1-4)、百人隊長のしもべのいやし(8:5-13)、ペテロの姑のいやし(8:14-15)、大勢の悪霊につかれた人のいやし(8:16)、湖で嵐を静める奇蹟(8:23-27)、ガダラでの悪霊追い出し(8:28-34)、中風の男のいやし(9:1-8)、マタイへの呼びかけ(9:9-13)、会堂管理者の娘の生き返りと長血の女のいやし(9:18-26)、2人の盲人のいやし(9:27-31)、悪霊につかれて口のきけない人のいやし(9:32-34)、たくさんの者のいやし(9:35)
 
こう見ると、奇蹟奇蹟奇蹟奇蹟奇蹟「マタイへの呼びかけ」奇蹟奇蹟奇蹟・・・・・となっていて、明らかに位置が違うような印象を受けます。
しかし、これは間違いでも場違いでもなく、ここに書かれるべき必然性があるのです。
むしろ、ここにあるどの奇蹟よりも、最も大きな奇蹟と言っていいのです。
 
イエスさまの言葉から、それを考えてみましょう。
イエスさまは奇蹟をおこされた後に、様々な言葉を語っています。
らい病の人のいやしでは「気をつけて、だれにも話さないようにしなさい。」、百人隊長のしもべのいやしでは「あなたの信じたとおりになるように。」、湖で嵐を静める奇蹟では「なぜこわがるのか、信仰の薄い者たちだ。」、長血の女のいやしでは「あなたの信仰があなたを直したのです。」、2人の盲人のいやしでは「決してだれにも知られないように気をつけなさい。」
 
しかし、マタイへの呼びかけの後には、次のように言われました。
「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。 『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」(9:12-13) 
まさに、この奇蹟は、イエスさまが来られた目的にかなっているのです。
イエスさまの目的どおりの奇蹟であるなら、最高の奇蹟といえるでしょう。
 
また、そのときマタイは取税所に座っていました。
取税人であるマタイが取税所に座っていたということは、仕事の真っ最中ということです。
ペンを手に取り、税金を取るための計算・手続きをしていたかもしれません。
そのマタイが、イエスさまの呼びかけに、ペンを捨て、立ち上がって、従ったのです。
仕事の最中の取税人が仕事をやめて立ち上がる。
これは普通考えられないことです。
そして、イエスさまに従う。
これは、ペテロたち漁師が従ったときよりも、重大な決断です。
なぜなら、それは後戻りが出来ない決断だからです。
漁師は失敗したら、また漁師に戻ることは比較的容易です。
しかし、取税人は元の取税人に戻ることは出来ません。
さらに、元取税人を雇ってくれる人は皆無でしょう。
それほど、取税人はユダヤ人から嫌われていたのです。
そういった意味でも、最高の奇蹟といえるでしょう。
 
そして、イエスさまは、現代の私たちにも呼びかけています。
「わたしについて来なさい。」
それは、イエスさまを自分のための救い主と信じる人生への招待です。
素直に従える人もいるでしょう。
なかなか踏ん切りがつかない人もいるでしょう。
呼びかけに応じたマタイの人生が、私たちに勇気を与えてくれます。
 
マタイは財産や仕事などすべてを捨てて、捨てたすべて以上のものを得ました。
彼は、イエスさまによって、心の底からの自由を受け取りました。
彼は、なんと、イエスさまの12弟子の1人に選ばれました。
彼は、本当に信頼できる友が与えられました。
彼は、イエスさまから、本当の愛を受け取りました。
彼は、永遠の命を手に入れました。
彼の人生は、喜びに満たされていました。
彼の生涯は、祝福に満ちあふれたものでした。
まさに、考えられ得る最高の人生でした。
 
しかも、その生涯を閉じた後、予想もしなかったほどの祝福を彼は受けたのです。
彼は税金を取り立てるためのペンを捨てました。
しかし、彼は再びペンを取ったのです。
それは、税金を取るためではありません。
そう、このマタイの福音書を書くためです。
彼が死んで約2000年たった今でも、彼の福音書は光り輝いています。
そして、その間、数え切れないほどの多くの世界中の人々が、この福音書を読み、永遠の命を得ているのです。
彼には、最高の地上の生涯を閉じた後、もっと最高の祝福が訪れてきたのです。
 
それは彼に限りません。
アブラハムもそうでした。
彼も神様の呼びかけに答えて立ち上がりました。
彼の生涯は神様に祝福された最高の生涯でした。
そして彼の死後、彼が考えも出来ないような大きな祝福が彼の子孫に与えられていきます。
箱舟を作ったノアや、エジプトから人々を解放したモーセや、か弱い異邦人の女性のルツだって、最高の生涯を閉じた後、もっと最高の祝福が訪れてきています。
しかも、彼らが生きている間に予想できる最高をはるかに超えた最高の祝福です。
聖書の中のそういう祝福を受けた人について語っていくなら、きっと何日でも語り続けることが出来るでしょう。
 
そして、この奇蹟が今、私たちの人生に臨んでいるのです。
あなたは今、何を握って生きていますか? 財産・名誉・仕事・周りの評価・・・・
これらすべてを捨てて、イエスさまと共に生きるなら、もっと最高の祝福ある生涯を得ることが出来ます。
もっと最高の生涯の後に、もっともっと最高の祝福を得ることが出来ます。
予想もつかないほど、数え切れないほど、祝福があなたを待っているのです。
 
「わたしについて来なさい。」
イエスさまがあなたに呼びかけます。
それは、あなたの人生に起こる、最高の奇蹟への入り口です。
予想もつかないほどの、とびっきりの祝福があなたを待っています。
そして、あなたが残した祝福が全世界を包みます。
祝福の奇蹟を、あなたが起こすのです。
イエスさまの呼びかけに、立ち上がって答えましょう。
 
あなたのためにお祈りしています。



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