08年 1月20日
「救い主のしるし」
ルカの福音書 11章 29〜32節
紀元前63年のローマ支配以降、ユダヤ人たちは王国を再興してくれる
メシヤの登場を待ち望んでいた。聖書にも記されているメシヤを名乗り、
何人もの者が蜂起をしては滅びていった。イエスに対しても「またか」
「本当に彼はメシヤなのか?」といった反応があったことだろう。
衆目にさらされていたイエスに、好奇心で「天からのしるし」を求める者も
少なくなかったことだろう。しかしイエスは、そのような人々に「しるし」を
見せることはなかった。奇蹟を見せることによって一時的な宗教的高揚を
喚起できても、真の救いに導けるとは考えていなかったのだ。
ソロモンよりもまさった、彼に知恵を授けた方を信じなければ、ヨナよりも
まさった、彼を遣わした方を信じなければ、人は救いをいただけないのだ。
「ヨナのしるし」とイエスが仰せになった救い主のしるし
──すなわち、全人類の罪のためにイエスは十字架にかかり、
死なれ、そして三日目に復活を果たされた。──
それが実は自分のためにでもあったということこそ、
私たちに与えられた唯一の「天からのしるし」なのだ。
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