08年 8月10日
「喜びの礼拝」
詩篇 100篇1〜5節
わたしたちクリスチャンの生活は、自発的に全生活もって神に「仕える」
ことだ。生活のすべての時、場所において身もたましいも神のものとして
仕えるのだ。自分が楽しむためでもなく楽をするためではなく、時間を
費やしお金を費やし、エネルギーを費やしてでもお仕えするものなのだ。
イエス自身がそうだった。「私は仕えられるためではなく、仕えるために
来た」とおっしゃった。わたしたちを死と呪いの中から救うためにご自身
をも喜んでおささげ下さったのだ。このイエスの十字架を信じる者は
誰でも救いをいただくことができるのだ。おおよそふさわしくないものが、
神の民と呼ばれ、神の牧場の羊と言われている。かつては望みの
なかった者が、望みを抱いて喜ぶ者とされている。それは神からの
一方的な契約に基づいている。わたしたちと契約の関係にあられる神!
この世の状態がどのようであろうと、私たちにどんなことが降りかかろう
とも、神との契約は揺らぐことはない。礼拝とは感謝をささげ、
神の御名をほめたたえることだ。感謝しつつ、教会の門をくぐろう。
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