礼拝500字メッセージ
---ある出席者のレスポンス---

09年 1月11日

「自分を知る幸い」
マタイの福音書 5章1〜3節

「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだから。」
聖書の言う「幸い」とは何か。富や名誉といった移ろいやすいものを
得ることではない。「幸い」とは神に祝福されていることである。
苦しい経験や困難、起こって欲しくない禍があっても、神の約束も
祝福も変わることはない。この世の荒波にもまれていても、私たちの
下には永遠のみ腕がある。これこそ揺るがぬ「幸い」だ。
「心の貧しさ」とは何か。このことばは金銭的な富の有無を云々する
ものではない。「自分は豊かになったと言っていて、実は自分が
惨めで、哀れで貧しく裸であることをことを知らないでいる。」
ことなのだ。聖書で示されなければ、それを知ることもなかったろう。
それを知ってもなお、それを認めようとせず恵みを受け取ろうとは
しない頑なさこそ、私たちの「心の貧しさ」なのだ。
「心の貧しい者」とは、その「心の貧しさ」を知る者のことだ。
「心の貧しい者」は自分をよりどころなどにはできない。
そのような「心の貧しい者」こそが幸いなのだ。
それは、イエスを見上げることができるからだ。イエスを見上げ、
「満たしてください。用いてください。生かしてください。」と祈ることが
できるからだ。聖書は心の鏡であると言われている。自分が自分の
貧しさを自覚するのは十字架のキリストの前に立つ時だ。
貧しい者が愛されている幸い。貧しい者が神の子とされている幸い。
栄光の富と力、愛、知恵と恵みに富む神に祈り、
私たちのその貧しさを満たしていただこう。

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