牧師による
礼拝500字メッセージ

10年 1月10日

「律法の完成」
ローマ人への手紙 8章11節後半

「律法学者やパリサイ人の義にまさるもの」=「十字架のキリストを信 じる信仰
による義」であるとして安心する者がいますが、イエスさまの このお言葉の意味
するところはそんなことではありません。キリストの 十字架を信じて義とされた者
たちが、その絶大な恵みに応えて、生活の中で具体的にどのように生きようと
しているのかが問われているのです。
「信じた。赦された。それで終り。」というのが福音ではありません。 それでは、
キリストの十字架をただ、私たちの良心を安心させるために 使っているだけの
ことになります。もっとはっきり言えば、誤魔化して いることになります。
それでは、キリストの福音が迷信的、ご利益主義 的なものになってしまいます。
信仰、罪の赦し、義とされること・・・・・ ・、すべてはただ、神さまのあわれみ、
イエスさまの恵みによるもので ありますが、それらは、私たちを責任ある生活に
目覚めさせるものなのです。だから、私たちは神さまの栄光を現すため、喜んで
みことばに従 い、聖い生活に身を投じ、礼拝を重んじ、積極的に献金をし、
自発的に 節度と規律のある生活に加わりたく願うのです。
結局のところ、「律法学者やパリサイ人の義にまさる義」は、キリスト・ イエスを
死者の中からよみがえらせた神の御霊によって、
私たちにもた らされるものなのです。
(S.G)

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