礼拝説教メモ
ルカの福音書24章33-43節
2人の弟子は、エマオへの道で、イエス様に聖書全体から
ご自身について書いてある預言を説き明かされた。
イエス様との再開からではなく、聖書のみことばを理解する事から
心が燃えた二人の弟子たち。
パンを裂かれ、弟子たちに渡されるとイエス様の姿が消えた。
食事もまだ食べていないのに、
夜であったのに(強盗や暗い夜道の危険があったのに)、
エルサレムまでまた2時間ほどもかかるのに、
二人の弟子はすぐにエルサレムに戻ります。
使徒たちに会って、この出来事を伝えたい !
悲しみと恐れの中、意気消沈している彼らを励ましたい!
鍵が掛けられていた使徒たちの集合場所に入ると、
予想外にその場は興奮に溢れていた。
シモン(ペテロ)にもイエス様が現れたと
復活について話されていたのだ。
6人の証言が一致した。
3人の女たち→2人の弟子たち(男)→使徒ペテロ(リーダー)
証言がより確実に、信ぴょう性が増していった。
その喜びの最中に
イエス様ご自身が彼らの真ん中に立たれた。
彼らはイエス様の”霊”だと思い(部屋は鍵がかけられていたから)
驚き恐れた。
そんな彼らに、イエス様は”栄光のからだ”を示された。
イエス様の復活は肉体をともなっていた。
十字架の傷跡が残る手と足、槍が刺された脇腹、
そして今まで何度も見たイエス様が魚を食べられる御姿。
”栄光のからだ”は、見る事ができる、話す事ができる、
ふれる事ができる、食事をする事ができる。
この世の必要にも、天国の必要にも従う事ができる”栄光のからだ”。
やがて私たちにも再臨時の復活において、
”栄光のからだ”が与えられる。
ピリピ3:20-21、1コリント15:40-44、コロサイ3:1-4、ローマ8:29-32
仏教思想が文化的な背景にあるので、私たちは
死後は”霊”として存在する と想像しがちだ。
輪廻や成仏などの影響。。。
しかし復活は肉体がともなうということをイエス様が示された。
聖書は私たちもイエス様と同じように、
肉と骨を持ち、飲み食いが出来る、永遠の”栄光のからだ”を持つと教えています。
一言:神の国が来たならば、イエス様と共に聖餐を肉と骨のある”栄光のからだ”で味わうことでしょう。
ルカ22:15-19
大きな希望を持って、復活に備えましょう。