ある本を読みました。
日本人は、人は生まれながらにして良い存在であり、悪いことは成長とともに覚えていくといった「性善説」が思想・世界観の根底にあります。そして、罪は人の心から生じるのではなく、行いとして外からおこるものと捉え、謹慎や償いやお祓いによって赦され、落とされ、忘れられて清められると考えられているそうです。「誰でも叩けば埃が出る」、「根っからの悪人はいない」という言葉をよく聞きます。どのような人でも受け入れる事のできる日本的な「温かさ」「大らかさ」は、こういうところから来ているのかなと考えたりもします。
一方キリスト教では、生まれながらにして人は罪ある者として生まれたと教えます。その証拠に人は良いことは教えられなければできませんが、悪いことは教えられなくてもできます。その罪ゆえに神の裁きを受けると教えています。
罪の理解がずいぶん異なっていますね。クリスチャンとなり、罪や過ちを失敗として受け止め、深刻に考えることを避ける傾向は、自分自身を高く評価したい欲望の産物なのだと知りました。非常に厳しい。しかし、それを知り得たことは非常に嬉しい。
罪の解決方法を見てみると、神道では晦日の大祓いによって、国民の罪や汚れが全て取り除かれていると考えられているそうです。
キリスト教では、罪を悔い改め、イエス・キリストの十字架の血によって清められなければなりません。どちらも罪の清めが必要であることを強調しています。
罪はそのままで水に流すことはできません。罪は知らず知らずになくなることはありません。