レプタ2枚をささげたやもめ

現在聖書の学びをしているのですが、聖書について、みことばを知るということについて学んでいます。

そしていかに私たちが聖書を正しく理解することが大切かということを気付かされています。

その例としてマルコの福音書12章、ルカの福音書21章に記されている「レプタ銅貨2枚をささげたやもめ」の箇所を見てみました。

この箇所はよく献金のささげ方、その理想的な例として語られることが多いように思います。

しかしその前からの文脈を見てみると、イエス様は決してそのような意図で語られたものではないことを知ることができます。その直前には人一倍厳しいさばきを受ける律法学者たちが「やもめの家を食いつぶしている」とイエス様は言われました。その直後にこのやもめの献金が記されています。この流れからこのやもめは彼らに家を食いつぶされていたので、生活費の全部を献金箱に投げ入れたのです。

つまりこのやもめの姿は献金の理想的なささげ方を教えているのではなく、律法学者たちの罪深さとその犠牲を教えているのです。

イエス様の「みなは、あり余る中から献金を投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、持っていた生活費の全部を投げ入れたからです。」という言葉はやもめをほめているのではなく、彼女の状況を知らない弟子たちに対して、彼女の財産の献金に占める割合を教えているに過ぎないのです。

もし牧師がこの箇所から「このやもめのようにささげなさい」と語るならば、まさに人一倍厳しいさばきを受ける律法学者になってしまうのは恐ろしいことです。

この箇所を学んで、ある方は「これが献金の理想像ではないということを知って解放されました」と言っておられました。

 

私たちの献金のささげ方は1コリント9:6-15に記されています。

そこにはささげる者に対して神様からのあふれるばかりの恵みと、蒔いた収獲というダブルの祝福が記されています。

 

コメントを残す

名前 *
メールアドレス *
サイト