神に喜ばれるように
私たちはともすれば、人に喜ばれようという動機で行動をしてしまいます。
職場の上司に喜ばれるように行動すれば、査定が良くなるかもしれない
査定が良くなれば昇進や昇給も早く、他に先んじられるかもしれないと考えるからです。
けれどもそうした場合、もし上司が間違っていることをしていた場合
どうするでしょうか?きちんと、指摘できるでしょうか?
間違いの指摘は、おそらく喜ばれないでしょう。
そうなると、本来指摘すべきはずの誤りを
容認してしまったり、うやむやにしてしまうことになります。
これは上司にとっては助かる事かもしれませんが、正しいことではありません。
人を喜ばそうとすると、得てしてそういうことになりがちです。
しかしパウロはこう語っています。
「人間に喜ばれるためではなく、神に喜ばれるように福音を語ります」
福音は、「あなたの罪はゆるされます」というメッセージです。
その前提は、「あなたは神の前に罪人です」というものなのです。
ですから、これを聞く人たちは「俺を罪人呼ばわりするのか!」と怒る可能性もあるのです。
人に喜ばれない可能性が、多々あるのです。
人に喜ばれようとすると、福音が語れなくなってしまうのです。
しかしパウロは、神に喜ばれるように福音を語ったのです。
【今日の聖書】
かえって、わたしたちは神の信任を受けて福音を託されたので、
人間に喜ばれるためではなく、
わたしたちの心を見分ける神に喜ばれるように、福音を語るのである。
テサロニケの信徒への手紙一 2章4節