今日のできごと


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2025/3/13(木)

 

人に見てもらうために祈るのではない

1.動機が問われている

 いかなる良い行いも、その内容よりも動機が問われます。
 自分の立派さを人々に示すために、見てもらおうとして行うことはこれは偽善になります。
 隣人のための行動のように見せかけて、自分のためにしているからです。

 「見てもらおうとして、人の前で善行をしないように注意しなさい。
  さもないと、あなたがたの天の父のもとで報いをいただけないことになる。
 マタイによる福音書 6章1節

2.東日本大震災時の災害支援作業の体験

 これは東日本大震災の災害支援時に、体験しました。
 支援物資が次から次へと送られて来て、それをどんどん避難所に届けなければならず
 特に生鮮食品類はすぐに出かけて行く必要があって、そういう作業を続けていたのですが

 その報告をする時に、「見てくれ、自分はこんなにやっているんだ」という気持ちがありました。
 そこにあったのは、虚栄心でした。自分の働きを誇示したいという動機が、ありました。
 人に自分の実績を誇示したい、賞賛を得たいという気持ちが確かに潜んでいました。

 子どもが親に「見て見て、僕こんなにやってるんだよ!すごいでしょ!」
 というのと同じです。
 人に見てもらうために働くというのは、自己中心であり隣人愛ではないのです。

3.祈りも動機が大切

 祈る時も、その心の中が問われています。
 特にみんなの前で代表して祈る時、立派な祈りをしようといういう気持ちでいてはなりません。
 神は、言葉ではなく心を見ておられるからです。

 イエスの時代、人に見てもらうために
 会堂や大通りの角に立って祈りたがる人々がいたようです。
 彼らのことをイエスは、偽善者と呼んでいます。

むすび.神が心を見ておられると信じて祈る

 私たちは、人に見てもらうために祈りません。
 神に聴いていただくために、祈ります。
 そして、神が心を見ておられると信じて祈るのです。

 【今日の聖書】
 「祈るときにも、あなたがたは偽善者のようであってはならない。
  偽善者たちは、人に見てもらおうと、会堂や大通りの角に立って祈りたがる。
  はっきり言っておく。彼らは既に報いを受けている。
 マタイによる福音書 6章5節


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