今日のできごと


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2025/4/24(木)

 

自分は正しい

1.神だけが正しい

 一番の罪は、何でしょうか?
 「神を神としないこと」です。
 「神を無視し自分が神になっている」ことです。

 「自分の考えが正しい基準で、自分のやり方が最善」という考え
 これこそが、最大の間違いなのです。
 「神だけが完全に正しいお方で、神のやり方こそが最善」なのです。

2.「私は正しい」は間違い

 「自分は正しい」と考えていたのが、ファリサイ派の人々や律法学者たちでした。
 イエスはファリサイ派の人々が、「自分は正しい」という間違った考えをしていたことを
 その話の中で、語っておられます。

 ファリサイ派の人は立って、心の中でこのように祈った。
 『神様、わたしはほかの人たちのように、奪い取る者、不正な者、姦通を犯す者でなく、
  また、この徴税人のような者でもないことを感謝します。
  わたしは週に二度断食し、全収入の十分の一を献げています。』
 ルカによる福音書 18章11〜12節

 ファリサイ派の人々の根本姿勢は、「私たちは正しい」という姿勢でした。

 言っておくが、義とされて家に帰ったのは、この人であって、
 あのファリサイ派の人ではない。
 だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。」
 ルカによる福音書 18章14節

 この時ファリサイ派の人は、神の前に「義(正しい)」とされていません。
 義の反対である、「罪」のままだったのです。
 徴税人だけでなく、ファリサイ派も正しくなかったのです。

 ファリサイ派の人々や律法学者たちは、その誤りをイエスから
 厳しく指摘されています。

3.「私は正しくあり得ません」という姿勢で生きる

 私たちの姿勢はいつも、「自分は正しくあり得ない罪人です」という
 神の前に、へりくだった姿勢であるべきなのです。
 そのへりくだりの姿勢こそが、神に喜ばれる姿なのです。

 私たちは、「自分は正しい」という思いを捨て去って謙虚に生きるべきです。

 ところが、徴税人は遠くに立って、目を天に上げようともせず、胸を打ちながら言った。
 『神様、罪人のわたしを憐れんでください。』
 ルカによる福音書 18章13節

 この徴税人のような姿勢こそ、私たちに求められているものなのです。
 この徴税人とファリサイ派の人の話は、「自分は正しい人間だとうぬぼれて、
 他人を見下している人々」に対して語られた話なのです。

 自分は正しい人間だとうぬぼれて、他人を見下している人々に対しても、
 イエスは次のたとえを話された。
 ルカによる福音書 18章9節

むすび.私は正しいと考えていませんか?

 今心の中で、どのような考えをしているでしょうか?
 「私はあの人よりも正しい」「私が正しくて他の人が間違っている」
 これこそが、ファリサイ派の人の心の中と同じものなのです。

 確かに徴税人は罪を犯していました。間違っていたのです。悪かったのです。
 しかし、自分と徴税人を比べて自分の方が正しいとしてはいけなかったのです。
 ファリサイ派の人のように「神の前に義とされなかった」とならないように

 「私はあの人よりも正しい」「私が正しくて他の人が間違っている」という考えを
 完全に捨て去っていきましょう。
 神のみが、完全に正しくあり得るお方なのです。

 【今日の聖書】
 イエスはこれを聞いて言われた。
 「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。
  わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」
 マルコによる福音書 2章17節


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