律法がなしえなかったこと
旧約聖書を見る時、「罪を犯すな」という律法を
人々はどうしても守る事ができなかった、ということがわかります。
旧約時代の人々だけでなく、今に生きる私たちも同じです。
「してはならない」ということをしてしまい、
「しなさい」ということは、やらずにおいておいてしまうのです。
すなわち、神の律法を守る事ができないのです。
律法を完全に守らなければ、神の前に義とされないのですが
誰もが完全に守る事ができないので、誰も自分の力では神の前に義とされないのです。
そのために、神の御子イエス・キリストが遣わされました。
キリストは罪を持たないお方でした。
しかし、私たちの罪をその身に受けて十字架で神の裁きを受けて下さいました。
私たちの罪の裁きは、イエス・キリストの十字架で完了したのです。
ですから、私たちは何の良い行いをすることなしに罪の赦しを頂けるのです。
一生懸命に神の律法を完全に守って、神の前に義とされようとする必要はなくなったのです。
イエス・キリストを信じるだけで、神の前に義とされるのです。
義とされるようにではなく、すでにキリストによって義とされたから
私たちは、神の前に聖く生きようとするのです。
泥だらけの汚い服をきれいにクリーニングしたら、二度と汚さないように注意するのと同じです。
【今日の聖書】
肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。
つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、
その肉において罪を罪として処断されたのです。
ローマの信徒への手紙 8章3節