エリファズはヨブを裁いた
1.エリファズはヨブが間違いを犯したと考えヨブを諭そうとした
エリファズは、ヨブに向かって次のように語ります。
「呼んでみよ、あなたに答える者がいるかどうか。
聖なるものをおいて、誰に頼ろうというのか。」
正しい自分が、罪の中にいるヨブを諭そうとするという姿勢でした。
さらに、エリファズは語ります。
「愚か者は怒って自ら滅び、無知な者はねたんで死に至る。」
あたかも、ヨブが怒りを抑えられない愚か者だから滅びに向かっており
ヨブが無知なために、ねたみを抑えられずに死に至ろうとしている、
という含みを持たせた、ヨブを徹底的に裁いて押さえつけるような言葉でした。
2.エリファズはヨブが財産や子供や健康を失ったことを神の裁きだと考えた
そして自分が愚か者を呪った言葉を語って、ヨブも同じだと臭わせるのです。
愚か者が根を張るのを見て
わたしは直ちにその家を呪った。
「その子らは安全な境遇から遠ざけられ
助ける者もなく町の門で打ち砕かれるがよい。
彼らの収穫は、飢えた人が食い尽くし
その富は、渇いた人が飲み尽くし
その財産は、やせ衰えた人が奪うがよい。」
ヨブ記 5章3〜5節
「ヨブよ、お前も愚かになったから財産も子供も健康も奪われたのだ」
という隠れた声が、この言葉から聞こえてくるのです。
子供を失ったヨブに「その子らは安全な境遇から遠ざけられ」と語り
財産を失ったヨブに「その富は、渇いた人が飲み尽くし
その財産は、やせ衰えた人が奪うがよい。」と語るのです。
まさに、ヨブを裁いて叩きのめす言葉です。
3.エリファズはヨブに自分なら神に任せると語った
そして、「自分なら神に訴え神に任せるのに」と
あたかもヨブが、神に訴えもせず任せてもいないかのように決めつけるのです。
彼は「ヨブは罪に落ちて神に裁かれて苦しみを受けているんだ」と、思い込んでいたのです。
わたしなら、神に訴え
神にわたしの問題を任せるだろう。
ヨブ記 5章8節
しかし実際は全く違っていました。
ヨブが、世界中の誰よりも聖く正しく生きていたからこそ、
あえて神は、ヨブがサタンに苦しめられることをゆるされていたのです。
むすび.エリファズはヨブが悪くて自分が正しいと考えた
自分の見解こそが正しくて、相手を間違っていると見下し押さえつける姿勢
それがエリファズの姿勢でしたが、これは誰にでも見られるのではないでしょうか?
自分こそが正しく判断し正しく行動している、というのは明らかに高慢な思いです。
この世の中で完全に正しいお方はただひとり、神しかおられません。
誰もがどこかで勘違いをし、誤解をしているのです。
そしてその誤解のゆえに、裁いてはいけない人を「罪人だ」と裁いてしまっているのです。
私の中に、エリファズのような思いがなかっただろうか?
全てを知っているわけでもないのに、一部を見て聞いて間違った判断をしていなかっただろうか?
今日は、そのことを考えて心を神に探って頂きたいと思います。
【今日の聖書】
呼んでみよ
あなたに答える者がいるかどうか。
聖なるものをおいて、誰に頼ろうというのか。
愚か者は怒って自ら滅び
無知な者はねたんで死に至る。
ヨブ記 5章1〜2節