異邦人のための救い

2025年5月18日、復活節第5主日C
使徒言行録11:1-18、ヨハネ13:31〜35

第1朗読 使徒言行録11: 1〜11 (新213)
11:1-2テオフィロさま、わたしは先に第一巻を著して、イエスが行い、また教え始めてから、お選びになった使徒たちに聖霊を通して指図を与え、天に上げられた日までのすべてのことについて書き記しました。 3イエスは苦難を受けた後、御自分が生きていることを、数多くの証拠をもって使徒たちに示し、四十日にわたって彼らに現れ、神の国について話された。 4そして、彼らと食事を共にしていたとき、こう命じられた。「エルサレムを離れず、前にわたしから聞いた、父の約束されたものを待ちなさい。 5ヨハネは水で洗礼を授けたが、あなたがたは間もなく聖霊による洗礼を授けられるからである。」 6さて、使徒たちは集まって、「主よ、イスラエルのために国を建て直してくださるのは、この時ですか」と尋ねた。 7イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は、あなたがたの知るところではない。 8あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。そして、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリアの全土で、また、地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」 9こう話し終わると、イエスは彼らが見ているうちに天に上げられたが、雲に覆われて彼らの目から見えなくなった。 10イエスが離れ去って行かれるとき、彼らは天を見つめていた。すると、白い服を着た二人の人がそばに立って、 11言った。「ガリラヤの人たち、なぜ天を見上げて立っているのか。あなたがたから離れて天に上げられたイエスは、天に行かれるのをあなたがたが見たのと同じ有様で、またおいでになる。」


聖書を二つに分けます。イエス様が生まれる前の部分を「旧約聖書」と言い、生まれた後の部分を「新約聖書」と言います。古い契約と新しい契約です。旧約聖書の人々との神様の約束で、新約聖書の人々との神様の新しい約束です。どのようにして神様がイスラエルの民と共に働いたか、どのようにキリスト信者と共に働くかとそれぞれ教えます。

旧約聖書は、父アブラハムの時から、イスラエルの民との働きの記録です。主なる神は、彼らを守ったり、導いたり、救い出したり、罰したり、再び救い出したりしました。旧約聖書の詩編は、主なる神への祈りと賛美です。しかし、イスラエル人が、主なる神の恵みと親しい関係が、イスラエル人だけの為であると思いました。たとえ、清い動物と汚れた動物や食べられる食べ物と禁じられた食べ物があるように、人間もそのようでした。イスラエル人として生まれなかった異邦人が、汚れていたと思いました。そのような人と接触してはだめ、結婚してはダメ、一緒に食事しては駄目でした。ローマ人の為に働く人、たとえ徴税人でも、罪人でした。ユダヤ人の宗教は、ユダヤ人だけの為でした。主なる神は、イスラエルの民だけを愛すると思いました。

しかし、新約聖書のメッセージとは、神は全世界を愛する事です。
* ヨハネ3:16、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
* バプテストのヨハネは言いました、(ヨハネ1:29)「見よ、世の罪を取り除く神の小羊だ。」
* マルコによる福音書の最後の方にこのように書かれています、(マルコ16:15)「イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。16 信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」
神様が愛するのは、ユダヤ人だけではなくて、全世界の人々もです。 神様が救いたいと思うのは、イスラエル人だけではなくて、神を信じるすべての異邦人もです。

イエス様の働きを見ましょう。差別がありませんでした。すべての人々を愛しました。貧しい人も金持ちも。おなかが空いた人々に食物を与え、徴税人のマタイと共にご馳走をいただきました。ユダヤ人も外国人も癒しました。例えば、(ルカ7:1)百人隊長のしもべや、(マタイ15:21)カナンの女の娘です。ある人と共に喜びまして、ある人と共に涙を流しました。そして、世の罪を赦す為に十字架上で死んで、信じるすべての人々に救いを与える為に甦りました。

それで、ヨハネ3:16の福音が全世界に延べ伝えられることです。マタイの福音書は、偉大なる宣教の派遣で終わります。(マタイ28:18)「イエスは、近寄って来て言われた。『わたしは天と地の一切の権能を授かっている。19 だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、20 あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。』」

初代の教会の人々は、この事をすぐ理解しませんでした。多くの人々が考えたのは、異邦人がまず、ユダヤ教に改心して、その後に、キリスト信者になる事が出来る事です。そして、最初の伝道の旅は、外国に住むユダヤ人の為でした。それは良いスタートでした。しかし、聖パウロは、異邦人が信じる事が出来、聖霊を受ける事が出来ると教えました。又、聖ペトロは、異邦人の家に行く事の理由を説明しなければなりませんでした。ペトロが見た幻を話しました。その幻は、すべての食物は神から与えられた物であるので、宗教的に汚れていないので、食べても良いです。同じように、どの人々でも宗教的に汚れていないので、その人との接触は、神様に許されています。救いはすべての者の為です。

私達は、新約聖書の教会です。自分達が救われた異邦人であると分かります。偉大なる宣教の派遣を受けました。それで、イエス様が命じられたように人生を送り、その生き方を教えます。その命令とは、お互いに愛し合う事です。言われました(ヨハネ13:34)、「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。35互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」

イエス様に愛されたように他の人を愛したら、この世界の人々を愛します。イエス様の時代のユダヤ人たちには、ユダヤ人がユダヤ人ではない人を助ける事が禁じられていました。社会的な接触してもいけませんでした。しかし、私達にはそれをする自由があります。「愛」と言いますと、義務的に人に親切にする訳ではなくて、しても良い事です、親切にする事が許されています。差別や社会的な地位が、新約聖書の中には教えられていません。聖ペトロは幻を見ました。食べ物が神様に清められたので、すべての食べ物が清いと掲示されていました。聖霊はその意味を聖ペトロに教えました。食物と同じように、神様によって清められたので、すべての人々も清められています。それは赦しです。それは和解です。十字架上のイエス様の働きです。即ち、ヨハネ3:16が言う通りです。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」私達は先ず、お互いに愛し合います。それで、自由になって、自分のグルップに入ってない人や、自分達と違う人を愛する許可があります。イエス様が私達を愛してくださる愛のようです。

アーメン。

マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会


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Michael Nearhood, Pastor
Okinawa Lutheran Church


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