新約聖書の中では、ヘロデと名付けられている王様が二人います。イエス様が生まれた時、エルサレムでイスラエルの王とは、ヘロデ・アンチパテル、即ち、ヘロデ大王です。十字架に付けられた時、その息子ヘロデ・アンティパスが、エルサレムより北の方、ガリラヤ地方だけの王でした。この二人の王はイエス様を殺したいと思いました。イエス様が生まれた時、博士達はエルサレムに来て、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。私達は東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです」と訪ねました。ヘロデの家の中には新しく生まれた赤ちゃんがいないので、その生まれた王は,約束されたメシアであると分かりました。その子供を殺す為に、人を送り、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させたのです。ですから、イエス様を守る為に、このように書いてあります:
マタイ2:13 「占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、私が告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」2:14 ヨセフは起きて、夜のうちに幼子とその母を連れてエジプトへ去りました。」
ヘロデ・アンチパテル、即ち、ヘロデ大王が死ぬまで、エジプトで住みました。
そののち、イエス様がガリラヤ地方で宣教する時、ヘロデ大王の息子ヘロデ・アンティパスもイエス様を殺そうと思いました。『そのとき、ファリサイ派の人々が何人か近寄って来て、イエスに言った。「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」』と。本当の脅しでした!ヘロデは、もうすでに、自分を非難したバプテスマのヨハネを逮捕し殺したのです。それで、ファリサイ派の人はイエス様が逃げるように、注意しました。もし、もう一度エジプトに行けば、ヘロデから安全でしょう。しかし、まるで、荒野でサタンに誘惑された時のようです。悪魔を拝むならば、また、エジプトに行けば、十字架から逃げる事が出来ます。しかし、そうしたら、私達の救い主になりません。
イエス様が子供であった時は、死ぬ時期ではありませんでした。大人になって、死ぬ時期が近ついて来ました。しかし、ガリラヤでヘロデ王に殺される事になりません。イエス様が知っていたのは、メシア、即ち、世の罪を取り除く神の子羊が死ぬ所とは、エルサレムでした。その前に、まだ、しなければならない仕事がありました。『「行って、あの狐に、『今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える』と私が言ったと伝えなさい。 33だが、私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ』と。
イエス様はヘロデから逃げされませんでした。同じように、エルサレムの総督(そうとく)ピラトからも逃げ去れませんでした。十字架から逃げませんでした。ゲツセマネの園にいる時、御自分を逮捕する為に兵士達が来ると分かりました。逃げるチャンスがありましたが、そうしませんでした。弟子達は、逮捕されないようにしようと思いましたが、イエス様は言われました、「私が父にお願い出来ないとでも思うのか。お願いすれば、父は十二軍団以上の天使を今すぐ送ってくださるであろう。しかしそれでは、必ずこうなると書かれている聖書の言葉がどうして実現されよう。」と(マタイ26:53,54)。
イエス様は神のご計画を知りました。ゲツセマネの園で祈りました、「父よ、できることなら、この杯を私から過ぎ去らせてください。しかし、私の願いどおりではなく、御心のままに」と(マタイ26:39)。それで、救いのご計画が成就されました。イエス様は神のご計画に忠実でした。
今日、先ず注目したい点とは、イエス様が私達から逃げない事です。いつも私達と共にいます:危険の時、病気の時、誘惑がある時,悪を怖れる時、死ぬ時です。人生のただ中、イエス様は私達と共にいます。それがあっても、私達がいつも安全でありません。いつも元気で、強く、嬉しく、けっして死なない訳ではありません。しかし、イエス様は必ず私達と共にいます。私達を愛し、赦し、勇気を与え、慰め、永遠の命を下さいます。
2つ目の注目したい点とは、私達には、逃げ去る方が良い時があります。危険から走って去る為に、神様は私達に2本の足を下さいました。善悪を知る為に脳みそを下さいました。選ぶ事が出来るように知恵を下さいました。殉教者になる時があるかも知れません。しかし、いじめられ迫害される時、キリスト信者はいつも死ぬ訳ではありません。その時、自分の信仰を告白して誰かをキリストに導く時があります。しっかり立つか、喧嘩を避けて逃げるか、神様の意志を知る為に、聖霊の知恵が必要でしょう。今日は、論争rons?する一番良い時ではないかもしれません。でも、どちらでも、イエス様は私達と共に行きます。
3つ目の注目したい点とは、イエス様が私達を捨てて、私達から決して逃げられない事です。私達が罪人でしても、私達がすぐ迷う羊でしても、イエス様は私達の事を諦めません。それは、聖書全体のメッセージです。私達人間の事を諦めません:アダムからノアへ、アブラハム、モーセ、ギデオン、ダビデ、エレミヤ、バプテスマのヨハネ、使徒達、キリスト教会の歴史もそうです。ですから、私達は、イエス様を諦めて、彼を捨てて、彼から逃げてはいけません。悪魔は荒野でイエス様を誘惑しました:父なる神様を信頼しないように試みました。同じように、悪魔やこの世や私達の罪深い心が父なる神様を信頼しないように試みます。病気の時、問題で困った時、心配事がある時、神様が自分を愛してくださらないと疑います。また、神様が自分を憎むと思うように誘惑されて、自分の罪の罰から逃げたいと思います。しかし、福音のメッセージとは、イエス様は御自分の上にその罪の罰を取った事です。その福音があるので、キリスト信者達は、イエス様のそばにいたいと思います。彼から遠く逃げたくないで、もっと近くに行きたいと思います。
聖礼典において、イエス様は、私達の近くに来られます。そして、私達はエルサレムの人々のコーラスに加えられています。『主の名によって来られる方に、祝福があるように』いと高き所にホサナ!
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会