終わる時
クリスマス後第一主日
2006年12月1日
今晩は、大みそかです。今日は、主なるキリストの年2006年の最後の日です。一年が終わりますと、この年と共に終わるべきものが沢山あります。即ち、新しい年に続かないで、今終われば良いと思うものが沢山あります。終わらせてもらいたいもののリストをつくり、後で、これらのものが終わるように祈りましょう。どこから始めましょうか。
1.
戦争
2.
内戦のような戦い
3.
憎しみと不信頼
4.
人種差別、国籍の差別、すべての迫害
5.
欲張りと不正な競争
6.
すべての暴力とハラスメント
7.
他の人とのケンカ
8.
プライドと傲慢
9.
他の人との問題
10. 自分の欠点と悪い癖
11. 自分の罪深い性質
12. など、等
どのようにしてこれらの事を終わらせることが出来るでしょうか。このリストは、何千年も前からこの世の問題ですし、又、すぐにすてられた新年の決意ばかりです。今晩の深夜12時でこれらのものが終わる希望があるでしょうか。実は、僕はかなり悲観的です。それなのに、イエス・キリストにあって希望があります。クリスマスをお祝いしたばかりですので、天使達の歌がまだ私たちの耳に残っています。「いと高き所には栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」あの歌は冗談でもなければ、いたずらずきなクリスチャンのギフトのようなものでもなければ、そして、そうではないと私は信じますが、平和と愛はベツレヘムで生まれたイエス・キリストによって与えられる神様の約束です。ですから、私の悲観的な思いを超える希望がここにあります。
「地には平和」と意味するのは、戦いが終わる事です。その平和を実現する為に、先ず、イエス様は悪魔と戦わなければなりませんでした。それをする場所とは、荒れ野、ゲツセマネの園、裁判の庭、そして十字架上でした。そして、3日目に、平和と希望と新しい命を与える為に、イエス様が復活しました。しかし、私達の為には、まだ戦いが終わっていません。世の終わりにイエス様が地上に戻る時その時、終わります。しかし、その間、私達には平和があります。罪の赦しによって、有罪であった状態が終わります。洗礼によって、悪魔が私達の罪を非難する事が終わります。信仰によって、地獄についての心配が終わります。神様を信頼する事によって将来に対する心配が終わります。愛によって人間と人間との間の壁(かべ)が終わります。このようにして、「地には平和」の平和が私達の心と人生に入ってきます。
実は、私はこの世に対して、いつも悲観的ですが、それなのに、イエス・キリストにあって希望があります。希望があるのは、神様の約束があるからです。その約束が私達の祈りに勇気を与えます。勇気を持って、先の終わらせてもらいたいリストのものが本当に終わるように祈ります、そして、主の祈りのすべての言葉を信じて主の祈りを祈ります。何故ならば、天国の父なる神様には、本当に、国と力と栄えがとこしえにあるからです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会
始まる時
元日、2007年1月1日
今日は元旦です。新しい年が始まって、それと共に始めてもらいたいものが沢山あります。と言うのは、昨年に無かったものが今年から始めてもらいたいものが沢山あります。始めたいもののリストを作りましょう。そして、後で、神様がこれらのことを始めるように祈りましょう。
1.
世界平和
2.
戦争の武器の破壊hakai
3.
愛と信頼
4.
国と国の間、人種の間、文化の間のお互いのそんけいしあうこと
5.
他の人々の幸福の為の働き
6.
他の人々に対して関心を持つ事
7.
ケンカと誤解の和解
8.
けんそん
9.
清い心と清いふるまい
10. 他の人を赦す事の出来る赦された心
11. 私達の心と人生の中に働く聖霊
12. など、等
どのようにしてこの事を始めることが出来るでしょうか。平和を造るには、何千年前から人々が頑張りましたし、又、作ったばかりの新年の決心が捨てられています。これらの事が今日から始まる希望があるでしょうか。実は、僕はかなり悲観的ですが、それなのに、イエス・キリストにあって希望があります。希望があるのは、クリスマスがあったのですし、イエス様ヨルダン川で洗礼を受けたからですし、罪を犯されなかったのですが、私達のようにイエス様が悪魔に誘惑されたのですし、イエス様が良い知らせを述べ伝えたからですし、神の国について説教したのでイエス様が苦しめられたからですし、私達の罪を赦す為にイエス様が死んで下さったからですし、イエス様が3日目に復活したからですし、聖霊が私達に信仰と力と導きを下さったからですし、イエス様が再びこの世に戻ると約束してくださったからです。これらの理由で、私には希望があります。
この新しい年に初めても良い、そのほかのものを先のリストに加えることが出来ます。個人的なものや自己中心的なものがありますが、とっても良いものがあります。例えば、
1.
愛と恋人や友達
2.
銀行の口座のお金や手の中のお金
3.
新しい車
4.
新しい仕事
5.
成功
6.
神様の愛を表す奇跡
7.
など、等
このリストのものは悪くありません。必要な物の為に祈るべきですし、人生が楽になるものの為に祈れば良いです。但し、祈りの理由が神様が私達の思のままに働いてくださるようにと願うための手段と考えてはいけません。神様は私達のしもべ、魔法のランプから出る私達のマジックのジーニではありません。私達が神様のしもべです。私達がいつも神様の命令に従わないのに、どうして人々は神様が人々の願う通りにしなければならないと思うのでしょうか。しかし、同時に、もし神様が私達の願い通りに答えをくださらなくても、神様が私達を捨てたと思ってはなりません。神様は、愛と知恵を持って、私達が神様のしもべとして働く事が出来るように必要なものを全部備えてくださいます。この事が理解できれば、本当に、新しい年を正しく始めました。
イエス・キリストがベツレヘムで生まれた時、神様は新しい事を始めました。地上の人間と新しい関係を始めました。この新しい絆で、新しい年を始めます。
僕はいつも悲観的ですが、それなのに、イエス・キリストにあって希望があります。神様の約束があるので希望があります。そして、その約束は私達の祈りに勇気を与えます。勇気を持って、先の始めてもらいたいリストのものが本当に始まるように祈ります、そして、主の祈りのすべての言葉を信じて主の祈りを祈ります。何故ならば、天国の父なる神様には、本当に、国と力と栄えがとこしえにあるからです。
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会
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