何時ですか。この忙しい世のために、子供にさえも時間を教える事はとっても大切な事です。テレビの漫画は何時からか、寝る時間、学校は何時からか分からなければなりません。大人には、仕事や予約の予定表があります。誕生日や祭日のカレンダーがあります。農家は正しい種を蒔く時期や収穫の時期が分からなければなりません。商売する人は、いつ買うかいつ売るか分からなければなりません。又、人間同士が接触すると、いつ話すべきか、いつ黙った方が良いか分からなければなりません。タイムとタイミングはとっても大切です。そして、今日の福音書には、イエス様は知るべきもう一つの時について語ります、即ち、世の最後の時です。
世の終わりの教えは、キリスト教会の大切な教えの一つです。イエス様は、御自分が来られて、この世を裁いて、そして、彼を信じる人々に永遠の命を与えるとはっきり言われました。永遠の命はあっても、この罪と悲しみの古い世界の中で生かされていましたら、永遠の命の幸せがありません。永遠の命の為の新しい天と新しい地を造る為、この世、この時代が終われなければなりません。世の終わりの絵が二つあります。一つは、嘆きと恐れの時です。もう一つは、勝利とお祝いの時です。恐れの時であるのは、その時は裁きの時であるとイエス様が言われたからです。ですから私達は恐れます、自分の神様のみ前の罪が分かっているので、その神様の裁きを恐れるからです。神様の怒りを知りますが、彼の恵みと愛を本当に知らないので恐れます。即ち、私達は神様を完全に信頼しないので、恐れます。ヨハネ3:16のイエス様の約束を良く分かります。「神はそのひとり子をお与えになった程に、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得る為である。」しかし、罪と悪魔は、私達にその貴い救いの約束を疑わせます。
その恐れをなくするのは、イエス様を信頼する事です。イエス様が私達に対する約束を守る事を忘れてはいけません。先ず、イエス様は御自分が十字架上で死んで3日目に甦るように約束しました。人間にとっては、その約束は不可能ですが、イエス様はその約束を守りました。ですから、私達に分かるのは、イエス様がその約束を守ったので、御自分の死と復活によって私達の罪を赦すと言う約束も守る事です。御自分が天に上げられた後に、再びこの世に戻るとイエス様は言われました。私達はその約束を信頼する事が出来るのは、イエス様は他の約束を守ったからです。特に、御自分の死と復活についての約束を守ったからです。私達が死んで世の最後の時に甦るとイエス様は約束しました。その時、私達の救いの為に、イエス様は栄光を持って来られます。ですから、その日は私達にとって喜びの日です!イエス様が甦られたので、私達はその約束を信頼します。又信頼するのは、イエス様のマルコ13:31の言葉です、「天地は滅びるが、私の言葉は決して滅びない。」滅びる事がない言葉とは、裁きと救いについての言葉です。
英語の礼拝の聖餐式の時、時々この信仰告白の言葉を使います、「キリストは死なれました。キリストは復活して今もおられます。キリストは再び来てくださいます。」キリストは復活して今もおられますので、私達は生きている今は、イエス様の最初に来られた時と再び来られる時の間にいますが、私達は、イエス様の今現在の臨在の中で生きているのです。イエス様は福音の御言葉の中でも、聖礼典の中にも、聖書の中にも私達に来られます。私達はもう既にイエス様と共に生きているので、キリストの再臨は、今の愛と恵みの成就になります。
しかし、私達はまだ天国にいません。最後の時についてイエス様は語りました。マルコ13:24−25、「それらの日には、このような苦難の後、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。」それは最後の時ですが、その前に苦しい時があります。マルコ13章を読みますと、イエス様は最後の時の前の時について話します:戦争と戦争のうわさ(7)、地震とききん(8)、迫害と裏切り(11,12)、キリスト教に対する政府からの圧制(14)、又、偽預言者と自分が救い主のキリストであると言う偽メシアもいます。しかし、このしるしは全部教会の最初の時代にも起こりました。今もあります。戦争について聞く時、大きな地震について聞く時、私達クリスチャンは、世の終わりについて考えなければなりません。空の虹を見る時、神様が再び大洪水で世を滅ぼさないと言う約束の契約を思い起こしましょう。神様の愛を思い起こしましょう。しかし、足元の地面の揺れる事を感じるとき、恐れで自分の心が振るえる時、神様はこの古い世を捨てると約束した事を思い起こして、もう既に良い時期になったと考えた方が良いと思います。イエス様はこのように注意しました、マルコ13:28 「いちじくの木から教えを学びなさい。枝が柔らかくなり、葉が伸びると、夏の近づいたことが分かる。」もう既に良い時期になったと感じます。この世が更に悪くなるまで神様は待たなくても良いでしょう。今こそ、裁きの為にイエス様が戻れば良いみたいです。
イエス様の再臨の為に、あなたの準備が出来ていましたか。自分の救いが確実だと思いますか。天使達が集める選民の中にあなたがいますか(13:27)。私達はそのように望むでしょう!でも、確信を持つ事が出来るでしょうか。はい、出来ます!自分の罪と弱さを考えますと、その希望を疑うかも知れませんが、私達の希望は自分の弱さの上に基づいていないで、イエス・キリストの上に基づいています。イエス様は、世を罰する為にだけではなくて、信者達を救い出す為に来られます。
それはいつ起こるでしょうか。私達には分かりません。父なる神様しか分かりません。しかし、私達がイエス様を信じて、神様を自分の父として受け入れる時、準備が出来ています。では、イエス様の再臨が来るまでに、私達は何をすれば良いでしょうか。目をさまして、祈って、神様を喜ばす人生を送る事です。愛を持って、他の人を愛して尊敬する事です、何故ならば、それは神様の御心であるからです。山に登ってイエス様を待つ事は必要ありません。キリストの臨在の中で私達は人生を送るからです。主の祈りの信仰と確信を持って生きるのです。
マルテェン・ルターについての話があります。明日が世の最後であると分かっても、ルターは「自分は今日中にりんごの木を植える」と言ったそうです。普通に考えますと、木を植えて3年後に実がなりますので、明日が世の最後でありましたら、それを植える時間がもったいないでしょう、又、木を植える事は明日本当に最後であると信じない事を現すでしょう。しかし、このルターの言葉の意味には、私達人間が神様から仕事が与えられています。木を植えたり、子供を教えたり、試験の為に勉強する事です。これは神様の御心であるので、続けてします。
「キリストは死なれました。キリストは復活して今もおられます。キリストは再び来てくださいます。」
「み国が来ます様に。」
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会