2022年7月3日
**********10: 1その後、主はほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。 2そして、彼らに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。 3行きなさい。わたしはあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。 4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな。 5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。 7その家に泊まって、そこで出される物を食べ、また飲みなさい。働く者が報酬を受けるのは当然だからである。家から家へと渡り歩くな。 8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べ、 9その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい。 10しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。 11『足についたこの町の埃さえも払い落として、あなたがたに返す。しかし、神の国が近づいたことを知れ』と。
16あなたがたに耳を傾ける者は、わたしに耳を傾け、あなたがたを拒む者は、わたしを拒むのである。わたしを拒む者は、わたしを遣わされた方を拒むのである。」
17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。「主よ、お名前を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。」 18イエスは言われた。「わたしは、サタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。 19蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなたがたに授けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 20しかし、悪霊があなたがたに服従するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」
**********
ルカ10:1、「10:1その後、主は【12人の弟子達の】ほかに七十二人を任命し、御自分が行くつもりのすべての町や村に二人ずつ先に遣わされた。」彼らのミッソンとは、その町に平和を与える事です。そのミッソンとは、その町からもてなしをもらって、「9その町の病人をいやし、また、『神の国はあなたがたに近づいた』と」話す事です。この仕事は、イエス様御自身がその町に行く時と似ています。即ち、癒しと神の御言葉によって、神の平和をもたらす事です。
しかし、この新しい弟子達は、その宣教の働きをする為に必要な物すべて、神様に信頼しなければなりません。言われました、「4財布も袋も履物も持って行くな。途中でだれにも挨拶をするな」と。食べ物やコートや金や靴を入れるルクサックが要りません。それで、その街の人々のもてなしに支えられます。又、道の中で合う人に挨拶をする時間をもたないので、行く町に急がなければなりません。御国の宣教はそんなに大切だからです。
必要な物の為に神様に信頼しなければなりませんと同じように、必要な食べ物や宿のためにその町の信者達に信頼しなければなりませんでした。又、欲張らないで、違う家の美味しい食事や楽なベッドがあれば、その家に変える事はいけませんでした。最初にもてなしをくれた家で泊まらなけれなりません。弟子達が派遣された町と村は、ユダヤ人が住んでいる町だろうと思います。それで、イエス様は「8どこかの町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べなさい」と言われたので、あるユダヤ人は、律法にしたがった食事(コシャ)を食べなかったでしょう。しかし、弟子達は、その食事が美味しくなくても、完全に清い食事ではなくても、気にしないで、食べたり飲んだりするのが大丈夫です。イエス様はすべての食事が清いと宣言したからです。
すべての人が福音を信じないだろうということや町の人は弟子達を親切にあつかわないだろうと警告しました。「3行きなさい。私はあなたがたを遣わす。それは、狼の群れに小羊を送り込むようなものだ。」「10しかし、町に入っても、迎え入れられなければ、広場に出てこう言いなさい。 11『足についたこの町の埃(ほこり)さえも払い落として、あなたがたに返(かえ)す。」
皆は出掛けました。説教したり、病気の人を癒したり、悪霊を追い出したりしました。そして、帰って来て、イエス様に報告しました。この話しの中に、私個人の好き言葉は、イエス様の言葉です。「18 私は、サタンが稲妻(いなずま)のように天から落ちるのを見ていた。」即ち、宣教のミッションは成功でした。
現代の教会の宣教のミッションは、いつものように、同じです。即ち、神の平和を告げたり、病気を癒したり、9「神の国はあなたがたに近づいた」と言ったりする事です。神の国は、あなた個人の近くに来まして、罪の赦しを受けて、救いの確信を受けて、祈って、神様があなたの病気や悩みを癒したり解決したりする事を信頼して下さい。
現代の教会の宣教のミッションは、いつものように、同じです。即ち、イエス様が言われたように祈る事です。「2収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」ところで、主の祈りでそれを祈るは、「御国が来ますように」と言う言葉です。それで、教会はいつも、宣教の為に人を訓練しています。まず、教会学校、堅信式クラス、教会の中にも教会の大学の中にも聖書研究のクラスがあります。その72人の弟子達は、レーマンの信徒でした。それで、私達皆が福音を告げる為に送り出されています。
宣教の働きのもう一部は、宣教師をサポートする、支援する事です。イエス様が言われたようです、「7 働く者が報酬を受けるのは当然だからである。」聖パウロはそれをこのように書きました、ガラテア6:6, 「御言葉を教えてもらう人は、教えてくれる人と持ち物をすべて分かち合いなさい。」 私の母が嬉しい時の一つは、人が家に来て一緒に食べる時でした、ほとんどはいとこでした。ほとんどのキリスト信者達は、自分にある物を分かち合う事ことが好きです。そのもてなしをキリストから学びます。聖餐式の時、命のパンを与えます。それは十字架上で犠牲になったものです。この神の愛が私達の心の中にありますので、それを他の人と分かち合います。それで、キリストの宣教のミッションを支援します。私達は祈ったり、寄付したり、教会の中にも、友達の仲間の中にも働きます。平和のメッセージ、平和のミッションです。イエス様が言われたようです、「5どこかの家に入ったら、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい。 6平和の子がそこにいるなら、あなたがたの願う平和はその人にとどまる。もし、いなければ、その平和はあなたがたに戻ってくる。」私が思いたいのは,私に戻って来る平和の意味は、人が私を拒んだとしても、私の心の中に平和がある事です。何故ならば、その人に神の平和を話す事が正しい事からです。
神の宣教に働く事には喜びがあります。弟子達の喜びについて読みます。「17七十二人は喜んで帰って来て、こう言った。『主よ、お名前を使うと、悪霊さえも私達に屈服します。』 18イエスは言われた。『私は、サタンが稲妻(いなずま)のように天から落ちるのを見ていた。 19蛇(へび)やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威(けんい)を、私はあなたがたに授(さず)けた。だから、あなたがたに害を加えるものは何一つない。 20しかし、悪霊があなたがたに服従(ふくじゅう)するからといって、喜んではならない。むしろ、あなたがたの名が天に書き記されていることを喜びなさい。」」
アーメン。
マイケル・ニアフッド、牧師
沖縄ルーテル教会