人のなすべき課題④

2021年8月1日

そしてわたしが父にお願いすると、父はもう一人の助け主をお与えくださり、その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるようにしてくださいます。
この方は真理の御霊です。世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません。あなたがたは、この方を知っています。この方はあなたがたとともにおられ、また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。

ヨハネの福音書 14章16~17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 これまで、三週にわたって、人のなすべき課題について見てきました。その続きから、今日は、失ったものを回復していくために必要なことについて、見ていきたいと思います。

 人は、その罪によって、自分で勝手に善悪を判断するようになりました。その結果、死と苦しみが入ってきました。また、神様と人との関係も破壊されてしまいました。しかし、神の御子であられるイエス様が、私たちの罪の解決を与えてくださいました。イエス様の血のみ、罪を清める力があります。

 けれども、このことがよくわからない、と思う人は多くいます。このことは、生まれながらの人間にとっては、愚かでナンセンスなことです。なぜなら、今日の箇所にあるように、聖霊様がもうひとりの助け主であられるからです。イエス様は、救い主であられますが、聖霊様は、失ったものの回復のために、必要なお方です。

 今日の箇所で、イエス様は聖霊様について、「真理の御霊」であり、「世はこの方を見ることも知ることもないので、受け入れることができません」と言っています。先ほども申し上げたとおり、生まれながらの人間、つまり聖霊様を受けていない人にとっては、聖霊様について受け入れることができません。聖霊様のことを知らなければ、聖霊様が人格をもたれ、感情を持っておられる(私の感情とは別のレベルで働かれている)お方であることがわからないのです。

 それでは、聖霊様がなしてくださることについて、見ていきたいと思います。聖霊様は、大きく分けて二つのことをしてくださいます。一つ目に、神様のこと、イエス様のこと、自分自身の罪深さや、天国と地獄についてなど、必要なことすべて理解することを助けてくださいます。先ほども述べたとおり、これらのことは、聖霊様を受けていない人にとっては愚かなことです。イエス様は、聖霊様について次のようにも語られています。

しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。

ヨハネの福音書 14章26節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様がここで言われている「すべてのこと」とは、神様との関係を回復するのにあたって、私たちが知るべきことすべてです。

 聖霊様がその人のうちにおられると、ヘブル語やギリシャ語に精通する学者が、聖書を熱心に調べて、やっと見出した真理であっても、祈り求めるだけでパッと教えて頂けることもあります。

しかし、わたしは真実を言います。わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。去って行かなければ、あなたがたのところに助け主はおいでになりません。でも、行けば、わたしはあなたがたのところに助け主を遣わします。
その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかになさいます。

ヨハネの福音書 16章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、イエス様ご自身が私たちと共にこの地上で過ごすことよりも、むしろ去って、聖霊様が私たちと共におられる方が良いとさえ言われました。それは、聖霊様が、「罪について、義について、さばきについて、世の誤りを明らかに」して下さるからです。

 私たちは、夜仕事から帰って、家の電灯をつけただけでは家の埃は分かりません。しかし、朝、太陽の光に照らされると、埃が見えるようになります。それと同じように、聖霊の光に照らされることによって、自分自身の誇りと思われたようなことが、実際には恥ずかしいことであったことが示されるのです。私たちは、自分がどんなに罪深い存在であるかということがわかりません。そして、神様に良しとされることがどのようなことなのかも、わからないのです。しかし聖霊様は、世が間違って信じていることを、間違っていると教えて下さるお方です。

あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐えられません。
しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。御霊は自分から語るのではなく、聞いたことをすべて語り、これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。

ヨハネの福音書 16章12~13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、お弟子さんたちに話すことがまだたくさんあるけれども、彼らにとってそれらはキャパシティオーバーで、理解できないのだ、と言われました。確かに、彼らはこの時点で、イエス様の十字架の意味がわかっていませんでした。しかし、彼らは聖霊様を受けた時に、大胆に福音を述べ伝える者へと変えられました。聖霊様は、「すべての真理に導いて」くださり、「これから起こること」、すなわち、神様が死後、どのようなものを用意してくださっているのか、そして世の終わりにどのようなことが起こるのかも伝えて下さるからです。

 『幻』を記したデイビッド・ウィルカーソン先生は、その本の中で、これから世の終わりに起こることについて記しています。大地震などの大災害や、世界各国の財政が破綻し、世界統一通貨ができることなど、聖霊様によって幻で示されたことを本に記していますが、すべて成就してきています。(世の終わりの時代に起こることについて興味のある方は、デイビッド・ウィルカーソン牧師著『幻』を読んでみてください。)

 聖霊様は、心に浮かんだこともないこと、聞いたこともないこと、人の知恵によって考えつかないことを、示して下さるお方です。

 二つ目に、聖霊様は、私たちが神様の命令に聞き従うことを助けて下さいます。罪は、自分中心です。しかし、神様が私たちに望まれているのは、神様中心です。確かに、良いことをたくさんしている人は、世の中にいます。ただ、その本心を探ると、「自分が良い気持ちになりたい」「困っている人がいないと自分の存在意義がなくなってしまう」といった、自分中心の動機であることがほとんどです。「惜しみなく愛は奪う」という本の題名にあるとおり、人間の愛は、結局は自分中心から来ているものです。

肉に従う者は肉に属することを考えますが、御霊に従う者は御霊に属することを考えます。
肉の思いは死ですが、御霊の思いはいのちと平安です。
なぜなら、肉の思いは神に敵対するからです。それは神の律法に従いません。いや、従うことができないのです。
肉のうちにある者は神を喜ばせることができません。
しかし、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉のうちにではなく、御霊のうちにいるのです。もし、キリストの御霊を持っていない人がいれば、その人はキリストのものではありません。
キリストがあなたがたのうちにおられるなら、からだは罪のゆえに死んでいても、御霊が義のゆえにいのちとなっています。
イエスを死者の中からよみがえらせた方の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、キリストを死者の中からよみがえらせた方は、あなたがたのうちに住んでおられるご自分の御霊によって、あなたがたの死ぬべきからだも生かしてくださいます。
ですから、兄弟たちよ、私たちには義務があります。肉に従って生きなければならないという、肉に対する義務ではありません。
もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬことになります。しかし、もし御霊によってからだの行いを殺すなら、あなたがたは生きます。
神の御霊に導かれる人はみな、神の子どもです。
あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは「アバ、父」と叫びます。
御霊ご自身が、私たちの霊とともに、私たちが神の子どもであることを証ししてくださいます。

ローマ人への手紙 8章5~16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 人の思いは、肉の思いか御霊の思いかのどちらかしかありません。肉の思いは、一見良いように見えても、不純な思いから来ているものです。「肉の思いは死」とあるとおり、肉の思いは滅びに通じるものです。しかし、「御霊の思いはいのちと平安」なのです。上の御言葉にある「神の御霊」も「キリストの御霊」も、同じ聖霊様を指していますが、聖霊様を持っていない人は、「キリストのもの」ではない、とはっきり書かれています。「キリストのもの」とは、クリスチャンということですから、聖霊様がうちにおられない人は、神様の子どもではない、ということです。聖霊様は、すべての真理に私たちを導き、神様の御思いを知り、神様に喜ばれることを行えるよう助けてくださいます。だから、「神の御霊に導かれる人はみな」、神様の子どもなのです。神様によってしか、本当に人の益になることを考えた行い、というものは生まれません。そして、肉の思いは、御霊によってのみ殺すことができます。

イエスは答えられた。「まことに、まことに、あなたに言います。人は、水と御霊によって生まれなければ、神の国に入ることはできません。

ヨハネの福音書 3章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、ここで「まことに、まことに、」と言われていますが、特に大切なことを言われる時にこの言葉を使われました。そして、人は「水と御霊によって生まれなければ」神の国に入ることはできない、と言われました。「によって生まれる」とは、水のバプテスマのことを指します。水のバプテスマは、自分の罪を告白し悔い改め、自分の罪に死ぬことを現しています。水につかることにより、罪を洗い流し、罪の赦しを受けて、主と共に生きることを始めるのです。そして、「御霊によって生まれる」とは、御霊のバプテスマのことを指します。これは、すべての真理に導かれ、神様の喜ばれることを行っていき、キリストに似た者に変えられていくために必要なことです。つまり、水のバプテスマだけでは十分ではありません。御霊を受けなければ、天国には入れません。

このキリストにあって、あなたがたもまた、真理のことば、あなたがたの救いの福音を聞いてそれを信じたことにより、約束の聖霊によって証印を押されました。
聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです。

エペソ人への手紙 1章13~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 水のバプテスマを受けたからクリスチャンです、というだけでは片手落ちです。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証」とあるように、天国に入るためには、聖霊様が必要です。肉の行いを殺し、神様に従っていくことは、聖霊様がいなければできないことだからです。

 それでは、聖霊様を受けるために私たちはどうすれば良いのでしょうか。

ですから、イスラエルの全家は、このことをはっきりと知らなければなりません。神が今や主ともキリストともされたこのイエスを、あなたがたは十字架につけたのです。」
人々はこれを聞いて心を刺され、ペテロとほかの使徒たちに、「兄弟たち、私たちはどうしたらよいでしょうか」と言った。
そこで、ペテロは彼らに言った。「それぞれ罪を赦していただくために、悔い改めて、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けます。
この約束は、あなたがたに、あなたがたの子どもたちに、そして遠くにいるすべての人々に、すなわち、私たちの神である主が召される人ならだれにでも、与えられているのです。」

使徒の働き 2章36~39節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 上の御言葉にもあるように、私たちは、まず、自分が罪人であることを認め、悔い改める必要があります。そして水のバプテスマを受けることが必要です。

 実際、罪は、神様と私たちとの間を隔てる仕切りとなるものです。

見よ。主の手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて聞こえないのではない。
むしろ、あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。

イザヤ書 59章1~2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 罪を悔い改めないで、聖霊様を受けることはできません。たとえば、不倫をやめないまま洗礼を受けても、神様との間の仕切りはまだ残ったままです。その罪を告白して悔い改めていくこと、すなわち、180度方向転換して、やめるということが必要です。それが、聖霊様を受けるための最初のステップとなります。

 しかし、洗礼を受けるだけでは、自動的に聖霊様は下られません。聖書には、洗礼を受けただけで聖霊様はまだ下られなかった、と書かれています。

エルサレムにいる使徒たちは、サマリアの人々が神のことばを受け入れたと聞いて、ペテロとヨハネを彼らのところに遣わした。
二人は下って行って、彼らが聖霊を受けるように祈った。
彼らは主イエスの名によってバプテスマを受けていただけで、聖霊はまだ、彼らのうちのだれにも下っていなかったからであった。
そこで二人が彼らの上に手を置くと、彼らは聖霊を受けた。

使徒の働き 8章14~17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 次の御言葉にあるとおり、私たちは、聖霊様を求めていく必要があります。

ですから、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。探しなさい。そうすれば見出します。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれでも、求める者は手に入れ、探す者は見出し、たたく者には開かれます。

ルカの福音書 11章9~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えてくださいます。

ルカの福音書 11章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そして、聖霊様を受けると、どのようなことが起こるかが聖書に書かれています。

五旬節の日になって、皆が同じ場所に集まっていた。
すると天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、彼らが座っていた家全体に響き渡った。
また、炎のような舌が分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。
すると皆が聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、他国のいろいろなことばで話し始めた。

使徒の働き 2章1~4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

ペテロがなおもこれらのことを話し続けていると、みことばを聞いていたすべての人々に、聖霊が下った。
割礼を受けている信者で、ペテロと一緒に来た人たちは、異邦人にも聖霊の賜物が注がれたことに驚いた。
彼らが異言を語り、神を賛美するのを聞いたからである。するとペテロは言った。

使徒の働き 10章44~46節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

アポロがコリントにいたときのことであった。パウロは内陸の地方を通ってエペソに下り、何人かの弟子たちに出会った。
彼らに「信じたとき、聖霊を受けましたか」と尋ねると、彼らは「いいえ、聖霊がおられるのかどうか、聞いたこともありません」と答えた。
「それでは、どのようなバプテスマを受けたのですか」と尋ねると、彼らは「ヨハネのバプテスマです」と答えた。
そこでパウロは言った。「ヨハネは、自分の後に来られる方、すなわちイエスを信じるように人々に告げ、悔い改めのバプテスマを授けたのです。」
これを聞いた彼らは、主イエスの名によってバプテスマを受けた。
パウロが彼らの上に手を置くと、聖霊が彼らに臨み、彼らは異言を語ったり、預言したりした。

使徒の働き 19章1~6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 このように、聖霊様を受けると、はっきりとそのことがわかります。聖霊様を受けた人は、聖霊様の賜物が注がれ、喜びに満たされたり、異言を語ったり、預言をしたり、神様を賛美したりします。

 ただ、一回聖霊様を受けただけでは十分ではありません。聖霊様は、悲しませると去っていかれるお方です。自分で喜ばれないとわかってやってしまう罪を犯すと、悲しまれて、去っていかれます。

一度光に照らされ、天からの賜物を味わい、聖霊にあずかる者となって、
神のすばらしいみことばと、来たるべき世の力を味わったうえで、
堕落してしまうなら、そういう人たちをもう一度悔い改めに立ち返らせることはできません。彼らは、自分で神の子をもう一度十字架にかけて、さらしものにする者たちだからです。

ヘブル人への手紙 6章4~6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで語られている「堕落」とは、たとえば不倫などの罪のことです。また、「無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしり」、「悪意」も聖霊様を悲しませることになります。

神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。
互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

エペソ人への手紙 4章30~32節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 これらのことによって、聖霊様を消してはいけません。聖霊様は、私たちが天国に入るための証印だからです。しかし、もし、聖霊様を悲しませて去らせてしまっても、悔い改めてもう一度入ってください、と聖霊様を歓迎するなら、聖霊様は私たちのうちに入ってくださいます。

 そして以上述べてきた方法以外に、私たちが失ったものを回復していく方法はありません。天国に入ること、神様との関係や人との関係が回復していくこと、イエス様がおられ、聖霊様がうちにおられること、これらすべては神様が私たちのために、なしてくださいました。このことに感謝して、聖霊様を受け、満たされ続けていきたいと思います。

前のページに戻る