大バビロン

2021年4月18日

また、その御使いの後にもう一人、第二の御使いが来て言った。「倒れた、倒れた、大バビロンが。御怒りを招く淫行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた都が。」

ヨハネの黙示録 14章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 聖書の最後の書であるヨハネの黙示録には、終わりの時代の預言が記されています。ヨハネの黙示録は確かに難解な箇所が多いですが、世の終わりの時代に生きる私達は、そこから重要なメッセージを読み取ることができます。今日は、上でお読みした大バビロンに焦点を当てていきたいと思います。

 ヨハネの黙示録で語られている大バビロンとは何でしょうか。まず、バビロンは、実際にメソポタミアにあった国でした。そして、ネブカドネザルという王様が統治した時代には、「ネブカドネザル・ザ・グレイト」と呼ばれるくらい、非常に栄えた国でした。また、イラク戦争で敗れたイラクのフセイン大統領は、自分はネブカドネザル王の再来、とまで言いました。しかし、ここで、ヨハネの黙示録で語られている大バビロンを、バビロンという、歴史上、実在した国に当てはめるのには難があります。なぜなら、ヨハネの黙示録にはこれから起こる出来事の預言が記されているからです。実際に、ヨハネの黙示録は預言のことばである、とその中に記されています。

ヨハネは、神のことばとイエス・キリストの証し、すなわち、自分が見たすべてのことを証しした。
この預言のことばを朗読する者と、それを聞いて、そこに書かれていることを守る者たちは、幸いである。時が近づいているからである。

ヨハネの黙示録 1章2~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 聖書には、これから来たるべきものの影が記されています。とするならば、これから本物のバビロンが起こる、と考えた方が良いでしょう。

 また、大バビロンとは、歴史上の大ローマ帝国を示している、という人達がいます。この見解が正しいかを理解するために、大バビロンについて記している、ヨハネの黙示録を見ていく必要があります。

その後、私は、もう一人の御使いが、大きな権威を持って天から下って来るのを見た。地はその栄光によって照らされた。
彼は力強い声で叫んだ。「倒れた。大バビロンは倒れた。それは、悪霊の住みか、あらゆる汚れた霊の巣窟、あらゆる汚れた鳥の巣窟、あらゆる汚れた憎むべき獣の巣窟となった。
すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と淫らなことを行い、地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得たからだ。」
それから私は、天からもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わたしの民は、この女の罪に関わらないように、その災害に巻き込まれないように、彼女のところから出て行きなさい。
彼女の罪は積み重なって天に達し、神は彼女の不正を覚えておられるからです。
あなたがたは、彼女が支払ったとおりに彼女に報いなさい。彼女の行いに応じて倍にして返しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中に、彼女のために倍のものを混ぜ合わせなさい。
彼女が自分を誇り、ぜいたくにふけった分だけ、苦しみと悲しみを彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王として座し、やもめではない。だから悲しみにあうことはない』と言っているからです。
これらのことのため、一日のうちに、様々な災害、死病と悲しみと飢えが彼女を襲います。そして、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は、力ある方なのです。」
彼女と淫らなことを行い、ぜいたくをした地の王たちは、彼女が焼かれる煙を見ると、彼女のことで泣いて胸を打ちたたく。
彼らは遠く離れて立ち、彼女の苦しみに恐れをなして、「わざわいだ、わざわいだ、大きな都、力強い都バビロンよ。あなたのさばきは一瞬にしてなされた」と言う。

ヨハネの黙示録 18章1~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 後で詳細に見ていきますが、この箇所から大バビロンがどのような国であったかを知ることができます。まず、大バビロンは、偶像崇拝の国でした。神様以外のお金や名誉を崇拝することは、偶像崇拝の罪にあたります。また、不品行を行なっていました。そして、神様に対して高ぶるという罪も行なっていました。聖書のダニエル書5章に記されている出来事においても、神様の前に高ぶったベルシャツァル王の前に、神の手が出てきて、バビロン王国は滅ぼされました。実際に、バビロン王国は、南ユダ王国を攻め、エルサレムを滅ぼした国でしたが、偶像崇拝、不品行、高ぶりの罪を行なっていました。そんなバビロン王国を神様は滅ぼされる、とエレミヤ書の中でエレミヤは預言しています。

しかし、イスラエルもユダも、その神、万軍の主に見捨てられることはない。彼らはイスラエルの聖なる方から離れ、彼らの地は罪過で満ちていたが。
バビロンの中から逃げ、それぞれ自分自身を救え。バビロンの咎のために絶ち滅ぼされるな。これは、主の復讐の時、主がこれに報いをなさるからだ。
バビロンは主の手にある金の杯。すべての国々はこれに酔い、国々はそのぶどう酒を飲む。それゆえ、国々は正気を失う。
バビロンは、たちまち倒れて砕かれる。バビロンのために泣き叫べ。その痛みのために乳香を取れ。もしかしたら、癒やされるかもしれない。
私たちはバビロンを癒やそうとした。だが、それは癒やされなかった。私たちはこれを見捨てて、それぞれ自分の土地へ帰ろう。バビロンへのさばきが、天に達し、大空まで上ったからだ。
主は私たちの義を明らかにされた。さあ、私たちはシオンで、私たちの神、主のみわざを語ろう。
矢を研ぎ、小盾を取れ。主はメディア人の王たちの霊を奮い立たせられる。御思いは、バビロンを滅ぼすこと。それは主の復讐、ご自分の神殿の復讐だからである。
バビロンの城壁に向かって旗を掲げよ。見張りを強くし、番兵を立て、伏兵を備えよ。主は計画を練って、バビロンの住民について語ったことを実行されるからだ。

エレミヤ書 51章5~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そしてエレミヤの預言は、ダニエル書の中で実現します。

その子であるベルシャツァル王よ、あなたはこれらのことをすべて知っていながら、心を低くしませんでした。
それどころか、天の主に向かって高ぶり、その宮の器を自分の前に持って来させ、あなたと貴族たちとあなたの側室や侍女たちは、それを使ってぶどう酒を飲みました。あなたは、見ることも、聞くことも、知ることもできない銀、金、青銅、鉄、木、石の神々を賛美しました。しかしあなたの息をその手に握り、あなたのすべての道をご自分のものとされる神を、あなたはほめたたえませんでした。
そのため、神の前から手の先が送られて、この文字が書かれたのです。
その書かれた文字はこうです。『メネ、メネ、テケル、ウ・パルシン。』
そのことばの意味はこうです。『メネ』とは、神があなたの治世を数えて終わらせたということです。
『テケル』とは、あなたが秤で量られて、目方の足りないことが分かったということです。
『パルシン』とは、あなたの国が分割され、メディアとペルシアに与えられるということです。」
そこでベルシャツァルは命じて、ダニエルに紫の衣を着せ、金の鎖を首にかけさせ、彼がこの国の第三の権力者であると布告させた。
その夜、カルデア人の王ベルシャツァルは殺された。
そして、メディア人ダレイオスが、およそ六十二歳でその国を受け継いだ。

ダニエル書 5章22~31節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行

 ここで大バビロンについて話を戻しますが、大バビロンも、滅ぼされることがヨハネの黙示録で預言されています。この預言の内容からも、大バビロンがどのような国だったかのか知ることができます。

また、その御使いの後にもう一人、第二の御使いが来て言った。「倒れた、倒れた、大バビロンが。御怒りを招く淫行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた都が。」

ヨハネの黙示録 14章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 まず、大バビロンは淫行を行っていました。淫行とは、実際に不品行を行うこともそうですし、また、旧約の考え方では、神様から離れて偶像を拝むこともその罪にあたります。また、「淫行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた」とあるように、大バビロンは、自分自身だけでなく、大きな影響力を持ち、他の国々も同じ罪を犯すようにさせました。さらに次の御言葉も見ていきましょう。

すべての国々の民は、御怒りを招く彼女の淫行のぶどう酒を飲み、地の王たちは彼女と淫らなことを行い、地の商人たちは、彼女の過度のぜいたくによって富を得たからだ。」

ヨハネの黙示録 18章3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「地の商人たち」とは、現代で言うビジネスマンのことです。大バビロンは、過度のぜいたくにふけっていました。そしてビジネスマンたちは、そのことによって、富を得た、とあります。

 また、次の御言葉にあるように、大バビロンは神様の前に高ぶっていました。

彼女が自分を誇り、ぜいたくにふけった分だけ、苦しみと悲しみを彼女に与えなさい。彼女は心の中で『私は女王として座し、やもめではない。だから悲しみにあうことはない』と言っているからです。

ヨハネの黙示録 18章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 さらに、大バビロンでは、人の力ではない力が働いて、人々がそれに惑わされました。大バビロンでは、全ての国々を惑わす力が働いていました。

ともしびの光も、おまえのうちで、もはや決して輝くことはない。花婿と花嫁の声も、おまえのうちで、もはや決して聞かれることはない。というのは、おまえの商人たちが地上で権力を握り、おまえの魔術によってすべての国々の民が惑わされ、

ヨハネの黙示録 18章23節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そして、大バビロンによって、預言者たちや聖徒たち、つまりクリスチャン達が殺されました。

この都の中に、預言者たちや聖徒たちの血、また地上で屠られたすべての人々の血が見出されたからである。

ヨハネの黙示録 18章24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 バビロン王国が滅びることが実際に起こったように、神様の怒りが頂点に達する時、かつて国々に大きな影響力を持ち、支配した国も滅ぼされます。

彼女の罪は積み重なって天に達し、神は彼女の不正を覚えておられるからです。

ヨハネの黙示録 18章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 大バビロンは、その罪によって神様の御怒りを引き起こし、滅ぼされた、とヨハネの黙示録に記されています。

また、その御使いの後にもう一人、第二の御使いが来て言った。「倒れた、倒れた、大バビロンが。御怒りを招く淫行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた都が。

ヨハネの黙示録 14章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 神様の御怒りによって大バビロンが滅ぼされた様子が、詳細に書かれているのが、次の御言葉です。

第七の御使いが鉢の中身を空中に注いだ。すると大きな声が神殿の中から、御座から出て、「事は成就した」と言った。
そして稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、大きな地震が起こった。これは人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの、大きな強い地震であった。
あの大きな都は三つの部分に裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。神は大バビロンを忘れず、ご自分の激しい憤りのぶどう酒の杯を与えられた。
島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。
また、一タラントほどの大きな雹が、天から人々の上に降った。この雹の災害のために、人々は神を冒瀆した。その災害が非常に激しかったからである。

ヨハネの黙示録 16章17~21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 まず、「大きな都は三つの部分に裂かれ」とあるように、大バビロンは完全に崩壊しました。「島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった」とあるように、それは島が消え地形が変形するほどでした。また、「一タラントほどの大きな雹」とありますが、一タラントは、34キロくらいです。それくらいの大きな雹が降ってきたのです。これらのことが起こったにも関わらず、人々は悔い改めず、かえって神様を冒涜した、とあります。

 先にも申し上げたとおり、ヨハネの黙示録には、終末の時代に起こることが預言されています。そして、この大バビロンの滅びについての詳細は、いまだかつて起こったことがありません。そうであれば、このことは大ローマ帝国の滅亡、というよりも、これから終末に起こることと捉えた方が自然です。大バビロンとは、終末の時代に起こる、神様に反逆する大きな都、すなわち、世の終わりにくる勢力であり、象徴的な存在として書かれています。

 そして次の御言葉にあるように、大バビロンは、一日のうちに滅ぼされます。

これらのことのため、一日のうちに、様々な災害、死病と悲しみと飢えが彼女を襲います。そして、彼女は火で焼き尽くされます。彼女をさばく神である主は、力ある方なのです。

ヨハネの黙示録 18章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 主は、高ぶりに対して、罪に対して怒られ、すぐに滅ぼされるお方です。ローマは一日にしてならず、という言葉もありますが、神様が滅ぼされる時は一瞬なのです。

 このことが世の終わりに起こることであるならば、この時代に生きる私達はどのように生きていけば良いのでしょうか。そのことがヨハネの黙示録18章に記されています。

それから私は、天からもう一つの声がこう言うのを聞いた。「わたしの民は、この女の罪に関わらないように、その災害に巻き込まれないように、彼女のところから出て行きなさい。

ヨハネの黙示録 18章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「わたしの民」とは、イエス様を信じる民のことを指します。「この女の罪」とは、不品行や偶像崇拝、過度の贅沢のこと、つまり快楽を喜ぶ罪です。そして自分のことを誇り、神様の前に高ぶる罪です。神様は、クリスチャン達に対して、これらの罪に関わらないように、と語られています。また、いくら力強いことをする都が現れても、惑わされないように、とも語られています。サタンの惑わしの力が今も働いていることに、私達は注意しなければなりません。

イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのですか。あなたが来られ、世が終わる時のしるしは、どのようなものですか。」
そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

マタイの福音書 24章3~4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様も、世の終わりのときのしるしとして、惑わされないように気をつけなさい、と言われました。この時代には、色々な惑わしの力が働いています。そして、クリスチャン達でさえも、惑わそうとする、と書かれています。

偽キリストたち、偽預言者たちが現れて、できれば選ばれた者たちをさえ惑わそうと、大きなしるしや不思議を行います。

マタイの福音書 24章24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、惑わされないように、と私達に警告しておられます。

 また、先ほど、大バビロンはクリスチャンたちを殺した、と述べましたが、私たちは迫害も念頭において、備える必要があります。

そのとき、人々はあなたがたを苦しみにあわせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。

マタイの福音書 24章9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 大バビロンは、まわりの国々の支配者もビジネスマンも巻き込み、影響力を持つので、クリスチャンたちは全ての国の人々から憎まれ、迫害を受けます。しかしイエス様は、はっきりと、からだを殺せたとしても人々を恐れないように、と言われました。

わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。
恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。

ルカの福音書 12章4~5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 人々を恐れて妥協したり、信仰を捨てるとゲヘナに投げ込まれ、火と硫黄の中で昼も夜も永遠に苦しむことになります。大バビロンという国が起これば、クリスチャンは迫害を受けます。しかし殺したあと何もできない人々を恐れるのではなく、ゲヘナに投げ込むことのできる方を恐れなさい、とあります。私たちは、決して人を恐れてはなりません。

 また、次のヨハネの黙示録18章には、このように書かれています。

あなたがたは、彼女が支払ったとおりに彼女に報いなさい。彼女の行いに応じて倍にして返しなさい。彼女が混ぜ合わせた杯の中に、彼女のために倍のものを混ぜ合わせなさい。

ヨハネの黙示録 18章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 上の御言葉を読んで、これはイエス様の教えに反するのでは、と思うかもしれません。イエス様は現に、仕返しはしないように、と語られました。しかしこの御言葉は、大バビロンに対する神様の裁きを実行する御使い達に語られています。

 確かに、私達は迫害を受けても、大バビロンがどんなに栄えても、一瞬のうちに滅びることが預言されています。そのことを覚えていきたいと思います。

しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。

ペテロの手紙 第二 3章7~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 神様は、大バビロンがおごり高ぶっているのを、忍耐して待っておられます。なぜなら神様は、この時代に生きる人々を救いたいと思っておられるからです。しかしそれが滅びる時には、一瞬のうちになくなってしまいます。

このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。

ペテロの手紙 第二 3章11~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 救われるために行いは必要ない、という考え方は、ルターの影響もあります。彼はなぜ聖書の中にヤコブ書が入っているのか、とさえ言いました。しかし、イエス様は、努力して狭い門から入りなさい、と言われました。確かに、私達は行いによって救われるのではありませんが、これまでの礼拝でも何度も申し上げてきたように、人が救われるかどうかの違いは、神様の御言葉に従うかどうかです。

 たとえ大バビロンが繁栄したとしても、私達は惑わされることなく、滅びは一瞬のうちに起こることを覚えて、固く信仰に立って、神様の御前に清い生き方をしなければなりません。

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