天使について①

2021年6月6日

ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。
主をほめたたえよすべての御使いよ。主をほめたたえよ主の万軍よ。
日よ月よ主をほめたたえよ。主をほめたたえよすべての輝く星よ。
天の天よ主をほめたたえよ。天の上にある水よ。
主の御名をほめたたえよ。主が命じてそれらは創造されたのだ。
主はそれらを世々限りなく立てられた。主は去りゆくことのない定めを置かれた。

詩篇 148篇1~6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 聖書には、天使について色々と書かれていますが、神様の愛は、その存在からも知ることができます。今日は、リクエストにお応えして、天使についての御言葉を見ていきたいと思います。

 天使とは、どのような存在でしょうか。まず、天使は神様により創られた存在です。先ほどお読みした箇所で「主が命じてそれらは創造されたのだ」とあるとおり、主はすべてを創られたお方です。

 天使は神様により創られた、と申し上げましたが、天使がいつ創られたか、ということまでは聖書には書かれていません。聖書は科学の説明書ではありませんから、全てを網羅しているわけではありません。しかし、全てを網羅していないからと言って、信頼できないわけでは決してなく、聖書は、人の救いのために必要なことだけ書かれているのです。

隠されていることは、私たちの神、主のものである。しかし現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のものであり、それは私たちがこのみおしえのすべてのことばを行うためである。

申命記 29章29節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「隠されていること」は、確かにあります。しかし、「現されたことは永遠に私たちと私たちの子孫のもの」とあるとおり、私たちが救われるために必要なことはすべて聖書の中に示されています。

 また、天使は、知的、道徳的な存在として創られました。この点は人と一緒です。人も考え、創造し、危険を察知し、自由意志により決断する存在です。しかし、天使には、人と違う点もあります。

 まず、人は神の似姿として創られましたが、天使は違います。また、人のように、結婚はしません。

イエスは彼らに言われた。「この世の子らは、めとったり嫁いだりするが、
次の世に入るのにふさわしく、死んだ者の中から復活するのにふさわしいと認められた人たちは、めとることも嫁ぐこともありません。
彼らが死ぬことは、もうあり得ないからです。彼らは御使いのようであり、復活の子として神の子なのです。

ルカの福音書 20章34~36節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「次の世に入るのにふさわしく、死んだ者の中から復活するのにふさわしいと認められた人たち」とは、天国に入る人たちのことを指します。「彼らは御使いのようであり」結婚することはない、とあります。このとから、天使は結婚しない存在だということがわかります。

 また、次の御言葉から、天使は数えきれないほどいることがわかります。

また私は見た。そして御座と生き物と長老たちの周りに、多くの御使いたちの声を聞いた。その数は万の数万倍、千の数千倍であった。

ヨハネの黙示録 5章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そして、天使にも序列があります。

御使いのかしらミカエルは、モーセのからだについて悪魔と論じて言い争ったとき、ののしってさばきを宣言することはあえてせず、むしろ「主がおまえをとがめてくださるように」と言いました。

ユダの手紙 1章9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「御使いのかしらミカエル」とあるように、ミカエルは、天使の中でも最高位の天使です。そして、ミカエルのように、天使には一人ひとり名前があります。ガブリエルは、新約聖書で、マリアに現れて受胎を告知した天使です。

 また、天使は力を持つ存在です。天使には、「勢いも力も」あります。

特に、汚れた欲望のまま肉に従って歩み、権威を侮る者たちに対して、主はそうされます。この者たちは厚かましく、わがままで、栄光ある人たちをののしって恐れません。
御使いたちは勢いも力も彼らにまさっているのに、主の御前で彼らをそしって訴えたりしません。

ペテロの手紙 第二 2章10~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 また、天使はいっときに一ヶ所にしか現れない、有限な存在です。それとは反対に神様は同時に現れることがおできになります。

 ここまで天使について色々と述べてきましたが、さらに重要な点は、神様の私たちに対する愛は、天使をとおして知ることができる、という点です。先ほども述べたとおり、天使は人と同じ自由意志を持った存在です。聖書を読むと、天使の中でも罪を犯した者がいることがわかります。

神は、罪を犯した御使いたちを放置せず、地獄に投げ入れ、暗闇の縄目につないで、さばきの日まで閉じ込められました。

ペテロの手紙 第二 2章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

またイエスは、自分の領分を守らずに自分のいるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の鎖につないで暗闇の下に閉じ込められました。

ユダの手紙 1章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 神様は、罪を犯した天使たちを救われることはなく、人も本来はそのような存在でした。しかし、イエス・キリストにより、人だけがそのチャンスを与えられたのです。

当然ながら、イエスは御使いたちを助け出すのではなく、アブラハムの子孫を助け出してくださるのです。

ヘブル人への手紙 2章16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 アブラハムは、「信仰の父」とも呼ばれていますから、アブラハムの子孫とは、神様を信じる人すべてのことを指します。ここでわかるのは、イエス様は天使のためではなく、人を助けるためにこの地に来てくださった、ということです。

 また、天使は、人に仕えるために遣わされています。

御使いはみな、奉仕する霊であって、救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされているのではありませんか。

ヘブル人への手紙 1章14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 人のために遣わされている、と言っても、「救いを受け継ぐことになる人々に仕えるために遣わされている」とあるとおり、天使はただイエス様を信じて聞き従う人びとに遣わされています。残念ながら、イエス様を信じていない人びとには遣わされていません。そして、ここで補足ですが、「御使いはみな、奉仕する霊であって」とあるように、天使は霊的な存在なので目には見えませんが、目に見えるかたちで、特別に現れることもあります。実際に、この教会に来ていた子どもも、天使を見た、と言っていました。

 話を戻して、天使はどのようにしてイエス様を信じる人びとに仕えているのでしょうか。一つ目に、天使は危険から守るために遣わされています。

主の使いは主を恐れる者の周りに陣を張り彼らを助け出される。

詩篇 34篇7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

わざわいはあなたに降りかからず疫病もあなたの天幕に近づかない。
主があなたのために御使いたちに命じてあなたのすべての道であなたを守られるからだ。
彼らはその両手にあなたをのせあなたの足が石に打ち当たらないようにする。

詩篇 91篇10~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 天使は、力を持っているので私たちを守ることができます。私たちは、死を恐れることはありません。なぜなら、私たちに地上で使命がある限り、主は、私たちを生かしてくださるからです。たとえ大地震が起ころうと、何があろうと、この地上に使命があれば、私たちは生かされます。

 熊本大震災のときに、ある牧師の娘がテレビでインタビューを受けているのを見ました。地震で住んでていた家が倒壊しても、その牧師の娘は守られ、主を証ししていました。

 聖書にも、主に仕える人びとが天使によって守られ、助け出された出来事が記されています。

ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。
ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。
すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」
そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。
彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。
そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」

使徒の働き 12章4~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 当時その地を統治していたヘロデは、ペテロを捕らえて牢に入れましたが、ペテロにはまだ地上に使命があったので、牢から助け出されました。そして、それは、主が天使を遣わしたことにより、もたらされたことであることが彼に分かったのです。

 また、主は、私たちの具体的な必要を満たすために、天使を遣わされることもあります。エリヤは、バアルの預言者との戦いで疲れ切って鬱的な状態にありました。すると次のことが起こります。

自分は荒野に、一日の道のりを入って行った。彼は、エニシダの木の陰に座り、自分の死を願って言った。「主よ、もう十分です。私のいのちを取ってください。私は父祖たちにまさっていませんから。」
彼がエニシダの木の下で横になって眠っていると、見よ、一人の御使いが彼に触れ、「起きて食べなさい」と言った。
彼が見ると、見よ、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水の入った壺があった。彼はそれを食べて飲み、再び横になった。
主の使いがもう一度戻って来て彼に触れ、「起きて食べなさい。旅の道のりはまだ長いのだから」と言った。

列王記 第一 19章4~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 主に仕えていたエリヤにパンと水を与えられたように、主は、天使をとおして私たちの必要を満たしてくださることがあります。

 また、天使は人のかたちで現れることもあります。

兄弟愛をいつも持っていなさい。
旅人をもてなすことを忘れてはいけません。そうすることで、ある人たちは、知らずに御使いたちをもてなしました。

ヘブル人への手紙 13章1~2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

最後に、天使はいつも主を信じる一人ひとりを見ていることを、覚えていきたいと思います。

あなたがたは、この小さい者たちの一人を軽んじたりしないように気をつけなさい。あなたがたに言いますが、天にいる、彼らの御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ているからです。

マタイの福音書 18章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「小さい者たちの一人」でも、天使はいつも見ています。そして彼らは、天におられる神様をいつも見ている、とあります。ですから私たちは、どのような人でも軽んじることがないようにしたいと思います。

 そして、この箇所から、ガーディアンエンジェルと呼ばれる天使が確かにいるかもしれない、と思わされます。臨死体験した人が、天国を神様に見せられたときに、天使が「わたしは地上であなたについていた何々と申します」と自己紹介してくれたそうです。

 今日はリクエストにお応えして、天使について、聖書から見ていきました。しかし、天使については、まだまだ語り尽くせないことがあります。これまでなかなか語る機会がなかったということもありますので、また、近いうちに天使についてのパート2をやりたいと思います。

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