惑わしへの対処法

2021年3月21日

それからイエスは、悪魔の試みを受けるために、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
そして四十日四十夜、断食をし、その後で空腹を覚えられた。
すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、これらの石がパンになるように命じなさい。」
イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを聖なる都に連れて行き、神殿の屋根の端に立たせて、
こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」
悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、
こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」
すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。

マタイの福音書 4章1~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 近頃、世の終わりの前兆が至る所で見られます。宮城沖の地震、アイスランドの火山、神奈川県の異臭騒ぎや、先月はイワシが大量に浜に打ち上げられるといったことも起こりました。

 しかし、私達クリスチャンは心配する必要はありません。私達には、神様の御手があり、御心の時に命が取られ、天国に連れて行かれます。それと同時に、私達は世の終わりを見て、身を引き締め、備えることも必要です。

そこでイエスは彼らに答えられた。「人に惑わされないように気をつけなさい。

マタイの福音書 24章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 世の終わりには、惑わしが必ず起こり、それは避けられません。実際、多くの人が惑わされることが聖書で警告されています。

 それでは、惑わしへの対処はどうしたら良いのでしょう。世の終わりの惑わしに対して、私達は備えていくことが大切なので、今日はそのことについて見ていきたいと思います。先にお読みした、マタイ4章1節から11節の御言葉に、対処の秘訣が示されています。

 まず、惑わす者の目的は何だったのでしょうか。それは、イエス様を神様から離させて、御心を行わないようにさせることでした。そして自分の支配下におくことが目的でした。

 惑わす者は、決して私達のためではなく、惑わす者の益のために惑わしてきます。惑わした人を自分の欲望のために利用する、つまり自分の言うことを聞く崇拝者にしたいのです。惑わす者は、自分が得たいもののために惑わしてきます。私達は、相手が本当に自分のためを思って言っているのか、それとも自分自身の益のために言っているのか、見極めていく必要があります。

 次に、惑わす者の手段について、見ていきたいと思います。

 惑わす者は、御言葉そのもの、または真理のようなものを持って惑わしてきます。一見するとそうなのかなあ、と思わせるものを持ってくるのです。そして、「ノー」というと罪悪感を植えつけてきます。御言葉に従わない、同意しないのは私が悪いのではないか、と思わせるのです。しかし、それは真理ではありません。

 悪魔がイエス様を惑わそうとした時も、御言葉を用いてきました。実際、偽教師、偽預言者と呼ばれる人は御言葉をよく知っています。そして従わないと罪悪感を植え付けてきます。

 それでは、惑わす者に対して、どのように対処したら良いのでしょうか。ここで注目したいのが、先にお読みした聖書の箇所です。イエス様は、悪魔が御言葉を用いて惑わしてきた時に、全て御言葉を持って対処されました。

こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」
イエスは答えられた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばで生きる』と書いてある。」

マタイの福音書 4章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 次の箇所も見ていきましょう。

こう言った。「あなたが神の子なら、下に身を投げなさい。『神はあなたのために御使いたちに命じられる。彼らはその両手にあなたをのせ、あなたの足が石に打ち当たらないようにする』と書いてあるから。」

マタイの福音書 4章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで悪魔が言ったことは、確かに聖書の詩篇91篇に書かれています。しかしイエス様は次のように、申命記6章16節の御言葉を持って対処されました。

イエスは言われた。「『あなたの神である主を試みてはならない』とも書いてある。」

マタイの福音書 4章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私達はこの様に、惑わす者がきた時に、御言葉で反応し、戦う必要があります。次の箇所でも同様に、イエス様は申命記6章13節の御言葉を持って対抗されています。

悪魔はまた、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての王国とその栄華を見せて、
こう言った。「もしひれ伏して私を拝むなら、これをすべてあなたにあげよう。」
そこでイエスは言われた。「下がれ、サタン。『あなたの神である主を礼拝しなさい。主にのみ仕えなさい』と書いてある。」

マタイの福音書 4章8~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 聖書では、御言葉を「御霊の剣」と表現しています。

ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、一切を成し遂げて堅く立つことができるように、神のすべての武具を取りなさい。

エペソ人への手紙 6章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神のことばを取りなさい。

エペソ人への手紙 6章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 御霊の剣は、神の武具のうち敵を切りつけることのできる唯一の武器です。そして攻撃だけではなく、自分を守ることのできる武器でもあります。イエス様は、御言葉の剣を持って悪魔に対抗しました。するとどうなったでしょうか。

すると悪魔はイエスを離れた。そして、見よ、御使いたちが近づいて来てイエスに仕えた。

マタイの福音書 4章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私達が御言葉を持って対抗するならば、悪魔は逃げ去ります。

 終わりの時代には多くの惑わしが起こると聖書に預言されています。そして実際に、惑わしはクリスチャンの中から起こっています。異端と呼ばれる人たちは、元々神様を一緒に礼拝していた者達の中から出てきました。クリスチャンは、相手に御言葉を用いられると弱いところがあります。特に相手がクリスチャン、となるとそうです。しかし、御言葉を用いてくるからと言って、その人が何を目的としているのか、きちんと見極めていかなければなりません。もちろん、皆がそうとは限りませんが、場合によっては相手がただ、自分の欲望を満たしたいから従うことを要求してきているだけかもしれないからです。私達は、その様な時にも同様せず、唯一の攻撃の武器である御霊の剣によって、自分の身を守ることが必要です。

 私達は、御言葉を用いて反論する備えをいつでもしなければならないと同時に、私達自身も、御言葉を利用してはいけません。私達は、御言葉を曲げて使ったり、自分の得たいものを得るために御言葉を持って正当化したり、相手を批判するために御言葉を用いたりすることについて、気をつけなければなりません。それは神様の怒られることです。聖書のヨブ記の中で、ヨブの3人の友達は、もっともらしい御言葉をヨブに語り、神様はそれに対して怒られました。彼らは御言葉を安易に用いてヨブを非難したのですが、それは神様の前に大きな罪です。私達も神様の怒りを買うことがない様に、気をつけなければなりません。

主がこれらのことばをヨブに語った後、主はテマン人エリファズに言われた。「わたしの怒りはあなたとあなたの二人の友に向かって燃える。あなたがたが、わたしのしもべヨブのように、わたしについて確かなことを語らなかったからだ。

ヨブ記 42章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

前のページに戻る