2021年11月28日
イエスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。
ルカの福音書 16章1~13節
主人は彼を呼んで言った。『おまえについて聞いたこの話は何なのか。会計の報告を出しなさい。もうおまえに、管理を任せておくわけにはいかない。』
管理人は心の中で考えた。『どうしよう。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力はないし、物乞いをするのは恥ずかしい。
分かった、こうしよう。管理の仕事をやめさせられても、人々が私を家に迎えてくれるようにすればよいのだ。』
そこで彼は、主人の債務者たちを一人ひとり呼んで、最初の人に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言った。
その人は『油百バテ』と答えた。すると彼は、『あなたの証文を受け取り、座ってすぐに五十と書きなさい』と言った。
それから別の人に、『あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、その人は『小麦百コル』と答えた。彼は、『あなたの証文を受け取り、八十と書きなさい』と言った。
主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。
わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。
最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。
また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。
どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
この世界を見ると、世の終わりの兆候が至るところで現れています。私たちが暮らしている日本では、今普通に生活している分には気づかないかもしれませんが、先進7カ国の中で、一番借金が多く、一番最初に経済破綻に陥ると言われています。それほど、この国は財政的に厳しい状況にあります。
一方、世界の状況を見ると、猛烈なインフレの波が押し寄せてきています。日本でもガソリンの値段は上がってきていますし、物価も上昇しています。物価上昇の水準は0.1%なので、普通に生活している分には、どこの国の話、というような感覚ではありますが、インフレは着実に起こっています。アメリカの物価上昇は6%を超えましたし、ヨーロッパや他国の物価上昇も加速しています。日本でももちろん、インフレが起こらないとは言えません。いや、むしろ避けられません。ある日本の商社マンが価格競争で負けて十分な商品が入らない、と言っていました。
また、日本の給料は世界的に見てもどんどん減ってきています。今や日本人の平均給与は、イギリスや韓国に抜かれたとも言われています。私の経験をお話ししますが、今から7、8年前にニューヨークのマンハッタンに渡り、そこに住む友人とスーパーに入ったとき、「値段が高すぎる」と私が言ったところ、「どこの貧しい国から来たの?」と聞かれたことを覚えています。そこで日本での給料の話をしたら、「なにそれすごく少ないね」と驚かれました。確かに、日本人の給与は、アメリカ人の給与の半分とも言われています。
また、日本は、食料も輸入品に頼っているのが現状です。そして世界の中で取り残されているような現状にあります。ものがない、と最近のニュースなどで報道されています。インフレどころか、ハイパーインフレが忍び寄ってきている、とも言えます。
以上述べてきた状況から、私たちは、インフレや財政破綻に、備えていかなければなりません。ハイパーインフレになると、金利が上昇し、借金を抱えている人は大変です。アメリカでは、金利が少しずつ上がってきているので、円安が進んでいます。また、日本でも金利が上昇してきています。借金をしている人は、今から必死に返していかなければなりません。
礼拝でも度々紹介している、デイビッド・ウィルカーソン先生の『幻』という本の中で、ウィルカーソン先生はできるだけ早く借金は返済しなさい、と言っています。そして、来たる食糧危機のために、食べるものを確保していかなければならない、とも言っています。
コロナショックにより、生活に困る人が増えましたが、これからはもっともっと、生活困難者が増えてくると考えられます。今までは、困っていてもそんなに困っていない、というような感じでした。しかし、生活保護も、財政が破綻したら受けられなくなります。また、年金であっても、いくらウン兆円の余剰金があると言っても、株が大暴落したら年金は株に投資しているので、年金があるから将来は大丈夫、などとは言えません。
このため、自分の生活を確保していくことが必要です。また、自分が食べられるようにしていくと共に、他の人を助けられるようにしていくことも大切です。このような状況の中で、先ほど冒頭で引用した聖書の御言葉に着目し、この世の富の用い方について、今日は見ていきたいと思います。
イエスは弟子たちに対しても、次のように語られた。「ある金持ちに一人の管理人がいた。この管理人が主人の財産を無駄遣いしている、という訴えが主人にあった。
ルカの福音書 16章1~3節
主人は彼を呼んで言った。『おまえについて聞いたこの話は何なのか。会計の報告を出しなさい。もうおまえに、管理を任せておくわけにはいかない。』
管理人は心の中で考えた。『どうしよう。主人は私から管理の仕事を取り上げようとしている。土を掘る力はないし、物乞いをするのは恥ずかしい。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
金持ちの主人に仕えていた管理人は、自分の財産を浪費していると聞いた主人に解雇されそうになったときに、どうすればこの状況を打開できるだろうか、と考えました。管理人は、主人の財産を預かっていたので、借り入れがある人のことも知っていました。そして「こうしよう」と言って、皆を呼びました。
そこで彼は、主人の債務者たちを一人ひとり呼んで、最初の人に、『私の主人に、いくら借りがありますか』と言った。
ルカの福音書 16章5~6節
その人は『油百バテ』と答えた。すると彼は、『あなたの証文を受け取り、座ってすぐに五十と書きなさい』と言った。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ここで述べられている油とは、オリーブオイルのことですが、当時オリーブオイルは利子や気候による出来不出来があったので、その人はリスクヘッジも含めて、主人から油100バテの借りがありました。本当は大体50のところ、それを100にして主人は貸していたのです。そこで管理人は、その利子分の50を免除してあげると、主人に借りがあった人に言いました。
それから別の人に、『あなたは、いくら借りがありますか』と言うと、その人は『小麦百コル』と答えた。彼は、『あなたの証文を受け取り、八十と書きなさい』と言った。
ルカの福音書 16章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
今度の人は、主人から小麦100コルの借りがありました。当時小麦は、オリーブオイルよりも安的的でしたので、利子もリスクヘッジも少なめでした。そこで管理人は、20を免除して80にしてあげる、と言いました。80とは、主人が貸したものの原価でした。
つまり、管理人が主人に借りがあった人からこの金額で、と言ったのは、もともとの主人の懐から出た金額でした。このことにより、主人の利益はなくなりましたが、主人に損失を与えたわけではありません。管理人は、自分がクビになったときに、こうすれば皆が家に入れてくれる、と思って、主人に借りがある人皆を呼びました。確かに、1000万円だったけれども500万円でオーケー、と言われたら、免除された人は、500万円貸してくれたからと言ってその人を家に入れてくれますよね。
主人は、不正な管理人が賢く行動したのをほめた。この世の子らは、自分と同じ時代の人々の扱いについては、光の子らよりも賢いのである。
ルカの福音書 16章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
主人は、管理人が賢く行動したのをほめました。確かに主人も、こんなに人びとから利子を取っていたとは言えないし、管理人の行動によって損害を被ることはありませんでした。ただ、利子分を負けてあげただけです。
ここで聖書は、この世の子らは、光の子ら、つまりクリスチャンよりも賢い、と言っています。つまり、人びとは、どういう風にしたら人が有り難く思ってくれるのか、また、クビになった人びとは、どういう風にしたら人が恩義に感じて助けてくれるのかをわきまえている、と言っているのです。このことから、イエス様は次のように言われています。
わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。
ルカの福音書 16章9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ここでイエス様が言われている「不正の富」とは、この世の富、という意味です。不正、とあるので勘違いしやすいですが、悪いことをして盗んだりだましたりする意味での不正ではなく、この地上で生きている間の富のことです。聖書的に「不正」とは、この世のものという意味で、その反対が天国の富です。イエス様は、この世の富で天国にいる友をつくりなさい、と言われているのです。言い換えると、友が迎えてくれる居場所をつくりなさい、ということです。私たちがこの世の富を用いることで、天国の友をつくれば、彼らが私たちを永遠の住まい、天国に迎えてくれるのです。
友だちというと色々ありますが、一般的には、学生時代、どうしても付き合わなければならなかった友だちを想像します。しかし、本当の友だちとは、自分が困ったときも離れず本当に助けてくれる人を指します。
人の子は、その栄光を帯びてすべての御使いたちを伴って来るとき、その栄光の座に着きます。
マタイの福音書 25章31~40節
そして、すべての国の人々が御前に集められます。人の子は、羊飼いが羊をやぎからより分けるように彼らをより分け、
羊を自分の右に、やぎを左に置きます。
それから王は右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世界の基が据えられたときから、あなたがたのために備えられていた御国を受け継ぎなさい。
あなたがたはわたしが空腹であったときに食べ物を与え、渇いていたときに飲ませ、旅人であったときに宿を貸し、
わたしが裸のときに服を着せ、病気をしたときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからです。』
すると、その正しい人たちは答えます。『主よ。いつ私たちはあなたが空腹なのを見て食べさせ、渇いているのを見て飲ませて差し上げたでしょうか。
いつ、旅人であるのを見て宿を貸し、裸なのを見て着せて差し上げたでしょうか。
いつ私たちは、あなたが病気をしたり牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたがたに言います。あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
イエス様がここで言われている「わたしが空腹であったときに食べ物を与え」とか「旅人であったときに宿を貸し」とか「裸のときに服を着せ」などといったことは、もちろん、すべてではありませんが経済的な負担を伴うものです。こういったことを行い、困っている人や助けを必要としている人に手を差し伸べていくことは、イエス様にしたのと同じこと、と言われています。
こうして、この者たちは永遠の刑罰に入り、正しい人たちは永遠のいのちに入るのです。」
マタイの福音書 25章46節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
私たちは、人びとに、しかも最も小さい者たちの一人に助けの手を差し伸べていくことによって、永遠のいのちを頂くことができます。
確かに、私たちは自分が困っているときに手を差し伸べてくれた人のことはずっと覚えているものです。そして、自分の人生を振り返ったときに、助けてくれた人のことを有り難く思っているものです。それは普段の付き合いに関係なく、です。
私は20代の頃、ホテルを予約せずにシアトル行きの飛行機に乗ってしまい、現地で途方にくれた経験があります。そこで見ず知らずのクリスチャンの未亡人が自宅に泊めてくださいました。それはたった一泊でしたし、その未亡人の方は、もう天に召されていると思いますが、私の「友人」として今でも記憶に残っています。また、アメリカの神学生だったとき、試験や期末に必死で、寮を退出しなければならないことを知らずに年末を迎え、責任者に今から出ていってください、と言われて途方にくれたことがあります。そこで祈ったときに、クリスチャンの方が助けてくれて、ホームステイに連れて行ってくださいました。その方は10日間にわたり無償で泊めてくださり、ディズニーワールドに勤めていた方だったので、ただで行けるようにも手配してくださいました。その時のクリスマスは、私にとって、これまでで特別なクリスマスだったことを覚えています。何よりも、その方に対して、私はずっと恩を感じています。
私のこのような経験からも言えるとおり、本当に自分にとって友だちと思えるのは、困ったときに手を差し伸べてくれる人たちです。
また、この世の富を用いることと、友だちについて、聖書は次のように語っています。
財産は多くの友を増し加え、貧しい者はその友からも引き離される。
箴言 19章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
高貴な人の好意を求める者は多い。だれもが、贈り物をしてくれる人の友となる。
箴言 19章6~7節
貧しい者は自分のすべての兄弟たちに憎まれる。友人が彼から遠く離れるのは、なおさらのこと。彼がことばをもって追い求めても、彼らはいない。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
もし、人が他人に対して、お金を貸してくれ、貸してくれ、と言っていたなら、兄弟たちの中であっても、その人のことが嫌になって離れたいと思うことはある、と聖書は言っています。貧しい人が貸してくれ、と言って、他人からお金をせびっていたら、離れていくものです。しかし、贈り物をしてくれるなら、人はその人の友となります。
このように、人が困ったときに助けるときには、ある程度は経済的な裏付けも必要になります。そういう人は、友も多くなります。
わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。
ルカの福音書 16章9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
先ほども述べましたが、この世の富を用いて自分のために友をつくりなさい、と聖書は言っています。自分が困ったときに助けてくれたり、服を着せてくれたりすると、人は特に、その人の友になります。
それでは、この世の富をどのように得るのでしょうか。それはもちろん、労働によって得る必要があります。使徒のひとりであったパウロも次のように言っています。
私は、人の金銀や衣服を貪ったことはありません。
使徒の働き 20章33~35節
あなたがた自身が知っているとおり、私の両手は、自分の必要のためにも、ともにいる人たちのためにも働いてきました。
このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
パウロは伝道者でもあり、同時に天幕作りのプロフェッショナルでもありました。その彼も、仕事をしていくことはとても大切だと言いました。また、労働について、聖書は次のようにも語っています。
また、私たちが命じたように、落ち着いた生活をし、自分の仕事に励み、自分の手で働くことを名誉としなさい。
テサロニケ人への手紙 第一 4章11~12節
外の人々に対して品位をもって歩み、だれの世話にもならずに生活するためです。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
このように聖書は、私たちが落ち着いた生活をし、自分の仕事に身を入れて働くことも大切である、と言っています。このことによって、私たちが人びとを助けてあげれば、その人はずっと私たちの友となります。
しかし、今の時代にあって働けない状況に陥ることもあります。そういうときには、今の時代は、聖書の時代と違ってSNSを使ってネットビジネスをするなど、色々と方法はあります。どのような方法であっても、聖書の教えに立ち返って、天国に行く友を作るために、富を賢く用いていくことが必要です。そして、本当に人びとが困っているときに、余裕があるときに分け与えていくことが大切です。
このことと関連して、私たちは贅沢や快楽を求めないことも必要です。
金持ちたちよ、よく聞きなさい。迫り来る自分たちの不幸を思って、泣き叫びなさい。
ヤコブの手紙 5章1~5節
あなたがたの富は腐り、あなたがたの衣は虫に食われ、
あなたがたの金銀はさびています。そのさびがあなたがたを責める証言となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くします。あなたがたは、終わりの日に財を蓄えたのです。
見なさい。あなたがたの畑の刈り入れをした労働者への未払い賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人たちの叫び声は、万軍の主の耳に届いています。
あなたがたは地上でぜいたくに暮らし、快楽にふけり、屠られる日のために自分の心を太らせました。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
お金を自分の贅沢や快楽のために用いていくことはよくありません。私たちは身を慎み、自分にゆだねられている不正の富を正しく用いて、天国に行く友のために用いていくことも大切です。
人は、自分を助けてくれた人を何年経っても覚えているものです。たとえノンクリスチャンに手を差し伸べたとしても、信仰を強要することはできませんし、選択するのはその人です。しかし、多くの人が福音を聞かない中で、助けてあげたときには、福音を聞いてくれやすくなります。その足掛かりとしても、困ったときに手を差し伸べることは、人間関係づくりの土台となります。
この世の富は、無くなるものです。しかし、助けてあげて友となった人たちは、天国で私たちを迎えてくれます。この世の富がなくなっても、私たちの行いは、ついてきてくれます。助けてあげた友は、私たちが天国に入るために、この人は天国に入るのにふさわしい人だ、と言って証人となってくれます。
「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる」と書かれているようにです。
コリント人への手紙 第二 9章9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
この聖書の御言葉は、正しい行いはついていくということです。ここで私たちは、この世の富はなくなるものだということを、しっかりと認識しなければなりません。ヨブも、聖書の中で、「私は裸でこの地に来た。そして裸でこの地を去る」と言いました。
また、お金は、この世の小さなことです。主人から管理人がその財産を預かっていたように、お金は神様からゆだねられたものです。イエス様も次のように言われました。
最も小さなことに忠実な人は、大きなことにも忠実であり、最も小さなことに不忠実な人は、大きなことにも不忠実です。
ルカの福音書 16章10~12節
ですから、あなたがたが不正の富に忠実でなければ、だれがあなたがたに、まことの富を任せるでしょうか。
また、他人のものに忠実でなければ、だれがあなたがたに、あなたがた自身のものを持たせるでしょうか。
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
ここでイエス様が言われている、「最も小さなこと」とは、この世の富のことです。そして「大きなこと」とは、天国の富のことです。私たちは、この世の富を用いることについても、忠実であることが求められます。イエス様は、「あなたがたが不正の富に忠実でなければ」それを任せられない、と言われました。また、「他人のものに忠実でなければ」だれが天国の富を持たせるのか、とも言われました。「他人のもの」とは、この世の富のことです。つまり、この世の富は私たちのものではなく、私たちは主人から財産を任せられた管理人に過ぎないのです。このように私たちは、これから来たる大きいものを任せられるために、忠実でなければなりません。
最後に、この世の富についての注意点をお話します。富はマモンとなって、私たちを支配するものになりやすいので、注意しなければなりません。
どんなしもべも二人の主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛することになるか、一方を重んじて他方を軽んじることになります。あなたがたは、神と富とに仕えることはできません。」
ルカの福音書 16章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
私たちは、富に支配されないように注意しなければなりません。そして、富ではなく、神様に仕えていかなければなりません。
また、たとえこの世の富が無くなっても、私たちは心配する必要はありません。ただ、神様さえいてくだされば私は十分だ、と思うことが大切です。
今日の話をまとめると、天国の友が待っていてくれて、私たちも天国での居場所が確保されていくために、富を賢く、忠実に用いることが要求されています。私たちは、神様に仕え、消え去るもののためではなく、天国のために友を作っていくものでありたいと思います。