介護の問題

2022年9月25日

  御言葉を拝読していきましょう。
 今朝の御言葉は、ルカ19章10節です。ザアカイが救われたときの話は前にしましたが、やっと戻ってくることができました。
天国の話はとても大切ですので、長い時間をかけてみてきました。救われるにはどうしたらいいのか、ということです。ただ、単にイエス様を救い主と信じるだけでなく、イエス様を主として受け入れ、そしてイエス様の愛に応えて私たちがイエス様にすべてをゆだねて、イエス様に聞き従うこと。そのことによって私たちは救われると学んできました。
今日は、ザアカイの物語の最終節、ルカ19章10節の御言葉をお読みしたいと思います。

人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。」

ルカの福音書 19章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 お祈りします。
愛する天の父なる神様、私たちは、人生において悩むことがいろいろとありますけれども、どうか常に御言葉に立ち返って、御言葉は、イエス様は、何と言っておられるのか、神様は何と言っておられるのか、聞いてゆくことができますように、そして迷うことがないようにしてください。自分で考え出したものや、この世で流行していることにより頼むと、それは薄っぺらく、すぐ忘れてしまいます。でもの御言葉は真理であり、いのちの御言葉です。ですから、そこに聞き従うとき、その御言葉はずっと私たちのうちに残り、私たちの生きる指針を与えてくださいます。
どうか御言葉にいつもより頼み、御言葉は、イエス様の真理は、いのちは、何と言っているのかを、私たちが聞いてゆくことができるように助けてください。

 それでは、今日の御言葉を読みますけれども、「人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです」とあります。イエス様は失われたものを探し出して救うためにこられました。そして私たちも救われました。本当に感謝なことです。

 イエス様の第一のミッション、それは失われたものを探し出して救うために来られたということです。イエス様のミッションは、失われたものを探し出して救うためで、それが第一のミッションです。

 私も、高校生の時にイエス様を信じて救われました。その時イエス様は特別に私に現れて三つのことを言ってくださったということは以前もお話ししました。一つ目は、イエス様は祈ったことは何でも聞いていると言ってくださいました。そしてイエス様の心にかなうものは全部叶えてあげるというメッセージでした。祈りは聞いてくださっているということです。二番目は、聖書の御言葉は全部、本当だという事です。そして三つ目は個人的なものでしたが、聖書の福音を伝えなさい、ともかく伝えなさいと言われました。その人が聞こうと聞くまいと、福音を伝えなさいと言われました。

 私は当時、とても恥ずかしがりでシャイでしたので、あまり伝えていなかったのですが、「わかりました。イエス様、福音を伝えます、人が聞いても聞かなくても伝えます」と言ったときに、最後に言われたのは「人が受け入れようが受け入れまいが、それはあなたの責任ではないのです。とにかくあなたは伝えなさい」と言われて、それ以来、私はそのように心がける伝道者になりました。福音を伝えると言うことはとても大切です。心に留めないといけないと思います。

 しかし今の時代は、介護が問題になってきます。今まで核家族だったのが、単家族になって、介護の負担が増えてきました。そして介護する子どもも高齢化社会になってきて、子どもが親の介護ができない場合は、その息子や孫が介護しないといけないといわれる時代で、介護していない人はなにか心苦しくて責められるみたいな雰囲気があります。介護のために子供なり孫なりが仕事をやめて、その後の生活が成り立たずに破産してしまうこともあります。

 この介護に関して、神様の御心は何と言われているのか、ということを伝えてゆきたいと思います。いつも申し上げているように、私たちは神様に御心を聞かないといけないのです。イエス様はどう言われているかということですが、その前に小さい証をしたいと思います。

 私も40歳ちょっと前ぐらいのときに、介護のことで悩みました。私の家庭は弟と私しか兄弟がいませんし、弟は自分が絶対に気に入った人でないと結婚しないと言っていました。このままですと弟も独身ですし、親の面倒は結局私に回ってくるのではないか、私が親の面倒を見るために、つくばの働きをやめて福井県に帰ったほうがいいのではないか、両親の面倒みることは主が喜ばれる事ですからと考えたわけです。

 十戒の第五戒、「あなたの父と母をうやまえ」というのは、育ててもらったことに対して親に報いるということですから、私も帰ったほうがいいのではないですか?と、ある集会に出た時に主に祈りました。そうしましたら、主から答えがすぐに返って来たのです。その主の答えというのは、「あなたはつくばにとどまりなさい、親は私が責任を持って面倒をみる」と、すごくはっきりした答えだったのです。なぜそんなはっきりした答えだとわかるかと言うと、私は主に集会の前に祈ったのですが、介護とは全然違うテーマの集会だったのですが、主からの答えが預言を通してメインスピーカーから答えが返ってきました。その先生が祈ってくれた時、「主は、あなたの両親の面倒は全部見ると言っていますよ。あなたはもう主に全部任せて、安心してつくばで伝道しなさい」と言われました。それで「分かりました。ありがとうございます」と言いました。親がいろいろ言っても、イエス様が全部面倒を見てくれるのだったら安心だと思って、その御言葉に頼ってつくばで伝道しました。

 そのときには、両親ともに、介護は要らない状況でした。父が亡くなったのは今から20年ぐらい前で、弟もまだ独身でした。私は、父がもう亡くなりそうだとの知らせを聞いたので、「すぐ救急車を呼んで」と話して、父は救急車の中で、最愛の母に見送られながらこの世を旅立ちました。その時、本当に感謝だったのは、父と一緒に何回もお正月に祈ることができたことです。父はお正月前に具合が悪くなったのですが、最後に祈ったときには、私と二人だけの祈りでしたが、何回も、「罪を悔い改めます、天国に連れていってください」という祈りが、父と私が捧げた最後の祈りでした。

 病院では弟の到着まで、心臓マッサージをしてくれましたが、最後は救急車の中だったと思います。そして私は急いで新幹線に乗って福井に帰りましたが、もちろんもう父と話すことはできませんでした。最後に間に合いませんでした。でもとても感謝なことでした。イエス様は多くの背いた人のためにも取りなしておられますから、父のためにも取りなしてくださったと思ったからです。もちろん結果は主にゆだねることですが、主は取りなししてくださっているということは、慰めでした。

 そのあと、小浜の実家に帰ったのですが、私は母の涙を生まれてはじめて見て、母の悲しそうな顔に耐えられませんでした。最愛の父が亡くなって、息子にお嫁さんがいないというのは、田舎ですので辛いことでしたので、わたしは弟に良いお嫁さんがくるようにと祈りました。でも弟はまったく結婚するつもりはありませんでした。それで私は、ともかく主にすがるしかありませんでしたので、母がこんなに、体をこわすほど悲しまないように、弟に本当に良いお嫁さん、しかもとても難しい事ですが、どうか、できるお嫁さんをくださいと祈りました。

 その弟が結婚しました。ある時電話かかってきて、良い人が見つかったので、会いに来て欲しいと言うのです。「それはいいことだからすぐ行くよ」と言って、会いに行きました。叔母たちがもってくる縁談には全然目もくれなかったのに、弟はその人にもうゾッコンのようでびっくりしました。というのは、弟は40歳ぐらいだったのですが、お嫁さんがとてもきれいな人で、ちょっともったいないのではと思ったぐらいでした。そして年はなんと16歳も年下でした。しかも、いわゆる有名大学を出て、とても性格も良くて、どこに住むの、と尋ねましたら、うちの家に住むと言うのです。

 16歳も年下で容姿端麗で、有名大学を出た人がうちの家に同居してくれるとはとびっくりしまして、「本当にいいんですか?弟で本当にいいんですか?弟でいいんですか?」と何回も聞かないと安心できないような感じでした。ああ、これは神様が与えて下さった方だと思って、感謝しました。

 そしてそのお嫁さんになってくれる人が、お姉さんは牧師だから、結婚式の司式をしてもらいましょうと言い出しました。まさかそんなことはないと思っていたので、弟も私もびっくりしましたが、地元のホテルで結婚式の司式をさせてもらうことになりました。親戚や同僚、教えている生徒さんまで(実は二人は高校の先生でした)来てくれました。地元の人に福音を伝える機会はなかなかありませんから、「福音を伝えたいので40分の時間をください。30分は司式のために使いますが、それを40分にして欲しい」とお願いしました。

 その間、花嫁さんは立っていないといけないとホテルの人から言われましたが、「これはもっと大切なことですから、福音を、本当のキリスト教を伝えるために、全部で40分ください」と言いました。お嫁さんには気の毒だったのですが、40分で福音の中心の部分を語らせていただきました。福音を語らせていただけて、こんなに良い人が来てくれて、本当に感謝でいっぱいになりました。このように、主はビッグサプライズを与えてくださいます。私は本当に感謝しました。

 今、少子高齢化がどんどん進んでいます。そして親の介護をしなければいけないというプレッシャーが大きくなっています。主の御心はまず聖書を読むことから始まります。親を抱えて伝道されている人に対して、聖書の御言葉はなんと言っているのかを見ましょう。

これは、預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。「彼は私たちのわずらいを担い、私たちの病を負った。」
さて、イエスは群衆が自分の周りにいるのを見て、弟子たちに向こう岸に渡るように命じられた。
そこに一人の律法学者が来て言った。「先生。あなたがどこに行かれても、私はついて行きます。」
イエスは彼に言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません。」
また、別の一人の弟子がイエスに言った。「主よ。まず行って父を葬ることをお許しください。」
ところが、イエスは彼に言われた。「わたしに従って来なさい。死人たちに、彼ら自身の死人たちを葬らせなさい。」

マタイの福音書 8章17~22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「死人たちに彼ら自身の死人たちを葬らせなさい」というのは、どういう意味でしょうか。死人は何もできないですよね。それなのに死人に死人を葬らせるというのは、どういう意味だと思いますか。実は死人というのは、主に対して抵抗する人たちです。神様の御心は、誰も失われないように、みんなが救われるようになることですが、どうしても主を拒否する人がいます。ですから、ここで死人というのはイエス様を拒否する霊的な死人のことです。ここでの意味は、イエス様を受け入れない霊的な死人は、霊的な死人に世話をさせなさい、ということです。

 ですから、私たちはこの言葉をいただいて、死人に死人の世話を委ねて、あなたは福音を宣べ伝えなさいと言われている御言葉に従って、聖書の御言葉を伝えるべきです。主は必ず用意してくださいます。

 ちなみに、先ほどの弟の結婚の話で言い忘れたのですが、弟とお嫁さんの間に二人の子供が生まれて、一人女の子でした。近所の人は、「この子はお嫁さんに全然似てなくて、富岡先生に似ている」といつも言われるので、大変申し訳ないと思っていますが、母もそう思っているようで、私がいなくても全然平気だというのです。母が私の家に来たことがありますが、早く帰りたい、早く帰って孫に会いたい、とずっと言うので、私が困ったくらいに孫をかわいがっていまして、孫がいればもう充分といったことを言っています。

 主はかならず、みんなが満足する形で解決してくださいます。もし私たちが福音伝道に召されていて、そして主がそうしなさいと言われるなら、絶対に従った方がいいのです。

さて、大勢の群衆がイエスと一緒に歩いていたが、イエスは振り向いて彼らに言われた。
「わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分のいのちまでも憎まないなら、わたしの弟子になることはできません。

ルカの福音書 14章25~26節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 この「憎む」という言葉は、「より少なく愛する」ということです。愛するのは当然のことですが、より少なく愛する。父、母、子、娘、息子、兄弟姉妹をイエス様よりも愛するなら、その人は弟子としてふさわしくないと言われています。家族を愛するのはとても良いことのように見えますが、イエス様をもっと愛しなさいと言われているわけです。今は緊急の時です。もうこの世の終末のときです。このような緊急のとき、主は多くの人たちに伝道するものとして私たちを召されています。人間には、それしか救われる方法がありません。そして一つのたましいの値打ちは、この世界の財産すべてよりも重いのです。

 ですから、私たちは、この福音伝道に全力を傾ける必要があります。とにかくイエス様が救い主であること、主であることを伝えなさいと私達に言われています。ですから、私たちはその命令に親や配偶者が反対したとしても、この命令を私たちは遂行して行かないといけないのです。

 家族よりもイエス様の御心に従うことを優先することを選ぶとき、困ることが起こることもあります。なかには、600万円や800万円の年収を捨てて親の面倒や配偶者の面倒を見ているという人もいますが、しかし、イエス様にあっては召しによばれたならば、伝道の働きにつくことが優先です。

 私たちがその犠牲を払って、自分を捨て、自分の十字架をせおって私に従ってきなさい、とイエス様が言われています。イエス様の御心が第一。いろいろな批判を乗り越え福音を伝えてゆくことは、どんな仕事よりもとうとい仕事だと思います。

 確かに、ハッピーエンドで終わるとは限りませんが、とても大切なやりがいがある仕事ですので、皆さんも主から呼ばれたら、立っていただきたいと思います。そしていつも、聖書はなんと言っているのか、いのちの書はなんて言っているのか、御心に聞くということをしていただきたいと思います。

 どうか私たちを主にあるものとして、父、母の介護よりもイエス様の御心に従って、福音を伝えてゆこうとする人たちを励ましてください。それが主が喜ばれることです。

 お祈りします。
 愛する天の父なる神様。あなた様のとうとい名を褒めたたえます。今日は、何が私たちの判断基準になるのかということについて学びました。大切なことはこの世の本や自分の思いに聞くことではなく、主に聞いて従うことだと教えていただき、ありがとうございます。
 厳しい言葉があなた様から来ることもありますが、私たちが御言葉に立って、あなた様の御心に従って主が喜ばれることをしていくことができるように助けてください。あなた様の御心にただ、従っていく。そのような幸いなものにしてください。介護の問題も、あなた様の御心は全ての必要を満たしてくださることを心から感謝します。そして祝福されることを感謝します。
 今は本当に世の終わりの時代です。福音を伝える人が少ないですが、どうかイエス様がくださる御言葉を熱心に伝えてゆけるように助けてください。とうとい救い主イエス様のみ名によってお祈りします。アーメン。

 祝祷します。
 仰ぎこい願わくば、イエスキリストの御父なる神の愛。聖霊さまの交わりが、御前に立つ全ての方々に、御前に立つその時までゆたかにありますように。またオンラインで聞いてくださる方々、また地球の反対側で聞いてくださる方々の上に、祝福がありますように。この終わりのときに、特に主の御心を行い、主の喜ばれる人生を全うさせてください。誰一人離れることなくイエス様によって守られますように。アーメン。

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