終末の生き方

2021年3月14日

ユダの王、ヨシヤの子エホヤキムの第四年に、ネリヤの子バルクが、エレミヤの口述によってこれらのことばを書物に書いたとき、預言者エレミヤが彼に語ったことばは、こうである。
「バルクよ、イスラエルの神、主は、あなたについてこう言われる。
『あなたは言った。ああ、私はわざわいだ。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない、と。』」
「エレミヤよ、あなたは彼にこう言え。『主はこう言われる。見よ。わたしは自分が建てたものを自分で壊し、わたしが植えたものを自分で引き抜く。この全土をそうする。
あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下そうとしているからだ──主のことば──。しかしわたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える。』

エレミヤ書 45章1~5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今日の聖書の箇所に出てくるバルクは、エレミヤの口述筆記者で、エレミヤの預言をエレミヤ書にまとめた人物です。この箇所から、神様はどの様なお方で、それに対してどの様に応答すべきか、見ていきたいと思います。

 まず、一つ目に覚えたいのは、私達が口にする全ての言葉は神様に聞かれている、ということです。

「バルクよ、イスラエルの神、主は、あなたについてこう言われる。
『あなたは言った。ああ、私はわざわいだ。主は私の痛みに悲しみを加えられた。私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない、と。』」

エレミヤ書 45章2~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで、神様は、「私はあなたの呟いた言葉を聞いている」とバルクに語られています。私達は、私達の口にする全ての言葉、呟きでも神様に聞かれていることを、恐れを持って覚えなければなりません。

主はモーセとアロンに告げられた。
「いつまで、この悪い会衆は、わたしに不平を言い続けるのか。わたしは、イスラエルの子らがわたしにつぶやく不平を聞いた。
彼らに言え。わたしは生きている──主のことば──。わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。
この荒野におまえたちは、屍をさらす。わたしに不平を言った者で、二十歳以上の、登録され数えられた者たち全員である。
エフンネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、おまえたちを住まわせるとわたしが誓った地に、だれ一人入ることはできない。

民数記 14章26~30節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここでは、カナンに偵察に行った10人の言葉を聞いて、不平を言ったイスラエルの民について書かれています。ここで神様は、「わたしは生きている」と語っておられますが、それは「わたしは聞いている」という意味です。そして「わたしは必ず、おまえたちがわたしの耳に語ったとおりに、おまえたちに行う。」とも語られ、実際にカレブとヨシュア以外は荒野で滅ぼされることになります。

 私達は自分が語ったこと、そして行ったことについて、最後に必ず神様に申し開きをしなければなりません。特に、神様に対する不平不満の言葉について、気をつけなければなりません。

 しかし感謝なことに、神様は、私達が呟いたことについて告白するなら、それを赦して下さいます。そして、私達は、告白して終わりではなく、これから絶対に不平を口にしていかないようにしなければなりません。私達は、いつでも神様をあがめ、感謝することが必要です。

 また、2番目に覚えたいのは、主は確かに滅ぼされる方ですが、それを惜しまれるお方であるということです。

「エレミヤよ、あなたは彼にこう言え。『主はこう言われる。見よ。わたしは自分が建てたものを自分で壊し、わたしが植えたものを自分で引き抜く。この全土をそうする。

エレミヤ書 45章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 主は、「わたしは自分が建てたものを自分で壊し、わたしが植えたものを自分で引き抜く」と語っていますが、それを痛みを持って行っておられます。「私は嘆きで疲れ果て、憩いを見出せない」と言ったバルクが悲しんでいる以上に、神様はイスラエルの民を滅ぼされることを悲しんでいたのです。主は、鉄の心を持って、冷淡に滅ぼされるわけではありません。

主は言われた。「あなたは、自分で労さず、育てもせず、一夜で生えて一夜で滅びたこの唐胡麻を惜しんでいる。
ましてわたしは、この大きな都ニネベを惜しまないでいられるだろうか。そこには、右も左も分からない十二万人以上の人間と、数多くの家畜がいるではないか。」

ヨナ書 4章10~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ヨナは、ニネベの人々が悔い改めて主に立ち返るようにつかわされた預言者でした。このヨナの預言によって、ニネベの人々は悔い改めて、滅ぼされることを免れました。神様は、いつでも主に反抗する人間を救いたいと思われています。私達は、私達自身の罪により滅ぼされるのであって、神様は滅ぼすことを決して喜ばれていないのです。

しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。

ペテロの手紙 第二 3章7~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私達は、滅ぼされることについて神様を責めてはなりません。滅ぼされるのは、私達自身の罪の結果だからです。地震などの、色々な災害によって大勢の人々の命が失われることを私達は目にし、悲しみます。こうした災害は、人間の罪によって引き起こされたもので、犠牲になった人々が特別に罪深かったからではありません。こうした災害は、全世界規模で引き起こされる滅びの警告であり、神様は、これらの命を惜まれ、これらの命が失われることを悲しまれています。そして私達一人ひとりに、悔い改めを促されているのです。

 私達は、恵みのある間に、悔い改めて、神様に応答していくことが大切です。

 また、次の箇所を見て行きましょう。

あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下そうとしているからだ──主のことば──。しかしわたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える。』

エレミヤ書 45章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 3番目に覚えたいのは、私達は、時代によって求めても良いものとそうでないものがある、ということです。

ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう言われます。『わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とした。また、わたしはサウルの手からあなたを救い出した。
さらに、あなたの主君の家を与え、あなたの主君の妻たちをあなたの懐に渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、あなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。

サムエル記 第二 12章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 当時イスラエルの王様で主に仕えていたダビデは、ウリヤに罪を犯して、人のものを取るという罪も犯しました。神様は、「それでも少ないというのなら、あなたにもっと多くのものを増し加えたであろう」とダビデに叱責しました。ダビデの時代には、大きなものを求めても良かったのです。そしてダビデの息子であるソロモン王も、多くの富を神様によって与えられた人物でした。

ギブオンで主は夜の夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。父があなたに対し真実と正義と真心をもって、あなたの御前に歩んだからです。あなたはこの大いなる恵みを父のために保ち、今日のように、その王座に着いている子を彼にお与えになりました。
わが神、主よ。今あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし私は小さな子どもで、出入りする術を知りません。
そのうえ、しもべは、あなたが選んだあなたの民の中にいます。あまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど大勢の民です。
善悪を判断してあなたの民をさばくために、聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、この大勢のあなたの民をさばくことができるでしょうか。」

列王記 第一 3章5~9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

これは主のみこころにかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを願い、自分のために長寿を願わず、自分のために富を願わず、あなたの敵のいのちさえ願わず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を願ったので、
見よ、わたしはあなたが言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに、知恵と判断の心を与える。あなたより前に、あなたのような者はなく、あなたの後に、あなたのような者は起こらない。

列王記 第一 3章10~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしの掟と命令を守ってわたしの道に歩むなら、あなたの日々を長くしよう。

列王記 第一 3章14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ソロモン王が自分のために長寿や富を願わず、むしろ正しい訴えを聞き分ける判断力を神様に願ったため、神様は喜ばれ、判断力と共に巨額の富と繁栄をも結果的に与えられました。しかし、それが今の私達に適用できるとは限りません。時代によって、神様が与えられるものは違うからです。時代によっては、富、誉れ、財産を求めても良いと神様は語られました。しかし、神様は、エルサレムが滅ぼされようとする時代にあって、「大きなことを求めるな」とバルクに語られました。

 現在、コロナウイルスの蔓延がなかなか収まらない中で、ニュージーランドでも大きな地震がありました。これまでのニュージーランドの地震は、日本とも連動しているため、もしかしたら大きな地震がこれから起こるかもしれません。私達は、現に終わりの時代に入っています。バルクに、「大きなことを求めるな」と神様が語られたのと一緒の時代を、私達も生きているのです。

すべてのことには定まった時期があり、天の下のすべての営みに時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある。
殺すのに時があり、癒やすのに時がある。崩すのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、笑うのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
裂くのに時があり、縫うのに時がある。黙っているのに時があり、話すのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦いの時があり、平和の時がある。

伝道者の書 3章1~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「求めるのに時があり、あきらめるのに時がある。」と聖書は語っています。また、次のようにも語っています。

私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。
衣食があれば、それで満足すべきです。

テモテへの手紙 第一 6章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今はもはや、外車や高級ブランド品などを求められる時代ではなくなりました。私達は、衣食があればそれで満足すべき時代に生きています。しかし、それと同時に、神様がバルクに次のように語られたことも覚えたいと思います。

あなたは、自分のために大きなことを求めるのか。求めるな。見よ。わたしがすべての肉なる者に、わざわいを下そうとしているからだ──主のことば──。しかしわたしは、あなたが行くどこででも、あなたのいのちを戦勝品としてあなたに与える。』」

エレミヤ書 45章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 バルクは、口述筆記者としてエレミヤに忠実に仕えてきました。神様はそのことを見ておられ、バルクに「私はあなたを守る。あなたが敵に滅ぼされることはない」と語られたのです。

 主は、主に忠実に仕える人々を決して見捨てられません。困難な時代にあっても、その人々を守ってくださいます。

 以前の礼拝で取り上げた聖書の箇所のエベデメレクについても、命をかけてエレミヤを助け出したことを神様は覚えておられました。エベデメレクのように、バルクにも、大きなことを求めるべきではないが、守られることを神様は約束されました。神様は、その人の忠実な行いを決して忘れられません。そして命を守ることを約束されています。

 これからは、もしかしたら海外旅行など行けない時代になってくるかもしれません。聖書では、疫病や大地震が預言されており、神様の許しの中で、困難な終わりの時代は必ず起こります。しかしそのような中であっても、エレミヤのように注目を集める働きではなく、裏方であったとしても、また、命をかけてエレミヤを助ける働きであったとしても、神様は、「あなたに報いとして命を守る」とバルクやエベデメレクに約束されました。同じように、私達にも神様は語られます。すなわち、主は目立たない働きであってもちゃんと見ておられます。大きい働きをするからと言って、それが素晴らしいわけではありません。コトの大小ではなく、タラントが一人ひとり違う中で、どのようにそれを使って主に忠実に仕えたか、が問われているのです。主は、人が見るようには見ません。むしろ主はその人の心を見ておられます。

 私達は、ともすれば1タラントのみ与えられた時には、それを土に埋めがちです。しかし、5タラントであっても1タラントであっても、それを用いていくならば、同じ主からの労いを頂くことができるのです。

神は不公平な方ではありませんから、あなたがたの働きや愛を忘れたりなさいません。あなたがたは、これまで聖徒たちに仕え、今も仕えることによって、神の御名のために愛を示しました。

ヘブル人への手紙 6章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 主は、私達が主に仕えた働きを覚えておられ、報いてくださいます。そして、着るものも住む場所も用意して下さいます。

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

コリント人への手紙 第一 15章58節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 神様は、どのような時代にあっても、「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。」と私達に命じられています。私達の労苦は無駄ではなく、主は必ず報いてくださるお方だからです。それはこの地においてもそうですし、この世の生を終えても、究極的には天国に迎えられることになります。

あなたは忍耐についてのわたしのことばを守ったので、地上に住む者たちを試みるために全世界に来ようとしている試練の時には、わたしもあなたを守る。

ヨハネの黙示録 3章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 試練の時は必ず来ます。しかし、主は守られることを約束して下さっています。

神は、一人ひとり、その人の行いに応じて報いられます。
忍耐をもって善を行い、栄光と誉れと朽ちないものを求める者には、永遠のいのちを与え、

ローマ人への手紙 2章6~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

神にはえこひいきがないからです。

ローマ人への手紙 2章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 神様にはえこひいきがなく、一人ひとり、その行いに応じて報いられるという約束を信じて、忠実に主の御前を生きていきたいと思います。

見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。

ヨハネの黙示録 22章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 この世では、正しくやっても報いられないことが多々あります。「正直者は馬鹿を見る」という言葉の通りです。しかし、神様は全てのことを見ておられ、えこひいきをされない方なので、一人ひとりに違った形で報いて下さいます。天国に入ることも報いとして与えられる大きな恵みですが、天国においても報いの違いはあります。

 主は、隠れたところで私達が行うことについて、報いられるお方です。私達は、この地で苦難によって心沈むことなく、むしろ心を奮い立たせ、自分の任されたことを忠実になし、主に熱心に仕えていく者でありたいと思います。

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