金持ちと貧しい人

2020年12月6日

ある金持ちがいた。紫の衣や柔らかい亜麻布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮らしていた。
その金持ちの門前には、ラザロという、できものだらけの貧しい人が寝ていた。
彼は金持ちの食卓から落ちる物で、腹を満たしたいと思っていた。犬たちもやって来ては、彼のできものをなめていた。
しばらくして、この貧しい人は死に、御使いたちによってアブラハムの懐に連れて行かれた。金持ちもまた、死んで葬られた。
金持ちが、よみで苦しみながら目を上げると、遠くにアブラハムと、その懐にいるラザロが見えた。
金持ちは叫んで言った。『父アブラハムよ、私をあわれんでラザロをお送りください。ラザロが指先を水に浸して私の舌を冷やすようにしてください。私はこの炎の中で苦しくてたまりません。』
するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。
そればかりか、私たちとおまえたちの間には大きな淵がある。ここからおまえたちのところへ渡ろうとしても渡れず、そこから私たちのところへ越えて来ることもできない。』
金持ちは言った。『父よ。それではお願いですから、ラザロを私の家族に送ってください。
私には兄弟が五人いますが、彼らまでこんな苦しい場所に来ることがないように、彼らに警告してください。』
しかし、アブラハムは言った。『彼らにはモーセと預言者がいる。その言うことを聞くがよい。』
金持ちは言った。『いいえ、父アブラハムよ。もし、死んだ者たちの中から、だれかが彼らのところに行けば、彼らは悔い改めるでしょう。』
アブラハムは彼に言った。『モーセと預言者たちに耳を傾けないのなら、たとえ、だれかが死人の中から生き返っても、彼らは聞き入れはしない。』

ルカの福音書 16章19~28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今日は、上の箇所から、金持ちと貧しい人の違いについて見ていきたいと思います。

 ここでまず真実を申し上げますと、金持ちは救われる人が少ない、ということです。もちろん、新約聖書に出てくるラザロや、『パンセ』を執筆したパスカルのように、救われる人はいます。しかし貧しい人は、最初から持っているものがないので、財産を捧げることが容易いのです。

イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話し始められた。「貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。
今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです。今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです。
人々があなたがたを憎むとき、人の子のゆえに排除し、ののしり、あなたがたの名を悪しざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。
その日には躍り上がって喜びなさい。見なさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。彼らの先祖たちも、預言者たちに同じことをしたのです。
しかし、富んでいるあなたがたは哀れです。あなたがたは慰めをすでに受けているからです。
今満腹しているあなたがたは哀れです。あなたがたは飢えるようになるからです。今笑っているあなたがたは哀れです。あなたがたは泣き悲しむようになるからです。
人々がみな、あなたがたをほめるとき、あなたがたは哀れです。彼らの先祖たちも、偽預言者たちに同じことをしたのです。

ルカの福音書 6章20~26節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです。』とイエス様が言われたように、貧しい人は、金持ちのように高ぶって人を見下す、ということがなく、へり下る人が多いので、天国に行く人が多いのです。

 また、金持ちは、神様よりお金により頼むという誘惑に会いやすく、神様から離れていく人が多いです。

金持ちになりたがる人たちは、誘惑と罠と、また人を滅びと破滅に沈める、愚かで有害な多くの欲望に陥ります。
金銭を愛することが、あらゆる悪の根だからです。ある人たちは金銭を追い求めたために、信仰から迷い出て、多くの苦痛で自分を刺し貫きました。

テモテへの手紙 第一 6章9~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで語られている『金持ちになりたがる人たち』とは、信仰者にも当てはまります。お金を持っていると色々な誘惑に会いやすいことがこの聖書の箇所からもわかります。また、『金銭を愛することが、あらゆる悪の根』とも語られています。そのことによって信仰から迷い出てしまう人がいるのです。次の箇所で、イエス様は、金持ちが天国に入ることはかなり難しいことと語られています。

すると見よ、一人の人がイエスに近づいて来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをすればよいのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「なぜ、良いことについて、わたしに尋ねるのですか。良い方はおひとりです。いのちに入りたいと思うなら戒めを守りなさい。」
彼は「どの戒めですか」と言った。そこでイエスは答えられた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽りの証言をしてはならない。
父と母を敬え。あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい。」
この青年はイエスに言った。「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。」
イエスは彼に言われた。「完全になりたいのなら、帰って、あなたの財産を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を持つことになります。そのうえで、わたしに従って来なさい。」
青年はこのことばを聞くと、悲しみながら立ち去った。多くの財産を持っていたからである。
そこで、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに言います。金持ちが天の御国に入るのは難しいことです。
もう一度あなたがたに言います。金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通るほうが易しいのです。」
弟子たちはこれを聞くと、たいへん驚いて言った。「それでは、だれが救われることができるでしょう。」
イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」

マタイの福音書 19章16~26節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 残念ながら、この金持ちは天国に入れませんでした。この事実について、あまりにも厳しすぎるのではないか、という人もいます。しかし、聖書は次の通り語っています。

そういうわけで、自分の財産すべてを捨てなければ、あなたがたはだれも、わたしの弟子になることはできません。

ルカの福音書 14章33節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 貧しい人は、元々持っていないので、自分の財産を捨てることが容易です。『わたしの弟子』とは「イエス様の弟子」、つまりクリスチャン皆のことを言っています。つまり貧しい人は、金持ちよりもイエス様に従っていくことが容易なのです。

 確かに、イエス様を信じることは私達にとって大きなことです。自分を捨てなければ本当にイエス様に従っていくことはできないからです。自分を捨てない者は、「この世で良い暮らしをしていたい」と思います。しかし「自分を捨てる」ことは、全世界を手に入れることよりももっと大切なことです。この点で、イエス様を信じることとは、本当にイエス様に従っていくかどうか、ふるいにかけられることと言えます。

 イエス様に従う者には、何が求められているのでしょうか。ザアカイの例を見ていきましょう。

それからイエスはエリコに入り、町の中を通っておられた。
するとそこに、ザアカイという名の人がいた。彼は取税人のかしらで、金持ちであった。
彼はイエスがどんな方かを見ようとしたが、背が低かったので、群衆のために見ることができなかった。
それで、先の方に走って行き、イエスを見ようとして、いちじく桑の木に登った。イエスがそこを通り過ぎようとしておられたからであった。
イエスはその場所に来ると、上を見上げて彼に言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。わたしは今日、あなたの家に泊まることにしているから。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。
人々はみな、これを見て、「あの人は罪人のところに行って客となった」と文句を言った。
しかし、ザアカイは立ち上がり、主に言った。「主よ、ご覧ください。私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。」
イエスは彼に言われた。「今日、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。
人の子は、失われた者を捜して救うために来たのです。

ルカの福音書 19章1~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ザアカイは、取税人のかしらで、金持ちでした。当時の取税人は、人々から非常に嫌われていました。なぜなら彼らは、当時ユダヤ人を支配していたローマの手先となり、民から税を取り立てていただけでなく、人々から必要以上に多くの税を取り立てて自分の肥やしとし、贅沢に暮らしていたからです。そしてザアカイはそのかしらでしたから、かなり金持ちであった上に、人々からも嫌われていたことがわかります。しかし、ザアカイはイエス様に、『私は財産の半分を貧しい人たちに施します。だれかから脅し取った物があれば、四倍にして返します。』と言いました。通常、このことを金持ちが決心することは難しいことです。このことから、ザアカイが本当に自分自身の罪を悔い改め、救われていたことがわかります。

 また、19世紀にイギリスで孤児院を経営したジョージ・ミュラーは、地上で貧しい人々に多く施した人物です。亡くなった後、その全財産が日本円でわずか2000円ほどだったため、人々は驚きました。なぜなら、彼が、1万人ほどの孤児たちを養っていたので、人々は彼を金持ちと思っていたからです。しかしジョージ・ミュラーは、神様に祈りながら必要が満たされ、それを自分が贅沢するためではなく、人々のために捧げ続けていたのです。

一人ひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は、喜んで与える人を愛してくださるのです。
神はあなたがたに、あらゆる恵みをあふれるばかりに与えることがおできになります。あなたがたが、いつもすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれるようになるためです。
「彼は貧しい人々に惜しみなく分け与えた。彼の義は永遠にとどまる」と書かれているようにです。
種蒔く人に種と食べるためのパンを与えてくださる方は、あなたがたの種を備え、増やし、あなたがたの義の実を増し加えてくださいます。
あなたがたは、あらゆる点で豊かになって、すべてを惜しみなく与えるようになり、それが私たちを通して神への感謝を生み出すのです。
なぜなら、この奉仕の務めは、聖徒たちの欠乏を満たすだけではなく、神に対する多くの感謝を通してますます豊かになるからです。

コリント人への手紙 第二 9章7~12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 気前よく施して、なお富む人があり、正当な支払いを惜しんで、かえって乏しくなる者がある。
おおらかな人は豊かにされ、他人を潤す人は自分も潤される。
穀物を売り惜しむ者を民は呪う。しかし、それを売る者の頭には祝福がある。

箴言 11章24~26節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私達が自分を喜ばせるためではなく、信仰を持ち、喜んで困っている人々に惜しみなく施し、捧げていくならば、神様はその必要を豊かに満たしてくださるお方です。そして私達が与えられたものを人々に施せば施すほど、神様はその上からさらに何倍にも増し加えてくださるお方です。聖書は、次のように私達に命じています。

わたしはあなたがたに言います。不正の富で、自分のために友をつくりなさい。そうすれば、富がなくなったとき、彼らがあなたがたを永遠の住まいに迎えてくれます。

ルカの福音書 16章9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 『不正の富』とは、この世(地上)での富という意味です。そして『』とは、天国にいく人のことを指しています。

しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です。
私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。
衣食があれば、それで満足すべきです。

テモテへの手紙 第一 6章6~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

  神様は、この地上での私達の必要を全て満たしてくださるお方です。しかし与えられたからと言って、私達はそれを死後の世界に持っていけるわけではありません。私達にとって何より幸いなことは、この地上の衣食だけで満足し、人々に気前よく施していくことによって、自分だけでなく他の人々とともに、永遠の命を得ていくことなのです。

前のページに戻る