人のなすべき課題①

2021年7月4日

さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」
女は蛇に言った。「私たちは園の木の実を食べてもよいのです。
しかし、園の中央にある木の実については、『あなたがたは、それを食べてはならない。それに触れてもいけない。あなたがたが死ぬといけないからだ』と神は仰せられました。」
すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。
それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。」
そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。
こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。
そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。
神である主は、人に呼びかけ、彼に言われた。「あなたはどこにいるのか。」
彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」
主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」
人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」
神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」
神である主は蛇に言われた。「おまえは、このようなことをしたので、どんな家畜よりも、どんな野の生き物よりものろわれる。おまえは腹這いで動き回り、一生、ちりを食べることになる。
わたしは敵意を、おまえと女の間に、おまえの子孫と女の子孫の間に置く。彼はおまえの頭を打ち、おまえは彼のかかとを打つ。」
女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
神である主は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。

創世記 3章1~24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今日は、人が生まれてからなすべき課題について見ていきたいと思います。すべてを網羅すると長くなるため、今週は私たちの問題について見ていき、次週はその解決について見ていきます。

 先にお読みした、聖書の始めの方の書である創世記には、元々の問題の本質が書かれています。まず、神様がすべてをつくられ、治めておられることを示すのが次の御言葉です。

はじめに神が天と地を創造された。

創世記 1章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 熱海の土石流では未だ行方不明者がいるそうですが、神様を知らない人は、このことについて「神も仏もいない」と言います。しかし、私たちの知るまことの神様は、わざわいも平和も創られる神様です。そして、実は地上で起こるわざわいはすべて、私たちが罪を犯した結果なのです。

 聖書には、獣によって多くのものが殺されるという預言が書かれています。コロナウイルスはコウモリが起源と言われており、コウモリも獣にあたりますから、聖書の預言のとおりになっていることがわかります。また、これまでの大きな地震も、神様が治めておられることの証拠です。

 創世記には、神様が人をつくられ、エデンの園に人を置かれたこと、そして人が神様に背いて罪を犯したことが書かれています。

神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」

創世記 1章26~28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで疑問を持たれた方もおられると思います。神様はお一人なのに、なぜここで、「われわれ」と言っているのだろう、と。それは、神様が三位一体の神様で、イエス様もこのときおられたから「われわれ」と言われているのです。また、ここで神様は人に「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。(・・・)すべての生き物を支配せよ」と言われています。神様は人がこの地を支配するようにと言われたのです。そしてこのとき、人は死なない存在でした。

神である主は東の方のエデンに園を設け、そこにご自分が形造った人を置かれた。
神である主は、その土地に、見るからに好ましく、食べるのに良いすべての木を、そして、園の中央にいのちの木を、また善悪の知識の木を生えさせた。

創世記 2章8~9節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 園の中央に生えていたいのちの木は、これを食べると人は死なない木でした。聖書の最後の方の書である黙示録には、このいのちの木が生えている、と書かれています。天国にはこの木が生えており、私たちは死にません。

 また、園の中央にはもう一つの木が生えていて、それは善悪の知識の木でした。この木に関して、神様は次のように人に命じられました。

神である主は人を連れて来て、エデンの園に置き、そこを耕させ、また守らせた。
神である主は人に命じられた。「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」

創世記 2章15~17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「あなたは園のどの木からでも思いのまま食べてよい」と神様が言われていますが、人はいのちの木からは食べてよかったのです。しかし、善悪の知識の木からは食べてはならない、と神様は言われました。しかし人は蛇に惑わされてしまいました。

 今の時代にあっても、サタンは人を誘惑します。それは昔も今も、文化や時代が違っても同じです。

さて蛇は、神である主が造られた野の生き物のうちで、ほかのどれよりも賢かった。蛇は女に言った。「園の木のどれからも食べてはならないと、神は本当に言われたのですか。」

創世記 3章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 蛇はエバを誘惑し、エバはそれに反論しました。すると蛇は次のように言いました。

すると、蛇は女に言った。「あなたがたは決して死にません。

創世記 3章4節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 蛇はエバの反論をこのように否定し、さらに次のように言いました。

それを食べるそのとき、目が開かれて、あなたがたが神のようになって善悪を知る者となることを、神は知っているのです。

創世記 3章5節

 ここで蛇は、「神のようになる」とエバを誘惑します。天使も高ぶってこのように思ったので、サタンも人が同じようになるようにもたらします。

 そこでエバは誘惑に負けて、木の実を取って食べてしまいました。

そこで、女が見ると、その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった。それで、女はその実を取って食べ、ともにいた夫にも与えたので、夫も食べた。

創世記 3章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「その木は食べるのに良さそうで、目に慕わしく、またその木は賢くしてくれそうで好ましかった」とあるとおり、このとき、罪は目の欲に訴えかけてきました。

 人が堕落する時は皆、必ず次のどれかに該当します。すなわち、反抗、高ぶって神のように自由にしたいと思うこと、金銭、不倫や名誉などの欲です。サタンは、御言葉に疑問を抱かせ、否定し、人を高ぶらせ、目の欲に訴えかけるのです。

 エバはそれに屈してしまいました。そして夫にも与えたので、二人は善悪の知識の木から食べました。その結果、善悪の知識を得てしまったのです。

こうして、ふたりの目は開かれ、自分たちが裸であることを知った。そこで彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちのために腰の覆いを作った。

創世記 3章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 多くの人は、善悪を知ったら良いのでは、と思います。しかしこのことは非常に大きな問題を招くものです。人は、神様が良しとされることをやっていて、幸せで良かったのです。しかし善悪の知識の木から食べると、善が歪んだものとなります。

 人は、自分にとって善であることと悪であることを判断するようになりました。それは良いように見えて、実は破壊と混乱をもたらすものです。聖書の士師記では、人は自分の目に良いことを行ったとあります。このことは、他の人の益とはならず、混乱の象徴となりました。

 人が善悪を判断すると、自分に都合の悪い人は悪で良い人は善となります。自分にとっての悪とは、たとえ正しいことを言われたとしても悪なのです。人は、自分のためにならないから、気に食わないから、欲しいからと言って盗み、不倫をし、殺します。

主は言われた。「あなたが裸であることを、だれがあなたに告げたのか。あなたは、食べてはならない、とわたしが命じた木から食べたのか。」

創世記 3章11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 善悪の知識の木から食べたエダムとエバに、神様がこのように語りかけた時、二人はただ単に「食べました」とは言いませんでした。そのようにしたら良かったのに、まず、アダムは次のように言います。

人は言った。「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。」

創世記 3章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「私のそばにいるようにとあなたが与えてくださったこの女が」とアダムは言いました。それは、この女のせいだ、そしてこの女をおいた神様、あなたが悪いのですよ、という意味です。

 人類でも、このような自分中心の利己的な言い訳がずっと続いています。私は悪くない、人のせいだ、神様のせいだ。このように、自分で判断して神様の前に言い訳して、自分を正当化しているのです。

神である主は女に言われた。「あなたは何ということをしたのか。」女は言った。「蛇が私を惑わしたのです。それで私は食べました。」

創世記 3章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イブも、自分は悪くない、蛇のせいだ、と言いました。

 そして罪の結果、どうなったでしょうか。

そよ風の吹くころ、彼らは、神である主が園を歩き回られる音を聞いた。それで人とその妻は、神である主の御顔を避けて、園の木の間に身を隠した。

創世記 3章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

彼は言った。「私は、あなたの足音を園の中で聞いたので、自分が裸であるのを恐れて、身を隠しています。」

創世記 3章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 罪の結果、人は神様から離れ、神様との親しい関係が破壊されました。

神である主はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」

創世記 3章22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 また、いのちの木は、人が永遠に生きることができるようにするため、神様は人からいのちの木を取られました。

神である主は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。

創世記 3章23~24節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 神様は、神様の命令に背いたので、人をエデンの園から追放しました。そして女には次のように言いました。

女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」

創世記 3章16節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 罪の結果、女性には産みの苦しみが入り、男性から支配されるようになりました。そして、神様は、アダムにも次のように言いました。

また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」

創世記 3章17~19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る」と神様が言われたとおり、罪の結果、人に労働の苦しみと死が入りました。

 以上の罪の問題は、世代から世代へと、受け継がれています。罪は、自分中心になり、神様に反抗し、自分が正しいことを判断するのだ、と言います。しかし、自分の思うように悪をなしていくのであれば、神様から離れることになります。そしてこれに中間はありません。

 自分の欲に、すなわち肉を喜ばすためにまけば、悪を刈り取ることになります。そして善に撒けば、善を刈り取ることになります。

 良いことをしているようであっても、自己中心な思いが潜んでいることがあります。例えば、アルコール中毒者の妻は「私がいないと夫はだめなのよ」と言うのですが、夫は妻から離れると治ることがあります。実はその妻には、困った人を甲斐甲斐しく面倒を見る良い人だ、と人から言われるところに生きる目的があり、夫に問題がなければ困るのです。これは共依存の問題でよく起こることです。

 このように、神様から離れると、人の心は悪い方へ、悪い方へと傾き、良いものは歪んでいきます。

幸いなことよ悪しき者のはかりごとに歩まず罪人の道に立たず嘲る者の座に着かない人。
主のおしえを喜びとし昼も夜もそのおしえを口ずさむ人。
その人は流れのほとりに植えられた木。時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える。
悪しき者はそうではない。まさしく風が吹き飛ばす籾殻だ。
それゆえ悪しき者はさばきに罪人は正しい者の集いに立ち得ない。
まことに正しい者の道は主が知っておられ悪しき者の道は滅び去る。

詩篇 1篇1~6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 良いことをなす人は、「流れのほとりに植えられた木」のように、「時が来ると実を結びその葉は枯れずそのなすことはすべて栄える」とあります。反対に神様に反抗して生きる人は、「悪しき者」であり、「風が吹き飛ばす籾殻」のように、しばらくいてもふっと消えていなくなる存在です。

怒ることをやめ憤りを捨てよ。腹を立てるな。それはただ悪への道だ。
悪を行う者は断ち切られ主を待ち望む者彼らが地を受け継ぐからだ。
もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない。
しかし柔和な人は地を受け継ぎ豊かな繁栄を自らの喜びとする。
悪しき者は正しい人に敵対して事を謀り彼に向かって歯をむき出す。
主は悪しき者を笑われる。彼の日が来るのをご覧になるから。
悪しき者は剣を抜き弓を引いた。苦しむ人貧しい人を打ち倒し行いの正しい人を切り殺すために。
彼らの剣は自分の胸を貫き彼らの弓はへし折られる。

詩篇 37篇8~15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 人は、結局思い通りにならないので怒ります。しかしそのような者は断ち切られる、とあります。そして、「もうしばらくで悪しき者はいなくなる。その居所を調べてもそこにはいない」とあるとおり、しばらく栄てもそれはいなくなります。

 また、人は、自分がしたように自分にもされます。聖書は、このことについて「思い違いをしてはいけない」「侮ってはいけない」と語っています。それなのに、自分だけはこの種蒔きと刈り取りの法則が免除されると人は思ってしまうのです。しかし神様から離れては、何もうまくいきません。

 そして、自分の思い通りに生きていくのなら、結局死後滅び、さばきを受けることになります。

そして、人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっているように、

ヘブル人への手紙 9章27節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

しかし、臆病な者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、淫らなことを行う者、魔術を行う者、偶像を拝む者、すべて偽りを言う者たちが受ける分は、火と硫黄の燃える池の中にある。これが第二の死である。

ヨハネの黙示録 21章8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。

ヨハネの黙示録 20章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 自分の判断で、自分の良いと思うことをやっていく人は、「昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける」ことになります。

 以上述べてきたように、私たちの解決すべき問題は次のとおりです。人は神様の似姿に創造されたのに、神様に背き、自分で善悪を判断するようになりました。自分の好きなように生き、人のせい、神様のせいにして、自分の目によくないことをする人を徹底的に攻撃し、殺し、悪口を言い、悪いことをしていても自分の都合に良いことを行う人と結託するようになりました。その結果、悪いことが自分の身に返り、滅びを招くことになりました。

 以上の問題には、解決策があります。それは、神様との親しい関係に入ることです。天国の描写が次の御言葉に書かれています。

御使いはまた、水晶のように輝く、いのちの水の川を私に見せた。川は神と子羊の御座から出て、
都の大通りの中央を流れていた。こちら側にも、あちら側にも、十二の実をならせるいのちの木があって、毎月一つの実を結んでいた。その木の葉は諸国の民を癒やした。
もはや、のろわれるものは何もない。神と子羊の御座が都の中にあり、神のしもべたちは神に仕え、
御顔を仰ぎ見る。また、彼らの額には神の御名が記されている。
もはや夜がない。神である主が彼らを照らされるので、ともしびの光も太陽の光もいらない。彼らは世々限りなく王として治める。
御使いは私に言った。「これらのことばは真実であり、信頼できます。」預言者たちに霊を授ける神である主は、御使いを遣わして、すぐに起こるべきことをしもべたちに示された。
「見よ、わたしはすぐに来る。この書の預言のことばを守る者は幸いである。」

ヨハネの黙示録 22章1~7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「都」とは天国のことで、ここにはいのちの木、すなわちエデンの園にあった木がありました。そしてその木は「諸国の民を癒やした」とあるように、神様との関係が回復されていったのです。

 私たちの先祖の問題として、生まれながらの罪の問題があります。罪とは、的外れな生き方をすることです。しかしそのような生き方をしても人間はなお「何が悪いの?」と言って自分を良い人と感じるものです。

 人は怒るとき、快楽ホルモンが実際に流れているそうです。アルコールやドラッグを行うときにも、同じ物質が流れています。罪はその時だけは、楽しく感じられます。人はその虜となり、奴隷となり、自分の良いと思うものに突き進んでいきます。しかし、結局は破滅につながります。

 これらの解決は、残念ながら人の側には見出せません。これまでに、人は、様々な努力をしてきました。しかし、いくら苦行や修行を重ねても、解決はありませんでした。

 なぜなら、神様との親しい関係だけが、解決を与えるものだからです。そしてその道を神様ご自身が開いてくださいました。次週はその解決について見ていきたいと思います。

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