忍耐が必要

2021年5月9日

ここに、聖徒たち、すなわち神の戒めを守り、イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要である。

ヨハネの黙示録 14章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 先週は、聖徒たちとはどのような者たちか、見ていきました。イエス様は、「主よ、主よ」と言う者たち皆が天の御国に入るのではない、と言われました。「主よ」とは、「私の主人よ」と言っているのと同じです。つまりその者たちは、イエス様に対する信仰は持っていました。しかし天国に入れなかった人たちは、人を許しませんでした、助けませんでした。

 イエス様に対する信仰において、大切なことは次の3つのことです。御言葉を守る、御言葉に従う、そして信仰を持ち続けていく、ということです。

 今日お読みした箇所では、「イエスに対する信仰を持ち続ける者たちの忍耐が必要」と語られています。イエス様に対する信仰に必要な忍耐を持ち続けるため助けとなる事柄について、今日は見ていきたいと思います。

あなたがたは、忍耐することによって自分のいのちを勝ち取りなさい。

ルカの福音書 21章19節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 最近の話ですが、新型コロナウイルスのインド変異株への、経路不明な市中感染が東京で確認されました。また、アメリカでは感染者数は減ってきていますが、変異株には警戒をしており、製薬会社もそれについて研究しているようです。そして、世界では、さらに強い変異株も出てきているとの話もあります。このように、感染の収束が見えない状況ですが、私たちには忍耐が必要です。

 これから起こるクリスチャン達への迫害についても、次のように書かれています。

捕らわれの身になるべき者は捕らわれ、剣で殺されるべき者は剣で殺される。ここに、聖徒たちの忍耐と信仰が必要である。

ヨハネの黙示録 13章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

それから、その獣の像に息を吹き込んで、獣の像がものを言うことさえできるようにし、また、その像を拝まない者たちをみな殺すようにした。

ヨハネの黙示録 13章15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

また、その刻印を持っている者以外は、だれも物を売り買いできないようにした。刻印とは、あの獣の名、またはその名が表す数字である。

ヨハネの黙示録 13章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「捕らわれの身になるべき者は捕らわれ、剣で殺されるべき者は剣で殺され」ます。また、反キリストが人々に拝むようにする獣の「像を拝まない者たち」はみな殺されます。神様は、神様以外の偶像を拝むことを禁止されていますから、クリスチャンたちはもちろんその像を拝むことはありません。また、反キリストにより世界が経済的に困窮した時には、右の手あるいは額に受けさせる獣の刻印を受けた者以外は「だれも物を売り買いできないように」なります。獣の刻印を受けた時に、その者に神様の怒りが降る、とありますから、クリスチャンたちはもちろん刻印を受けません。

 しかし、クリスチャンたちが迫害を受ける時に、私たちは次のことを覚えておきたいと思います。それは、「なぜクリスチャンたちはこんなに迫害されるのか?」「神様はサタンに負けたのか?」などと絶対に思わない、ということです。なぜなら、これらはすべて神様のゆるしの中で起きることだからです。現に、次のように聖書に書かれています。

獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許された。また、あらゆる部族、民族、言語、国民を支配する権威が与えられた。

ヨハネの黙示録 13章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

獣は、聖徒たちに戦いを挑んで打ち勝つことが許された」のです。つまり神様は、クリスチャンたちが負けることを許されるのです。

 「クリスチャンたちは、闇の勢力が強いので備えをしている。そして勝利するのだ」と言う人がいます。確かに、最終的には勝利をします。しかし、上の御言葉を読むと、反キリストに打ち負かされる時代が起こることが預言されています。このことは歴史の中の一部分で起こることであり、神様のゆるしの中で起こることです。クリスチャンたちが勝利するところだけ見ると、打ち負かされた時にガッカリしますので、私たちは注意が必要です。

 さらに、御言葉は次のようにも語っています。

それは、神のことばが成る時まで、神はみこころが実現するように王たちの心を動かし、彼らが一つ思いとなって、自分たちの支配権を獣に委ねるようにされたからです。

ヨハネの黙示録 17章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 力のある支配者たちが、反キリストと心を一つにして世界を支配するようになりますが、このことは神様の御心が実現するために起こる、と書かれています。私たちは、神様が全てを支配されていることを覚えることが必要です。

子羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てた証しのゆえに殺された者たちのたましいが、祭壇の下にいるのを見た。
彼らは大声で叫んだ。「聖なるまことの主よ。いつまでさばきを行わず、地に住む者たちに私たちの血の復讐をなさらないのですか。」
すると、彼ら一人ひとりに白い衣が与えられた。そして、彼らのしもべ仲間で、彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡された。

ヨハネの黙示録 6章9~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 上でお読みしたのは、クリスチャンたちが迫害を受け、神様に叫んだ時に、「彼らと同じように殺されようとしている兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように言い渡され」る箇所です。神様は、殉教した者たちを見ておられ、覚えておられます。どのようなことが現実に起こったとしても、全てをコントロールしておられるのは、主です。

 私たちは、あくまでも神様が全てを支配しておられることを覚えていく必要があります。神様は、御言葉、つまり御心がなるように全てを意図され、働いておられます。

彼らを惑わした悪魔は火と硫黄の池に投げ込まれた。そこには獣も偽預言者もいる。彼らは昼も夜も、世々限りなく苦しみを受ける。

ヨハネの黙示録 20章10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 獣は、一時期支配権を握りますが、最終的には地獄にいきます。そして「昼も夜も、世々限りなく苦しみを受け」ます。そして獣に従った者たちについても、次のように書かれています。

また、彼らの後にもう一人、第三の御使いがやって来て、大声で言った。「もしだれかが獣とその像を拝み、自分の額か手に刻印を受けるなら、
その者は、神の怒りの杯に混ぜ物なしに注がれた、神の憤りのぶどう酒を飲み、聖なる御使いたちと子羊の前で火と硫黄によって苦しめられる。
彼らの苦しみの煙は、世々限りなく立ち上る。獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者には、昼も夜も安らぎがない。」

ヨハネの黙示録 14章9~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 神様に反抗する者は、いっとき栄ますが、永遠に苦しみを受けることになります。究極的には、彼らは滅びることになるのです。反対に、聖徒たちについては次のように書かれています。

また私は、天からの声がこう言うのを聞いた。「書き記せ、『今から後、主にあって死ぬ死者は幸いである』と。」御霊も言われる。「しかり。その人たちは、その労苦から解き放たれて安らぐことができる。彼らの行いが、彼らとともについて行くからである。

ヨハネの黙示録 14章13節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「今から後」とは、これからずっと、という意味です。「その人たち」とは殉教者だけではなく、最後までイエス様に忠実に従う者たちのことを指しています。この者たちは、この地上で確かに労苦に遭うけれども、彼らの行いは永遠に覚えられます。「彼らの行いが、彼らとともについて行く」とある通りです。彼らの行いとは、彼らの愛の行いです。それは例えば、困っている人々に食べ物を分け与えたり、病気の時に見舞ったり、といった隣人に対する良い行いです。また、イエス様に対する信仰を持ち続けることもそうです。以上の聖徒たちについての御言葉は、その前に述べた神様に反抗する者たちについての御言葉と対比して語られています。「昼も夜も安らぎがない」ことと、「労苦から解き放たれて安らぐことができる」こととは対照的です。

 見よ、わたしはすぐに来る。それぞれの行いに応じて報いるために、わたしは報いを携えて来る。

ヨハネの黙示録 22章12節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 聖徒たちの行いは永遠に残ります。そして、彼らについてくる、とあります。それがたとえコップ一杯の水を与えることであっても、です。

 新型コロナウイルス、大地震などの自然災害、金融危機、キリスト者たちへの迫害など、私たちは大艱難時代への入り口に立っています。しかし全ては神様が支配されていて、そのゆるしの中で起こっていることです。そして究極的には悪者たちは滅びて、聖徒たちは反対に労苦から解き放たれます。そして彼らの良い行いは彼らについていきます。

このようにして、アブラハムは忍耐の末に約束のものを得たのです。

ヘブル人への手紙 6章15節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

あなたがたが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なのは、忍耐です。

ヘブル人への手紙 10章36節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 信仰の父であるアブラハムが、忍耐の末に約束のものを得たように、それにならう私たちも、忍耐し、耐え忍ぶことが必要です。

それだけではなく、苦難さえも喜んでいます。それは、苦難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと、私たちは知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

ローマ人への手紙 5章3~5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ここで語られている練られた品性は、苦難から得られた忍耐によってしか生み出せないものです。そして練られた品性は、希望を生み出すと約束されています。イエス様でさえも、苦難によって完全な者とされたのです。そうであるとすれば、尚更、私達も完全な者とされるために苦難に遭うことが必要なのです。

私たちの一時の軽い苦難は、それとは比べものにならないほど重い永遠の栄光を、私たちにもたらすのです。

コリント人への手紙 第二 4章17節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

重い永遠の栄光」は、「一時の軽い苦難」とは比べものになりません。天での栄光は永遠であり、重いものです。

 私たちは、世の終わりにあって、次から次へと苦難に苦しめられることになるでしょう。しかしこれらは、いっときであって軽いものです。しかも、永遠の栄光につながるものです。

 私たちには、大きな希望があります。それは苦難から解放され、この地上での行いに報いられる日が来るという希望です。忍耐によって、練られた品性が得られます。そして種類は違っても、信仰の先人たちも忍耐により約束のものを得ました。私たちは一時的な寄留者であり、天国が私達の国籍であることを覚えたいと思います。

 全てを支配しておられ、私たち一人ひとりの苦しみを見ておられる神様が、御心がなるようにあえてこのことをゆるされておられます。私達は、迫害者に負けることなく、しっかりと信仰を全うする者でありたいと思います。

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