怒りについて

2020年11月1日

わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。
昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。
まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。

マタイの福音書 5章20~26節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今日は怒りについて、見ていきたいと思いますが、まず、その前に、天国に入る者とそうでない者との違いについて、見ていきたいと思います。

 聖書を読むと、私たちが考える以上に、天国に至る道は狭いことがわかります。

いのちに至る門はなんと狭く、その道もなんと細いことでしょう。そして、それを見出す者はわずかです。

マタイの福音書 7章14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私たちは、「信じる者はみな救われる」という言葉をよく耳にします。しかし、聖書が語る「信じる者」とは、神様に聞き従う者です。なぜなら、以下の御言葉では、信じる者と聞き従わない者が対比して語られているからです。

御子を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。

ヨハネの福音書 3章36節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 私たちには、この地上ではいくらでもやり直すチャンスがあります。それは真実です。しかし、生き終えてからだと、いくら後悔しても遅いのです。

 イエス様は、天国に入るための条件として、以下の御言葉を語られました。

わたしはあなたがたに言います。あなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の御国に入れません。

マタイの福音書 5章20節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 律法学者やパリサイ人たちは、律法を厳格に守る人びとでした。しかし、彼らは表面的、形式的には律法を守っていましたが、その内面は、神様の御心にかないませんでした。

 イエス様がここで語られた律法学者やパリサイ人の義とは、表面的、形式的に神様の律法を守る義のことを指しています。その例として、彼らは、イエス様を十字架刑に処するために、ポンティオ・ピラトのもとに引き渡しました。彼らは、自分たちの手ではイエス様を殺さないようにしたのです。なぜなら、律法には、「殺してはらならない」と書かれてるからです。

昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。

マタイの福音書 5章21節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 イエス様は、このような形で律法を守る律法学者やパリサイ人たちの義よりも、私たちの義が勝っていなければ、決して天国に入れない、と言われました。そして、以下のように言われました。

しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。

マタイの福音書 5章22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 兄弟に対して怒る者は、人間によってではなく、神様の法廷でさばかれる、とイエス様は言われました。そして、兄弟に「ばか者」とか「愚か者」と言う者もさばかれるのだと、言われました。これらの言葉を兄弟に言う者は、怒っているからこのように侮辱するのです。

 殺人の三大要因の一位が恨みと言われています。その次に盗み、情欲と続きますが、一位の恨みが、一番大きな要因です。恨みの根っこには、怒りがあります。

 人は表面的なことしか見ませんが、神様は、その人の心を見られます。その神様によって、私たちは、さばかれることになります。だから、聖書は、次のように私たちに命じています。

無慈悲、憤り、怒り、怒号、ののしりなどを、一切の悪意とともに、すべて捨て去りなさい。
互いに親切にし、優しい心で赦し合いなさい。神も、キリストにおいてあなたがたを赦してくださったのです。

エペソ人への手紙 4章31~32節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 上の御言葉にあるように、怒りには、悪意があります。しかし、神様は、私たちに優しい心で赦し合いなさい、と言われています。私たちは、天国に入るためには、神様の語られることに耳を傾け、それを行わなければなりません。

 それでは、逆に、自分自身が兄弟に怒りを引き起こしたら、どうすれば良いのでしょうか。御言葉には、次のようにあります。

ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。
まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。

マタイの福音書 5章23~26節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「祭壇の上にささげ物を献げようとしているとき」とは、私たちが神様と和解しようとするときのことを指しています。そのようなときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、ささげ物を献げる前に、まず、兄弟と仲直りをする努力をしないといけない、ということです。そして、それは早くしなければならない、とも書かれています。ただし、会ってもらえないと言った状況や、逆恨みなどは例外です。

 今日は、怒りの問題について見てきました。このように、神様の基準はとても厳しいように思えます。しかし、人の表面ではなく、内面を見られる主に喜ばれるよう、私たちは、怒りを捨て去り、狭い門を通れるよう、努力していく者でありたいと思います。

前のページに戻る