イエス様と共に歩んだ日々(牧師の証・後編)

2022年7月10日

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 そして、一人で教会を始めることになりました。アメリカから帰ってきた時は、お金は2000円しかなくて、つくばに引越してアパートを借りるお金もありませんでした。そのことは誰にも言わなかったけれども、北海道と奈良の友達から、敷金・礼金や仲介料などアパート代を払うお金が送られてきて、お金も与えられてアパートを借りることができました。

 そしてこれから一人でどうやって伝道していこうか、と思った時に、アパートだけは借りることはできましたけど、カーテンを買うお金も食事を買うお金もなかったのです。それでチラシを見ていたら、薬剤師の求人がありました。当時は薬剤師がすごく不足していて、調剤薬局の面接を受けたらすぐに採用になりました。こうして薬剤師をしながらなんとか教会の働きができるようになりました。薬学部に行くことになったのは神様から見捨てられたから、と思っていましたけれども、そうではなく、私の将来には、薬剤師の免許が必要だから与えてくださったのだな、と思って感謝しました。

 でも、当時、私には本当にお金がなく、カーテン代や食事を買うお金もありませんでした。調剤薬局に就職は決まったのですが、1ヶ月先でないとお給料はもらえないので、「主よ今、生活するお金を与えてください」と祈りました。すると筑波大の大学院生で、国内留学で熊本から学びに来ていた人がいて、英語ができないので論文を読むのを助けてほしいという話が舞い込んできました。時給はしかも5000円で、2時間日払いで1万円払ってくれると言うので、私は喜んで引き受けて、何とかそこでカーテンを買って、食事代も払うことができるようになりました。そして、その人にイエス様の事を伝えたら、信じて洗礼を受ける第1号になったことも本当に大きな恵みでした。

 このように振り返る時、主はいつも助けてくださったことを覚えます。そして、私が英語の論文を指導することができたことも、また薬剤師の資格があったことも、本当に全部将来のためだったことに感謝しました。それからここで伝道、牧会して、教会が小さいながらもここまで来ることができたことは本当に感謝でした。

 そして、最近は、そんな劇的な主の助けというわけではないですが、本当に日々助けられているなと思うことはあります。例えば、今回、仕事を辞めるにあたって、5月初めに「もうこういう体になったので、後任を探してください」と言ったのに、なかなか見つからなかったのです。それで仕事を続けていたのですが、「もう体が限界だから6月で辞めたい」と思っていました。そんな時、6月20日に、後任の人が見つかったのです。そして、6月27日に引き継ぎをすることができました。本当はもう少し、早くやめたいなと思っていたのですが、国民健康保険に変えるのにつくば市役所に行った時、知らなかったのですが、普通、国民健康保険は1年切り替えで、「7月31日まで有効の国民健康保険しかあげられないけど、もう7月にも入ったし、来年7月までの分もあげます」と言われたのです。私にはここに家族もいないし、新しい保険証をもらえなければ、また受け取りにここにいないといけない、となっていたと思うと、本当に絶好のタイミングで主はやめさせてくださったな、と思って感謝しています。

 そして、これは先週もお話しましたけれども、私の事を本当に思って、ずっと夕食時に食事を運んでくる人がいてくれたおかげで、何とかサバイブできました。

 そして、明日入院することになりました。普通ならなかなか京都のホスピスには入院できないですし、しかも無料個室で、私の知り合いのケアマネージャーさんも、「なんでそんなところにすぐ入れるの」と言われるぐらい、特別にホスピスの無料の差額ベッドがいらない部屋に入れることになりました。どうしてそういうふうにできたのかと言うと、やはりそこには淀川キリスト教病院の院長先生の尽力がありました。淀川キリスト教病院の先生が院長を辞められた後、日本バプテスト病院の院長もされていて、その知り合いのドクターにも頼んでくださり、そこの無料の部屋を開けてもらって個室に入ることができたのです。

 振り返った時、「何で薬剤師?なんで薬剤師をやらないといけないんだろう」「なんで英語を勉強しないといけないんだろう」「淀川キリスト教病院で働かなきゃいけないんだろう」と思ったことが、全部益とされていったことを思います。神様は何一つ、私達の人生で無駄なことをされず、全てのことを益としてくださる。そのようなお方だと思います。

 そして、英語で聖書を学んだことについても同じように思います。どうして英語ができないのに英語で学ばないといけなかったのかと思う時、聖書の注解書とかを見ると、日本語で書いてあるものは本当に間違ったものも出たりとかしていて、全然英語で書いてあるものとレベルが違うので、「いや、これは英語で学べないと本当に大変だった」ということがわかりました。主がそのこともわきまえて、英語ができないのに、勉強させてくださったことも感謝です。

 英語ができるようになったこと、薬剤師の資格があったこと、また、淀川キリスト教病院で働いたことも、全部本当に主が益としてくださったことを思います。

 ですから、皆さんにもぜひ覚えていただきたいのは、ローマの8章28節にあります。

神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。

ローマ人への手紙 8章28節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たち」とは私達のことです。このように私達全てのために、「すべてのことがともに働いて益となる」のです。時には、「なんでこんな勉強しないといけないの」「なんでこんな環境におかれないといけないの」と思うことがあるかもしれません。しかし、すべてのことがともに働いて益となることを知っている、という御言葉が本当に真実であることを、私は、本当に今振り返って知ることができます。

 神様は私達のたどる一歩一歩を、全部益とされる、ということです。

 そして、最近思うのは、最後の最後まで主は私達に試練を与えられるけれども、主は共にいてくださり、私達を苦しめるだけでなく、訓練させてくださるという御言葉が真実であることを覚えます。申命記8章1節から10節をお読みします。

私が今日あなたに命じるすべての命令を、あなたがたは守り行わなければならない。そうすれば、あなたがたは生きて数を増やし、主があなたがたの父祖たちに誓われた地に入って、それを所有することができる。
あなたの神、主がこの四十年の間、荒野であなたを歩ませられたすべての道を覚えていなければならない。それは、あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。
それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。それは、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の御口から出るすべてのことばで生きるということを、あなたに分からせるためであった。
この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった。
あなたは、人がその子を訓練するように、あなたの神、主があなたを訓練されることを知らなければならない。
あなたの神、主の命令を守って主の道に歩み、主を恐れなさい。
あなたの神、主があなたを良い地に導き入れようとしておられるからである。そこは、谷間と山に湧き出る水の流れや、泉と深い淵のある地、
小麦、大麦、ぶどう、いちじく、ざくろのある地、オリーブ油と蜜のある地である。
そこは、あなたが不自由なくパンを食べ、何一つ足りないものがない地であり、そこの石は鉄で、その山々からは銅を掘り出すことのできる地である。
あなたが食べて満ち足りたとき、主がお与えくださった良い地について、あなたの神、主をほめたたえなければならない。

申命記 8章1~10節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 この旧約聖書の時代のカナンは、私達が目指す天国です。そして旧約聖書はこれから来るものの型と言われています。2節の後半には、確かに、主が苦しめられるとあります。「あなたを苦しめて、あなたを試し、あなたがその命令を守るかどうか、あなたの心のうちにあるものを知るためであった。それで主はあなたを苦しめ、飢えさせて、あなたも知らず、あなたの父祖たちも知らなかったマナを食べさせてくださった。

 本当に、「この苦しみだけでも十分じゃないのか」と思うほど、色々なことが教会の中でも起こりました。そこで主が私をしばらく苦しめられた時、きちんと主の命令を守れていない自分を示されて、いつも悔い改めに導かれました。このように、私のうちにある罪の性質に気づかされたわけです。最後の最後まで主は試練を与えられ、私達を苦しめられたりします。けれども、4節に、「この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった」とあります。

 確かにクリスチャンの人生、喜ばしいこともいっぱいありましたけど、涙もいっぱいあります。それでもそのような中で主は助けてくださり、「あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった」とあるとおり、主はいつも必要を満たしてくださるのです。

 前回もお話しましたけれども、後悔と言えば、あまりにも薬剤師の仕事に没頭して、主の働きを十分にできなかったことです。しかし主は、本当に私の思いを超えて願いを超えて、いつも施してくださるお方です。そして苦しい目にあっても、自分の罪の性質というものを、示してくださり、悔い改めに導いて、訓練してくださるお方だと、最近になっても思います。ですから私達は、本当にどういうところを通されても主に信頼し、主は全てを益としてくださり、全ての必要を満たしてくださるお方だということを覚えていきたいと思います。

 私も、「え、こんな中で助けが来るの」ということを経験してきました。東日本大震災の当日の午前中に解雇された時も、「どうして解雇されるんだろう」と思っていました。けれども午後には東日本大震災が起こり、電車通勤でしたから、当時全部電車はストップしていて長い期間通えなかったので、解雇されて、介護手当や失業保険がすぐもらえたりとか、本当に絶好のタイミングで主は助けてくださいました。

 そして、教会の借金を返すお金がない時、もう色々、水道の配管も壊れて、ローンを返すお金がなかったのです。それで私はその時解雇されて、京都にいました。そこで常陽銀行から電話がかかってきて、私は、「申し訳ありません。今回は払えません」と言ってお詫びしたこともありました。そうしたらその人が、「何を謝っているんですか。あなたに昨日、フィンランドから80万円の入金があって、それで投資信託を買わないかというオススメの電話だったんですよ」と言われたこともありました。

 このように誰かにお金がないと言わなくても、いつも主は必要なお金を与えてくださいました。本当に不思議なんですけれども、この

教会が、ローンを延滞することは一回もなかったことも、主の助けだったと思います。確かに主は私達を苦しめて、本当に主の命令を守るかどうか、いつも試されたりしますけれども、「この四十年の間、あなたの衣服はすり切れず、あなたの足は腫れなかった」とあるように、主はいつもいつも必要な助けを与えてくださる方だということを経験しました。

 ですから、皆さんにも色々なことが人生で起こると思いますけれども、私達をただ苦しめることが目的ではなく、主はいつも必要な助けを与えてくださいますから、主に信頼して歩むことが大切です。そして主は、良い地に私達を導き入れようとされています。すなわち、私達を天国に導き入れようとされているということを、皆さんにはぜひ、心に覚えていただきたいと思います。

 そして、私が今ちょっと後悔していることと言えば、第一コリント15章にかかれています。

ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。

コリント人への手紙 第一 15章58節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 いつも主のわざに励むということが大切だったと、私は後悔しています。あまりにも薬剤師の仕事に時間を取られて、主を第一にして主のわざに励むことが、なかなかできなかったと後悔しています。本当に皆さんにお分かちしたいのは、本当に大切なものは何なのかということに焦点を当てて、主につかえていくことが一番大切だということです。そしていつも主のわざに励むことが大切だということです。

 私は、実はもう余命的には今月から10月ぐらいまでと言われているので、ホスピスに入ろうと思います。でももちろん主は、奇跡を起こして癒してくださることもできます。また、天国に行くということも、両方どちらも受け入れているわけです。けれども、やっぱりここで天国に行くんだったら、もっともっと主につかえていけばよかったという後悔だけが残るので、ぜひ皆さんには、本当にいつも主のわざに励んで生き、天国に宝を積んで欲しいな、と思っています。

 結局、何が残るのか。安倍さんが襲撃されて亡くなり、日本中がショックを受けました。そして、彼の功績が讃えられ、世界中のリーダーから賞賛の嵐で、Twitterとか、色々な連絡が入っています。けれども、この世では賞賛されても、じゃあ阿部さんの魂はどこに行くのかと考えた時に、「人は全世界を手に入れても、まことの命を損じたら何の得になるのか」という御言葉が、まず来ました。

 私達にとって、この世で評価されることが大切ではなく、本当に、その後、永遠をどこで過ごすかが大切です。なので、ぜひ、皆さん、イエス様以外に救いはなく、イエス様の十字架によってのみ私達の罪は赦されますから、イエス様を救い主、また自分の主として受け入れて、イエス様に聞き従い、いつも主のわざに励み、天国に宝を積んでいってください。そのことがとても大切です。

 そして、時には色々わからないところを通されても、主は全てのことを益としてくださって、全ての必要を満たされる方だということを、皆さんにぜひ覚えていただきたいと思います。

 それで最後になりますけど、主は癒すこともできるお方ですし、また、天国に連れて行くこともできますから、それも一つの選択肢かなと思って、両方とも受け入れているわけなんですけど、本当にこれから大変な時代が来ます。サル痘も欧米で出ていますけれども、ビル・ゲイツさんは、これは人工ウイルスだ、と言っているわけです。そして、コロナと同じように変異していって、来年の1月には130万人が、来年末には数億人が世界で亡くなると、ビル・ゲイツさんが言っています。コロナの時も、前もってビル・ゲイツさんが言ってそういうふうになったわけですけれども、本当に、大変な終わりの時代に入っています。ヨハネの黙示録の6章7節と8節をお読みします。

子羊が第四の封印を解いたとき、私は、第四の生き物の声が「来なさい」と言うのを聞いた。
私は見た。すると見よ、青ざめた馬がいた。これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた。

ヨハネの黙示録 6章7~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 まさしくこれが、今の時代に起こっていることです。子羊なるイエス様が第四の封印を解いたとき、青ざめた馬がいて、「これに乗っている者の名は「死」で、よみがそれに従っていた。彼らに、地上の四分の一を支配して、剣と飢饉と死病と地の獣によって殺す権威が与えられた」とあります。「地の獣」でなんで殺されるのか、と思いましたけれども、コロナにしてもコウモリから、サル痘にしても動物性の由来ですから、まさしく今はこういう時代で、地上の四分の一が亡くなる、ということです。

 今ロシアがウクライナに侵攻していて、多くの人が命を落としていますけれども、こういう大変な時代になるので、ぜひ、皆さん、しっかりとイエス様に対する信仰を持ってほしいと思います。私自身はもちろん、癒されて、もう一度皆さんにつかえられることを一番に願っていますけれども、でも、「天国に帰ってらっしゃい」と言われるんだったら、それも受け入れないといけないと思っています。

 ぜひ皆さん、これから大変な時代は来るけれども、しっかりとイエス様に頼るならばイエス様は守ってくださいます。そして、思いを超えて願いを超えて、色々な方法で助けてくださるので、私もそのことを皆さんにお伝えしたくてお証しをさせて頂きました。私達がまだ本当に地上にいて、生が必要な時には、主は色々な奇跡を起こして、助けてくださるので、どうか本当にイエス様に信頼して、歩んでいただきたいと思います。

 結局、何が最後に残るのかと言ったら、神様、イエス様に対する信仰です。どんなにこの世で成功しても、安倍さんの魂はどこに行ったのでしょうか。そのことを皆さんに覚えていただきたいと思います。

 別に華やかに生きる必要はなくても、地道に置かれたところで、いつも主のわざに励んで、生きていっていただきたいです。そして、「主を愛するものを主は守られる」とあるので、本当に主を愛する、そういう歩みをしていただきたいと思います。

 主は、私達の信頼を裏切るようなお方ではありません。「主に信頼する者は決して失望させられることはない」と言われていますから、主に信頼して、歩んでいっていただきたいというのが、私の心からの願いです。

 ちょっと長くなってしまいましたけれども、これで礼拝を終わります。私達の罪を赦すことができるのは、イエス様の十字架の血潮以外にないですから、ぜひ、イエス様を救い主、主として受け入れて、イエス様に従い、そして、これから来る大変な時代の中にあっても、イエス様の助けを日々いただいて、ぜひ天国に皆さんに行っていただきたいと思います。

 本当に人生何が起こるかわからない、そのような時代に今突入していますから、イエス様をぜひ信じてほしいというのが私の願いです。「主に信頼するものは失望させられることはない」とはっきりと聖書に書いてあるので、主にだけ信頼して、この世の人生を歩んで、天国に行ってほしいというのが私の心からの願いです。

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