最後の備えについてダビデから学ぶこと

2021年10月31日

ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。そのため衣をいくら着せても温まらなかった。
家来たちは王に言った。「王のために一人の若い処女を探し、御前に仕えて世話をするようにし、王の懐に寝させて王が温まるようにいたしましょう。」
こうして彼らは、イスラエルの国中に美しい娘を探し求め、シュネム人の女アビシャグを見つけて、王のもとに連れて来た。
この娘は非常に美しかった。彼女は王の世話をするようになり、彼に仕えたが、王は彼女を知ることがなかった。
ときに、ハギテの子アドニヤは、「私が王になる」と言って野心を抱き、戦車、騎兵、それに自分の前に走る者五十人を手に入れた。
彼の父は、「おまえは、どうしてこんなことをしたのか」と言って、彼のことで心を痛めたことは一度もなかった。そのうえ、彼は非常に体格も良く、アブサロムの次に生まれた子であった。
彼がツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルに相談をしたので、彼らはアドニヤを支持するようになった。
しかし、祭司ツァドクとエホヤダの子ベナヤと預言者ナタン、それにシムイとレイ、およびダビデの勇士たちは、アドニヤにくみしなかった。

列王記 第一 1章1~8節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 今日は、その晩年、死期の迫っているダビデについての箇所から、私たちがなすべき最後の備えについて、見ていきたいと思います。

 人は、誰しも自分の不都合な姿を考えたくないものです。ましてや自分の死については考えたくはありません。しかし、死は誰もが通される人間の常です。人は、生を受けた以上は必ず、栄え、盛んになる時をとおして、最後に死を迎えます。そして、これは人のたどる運命です。

 教会の話になりますが、この時期は教会の駐車場に伸びる草は生えてきません。実際、4月くらいになると、刈っても刈っても、すぐに伸びてきてしまうので、どうしようと思いながら、少しずつでも取ったりしています。そして、8月を過ぎると伸びる力が弱ってきてホッとするものです。さらに、今の時期のように寒くなってくると、枯れて良かったと思います。このように、神様が創られた生物をとおしても、生まれてから、盛んなときをとおして力がなくなり死を迎えるという、人がたどる道について示唆を与えてくれます。

 私たちは、いずれ老いて弱くなり、亡くなるものです。そして、これは決して避けられないことです。このため、私たちは十分に備えていく必要があります。

 「いや〜、自分はまだ若いからそんな・・・」という声がここで聞こえてきそうですが、若い時だからこそ、備えていかなければなりません。そして、このことについて、ダビデから見ていきたいと思います。

 私たち聖書をある程度知っている人びとは皆、若い日のダビデが印象に残っています。巨人のゴリアテを石ころ一つで破ったあのダビデ、ペリシテ人やアマレク人をことごとく打ち破った、あの盛んな時のダビデです。しかし、今日お読みした箇所では、老い、弱ったダビデを見ることができます。

ダビデ王は年を重ねて老人になっていた。そのため衣をいくら着せても温まらなかった。

列王記 第一 1章1節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ダビデは、「衣をいくら着せても温まらなかった」とあります。このことから、彼が死を迎える直前だったことが読み取れます。実際、私の知っている人も、亡くなる1年くらい前に、いくら夏の汗ばむような季節であっても「寒い寒い」と言っていたのを思い出します。

 また、ダビデは世話を受けないといけない状況にありました。

家来たちは王に言った。「王のために一人の若い処女を探し、御前に仕えて世話をするようにし、王の懐に寝させて王が温まるようにいたしましょう。」
こうして彼らは、イスラエルの国中に美しい娘を探し求め、シュネム人の女アビシャグを見つけて、王のもとに連れて来た。

列王記 第一 1章2~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 そしてダビデは、ベッドから離れられないような状況にありました。次の箇所を読むと、「王は寝台の上でひれ伏された」とあります。

そのうえ、王の家来たちが来て、『神がソロモンの名をあなたの名よりもすぐれたものとし、その王座をあなたの王座よりも大いなるものとされますように』と、われらの君、ダビデ王に祝福のことばを述べました。すると、王は寝台の上でひれ伏されました。

列王記 第一 1章47節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 アダムとイブの罪をとおして、死が入ってきたために、人間として、誰しも老いと死は避けられません。確かに私たちは、天では新しくされますが、地上においてはこれらは避けることができません。小石で巨人を倒し、千人でも万人でも打ち破った若い日のダビデでも、老いがきたのと同じようにです。私たちは、しっかりと、このことを覚えていきたいと思います。

 このことから、老年になり、死を迎えるにあたり、私たちが備えるべきことを見ていきたいと思います。

 老後の備え、とは日本でもよく言われます。特に、お金が老後の備えで必要とはよく言われるものです。年金では足りないから、老後に2千万円貯める必要があるという話もあるくらいです。しかし、この世界の情勢を見ると、お金があるからと言って、安心できるわけではありません。日本の物価は、着実に上がってきています。ガソリン代がその良い例です。また、失われた30年と言われるように、日本では長くデフレが続いていましたが、その日本でさえも、悪いインフレが起こりつつあります。それは一時的なものだ、と気休めを言う人もいますが、そうではない、と言う人もいて、私もそうではないと思います。

 もうすでに定年退職を迎えた人であれば、2千万円あれば乗り越えられたかもしれません。しかし、2千万円でも少しの価値しかない日が来るのは目に見えています。実際、日本円がなくなるのでは、という話も耳にします。確かに、デイビッド・ウィルカーソン先生は、『幻』という本の中で、世の終わりには世界統一通貨が出てくる、と預言しています。また、世の中では金を買いなさいという声も聞かれますが、デイビッド・ウィルカーソン先生は、金は暴落して価値がなくなるとも預言しています。よって、お金や金はあてになりません。あてになるのは、主の守りと祝福だけです。このことを覚えていく必要があります。2千万円あるから大丈夫だとは決して言えないのです。

人を富ませるのは主の祝福。人の苦労は何も増し加えない。

箴言 10章22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 必死で苦労して苦労して2千万円貯めたとしても、何の安泰でもありません。主の祝福だけが充実した人生を与え、人を富ませることができます。

 ダビデも、それまでに色々なことがありましたが、主への信仰を守りとおしました。それゆえに主の祝福があり、天国に行くことができました。40年にもわたる王の期間の中で告白したことから見ても、ダビデが信仰を守りとおしたことが見て取れます。

王は誓って言った。「主は生きておられる。主は私のたましいをあらゆる苦難から贖い出してくださった。

列王記 第一 1章29節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 また、その死が近づいた時、自分の一番大切なことをその息子、ソロモンに残したことをとおしても、ダビデに信仰があったことを知ることができます。

ダビデの死ぬ日が近づいたとき、彼は息子のソロモンに次のように命じた。
「私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくありなさい。
あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。

列王記 第一 2章1~3節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ダビデが「主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい」という言葉を、ソロモンに残したことからも、自分が守られ栄えることができたのはただ主の祝福だけで、それだけが自分を助けてくれた、というダビデの思いを見てとることができます。

こうして、ダビデは先祖とともに眠りにつき、ダビデの町に葬られた。
ダビデがイスラエルの王であった期間は四十年であった。ヘブロンで七年治め、エルサレムで三十三年治めた。

列王記 第一 2章10~11節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ダビデは、40年間イスラエルの王として主に仕え、その王国を確立して、息子に渡し、自分の町に葬られました。ダビデには神様への深い信頼、信仰があったので、神様はダビデを守られ、祝福されたのです。

 ダビデは、決して自分の力でやった、とは思いませんでした。主の道を守ったから、神様に聞き従ったから、それゆえに神様が祝福してくださった、と告白しています。

 主の祝福だけが地上において唯一の拠り所です。自分の力やお金はあてになりません。老いと死に対しての大切な備えは、主に聞き従い、どこに行っても主の教えから離れないことです。そのことによって主の御手があり守られます。これが第一に私たちが覚えるべきことです。

 第二に私たちが覚えるべきことは、刈り取りは必ずあるので、あらゆる悪は避けなければならない、ということです。ダビデは、ウリヤの妻、バテ・シェバと姦淫の罪を犯し、その罪を覆い隠すためにウリヤを戦いの最前線に送ることによって間接的に殺す、という大きな罪を犯しました。確かに、ダビデがその罪を悔い改めた時に、神様は赦してくださいました。このように私たちが悔い改めるなら、赦しはあります。しかし、必ず、蒔いたものの刈り取りはあります。

思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、刈り取りもすることになります。

ガラテヤ人への手紙 6章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 必ず、私たちが蒔いた種は実が出てきて私たちは刈り取ることになる、というのが神様の法則です。蒔いたものについて、神様は赦してくださいますが、必ず刈り取りはあります。

 ダビデの唯一の汚点は、王としての権力を手に入れた時に、先述した大きな罪を犯したことです。そして、ナタンという預言者がダビデに、その罪を指摘した時に、次のような刈り取りがある、と宣告しました。

ナタンはダビデに言った。「あなたがその男です。イスラエルの神、主はこう言われます。『わたしはあなたに油を注いで、イスラエルの王とした。また、わたしはサウルの手からあなたを救い出した。
さらに、あなたの主君の家を与え、あなたの主君の妻たちをあなたの懐に渡し、イスラエルとユダの家も与えた。それでも少ないというのなら、あなたにもっと多くのものを増し加えたであろう。
どうして、あなたは主のことばを蔑み、わたしの目に悪であることを行ったのか。あなたはヒッタイト人ウリヤを剣で殺し、彼の妻を奪って自分の妻にした。あなたが彼をアンモン人の剣で殺したのだ。
今や剣は、とこしえまでもあなたの家から離れない。あなたがわたしを蔑み、ヒッタイト人ウリヤの妻を奪い取り、自分の妻にしたからだ。』
主はこう言われる。『見よ、わたしはあなたの家の中から、あなたの上にわざわいを引き起こす。あなたの妻たちをあなたの目の前で奪い取り、あなたの隣人に与える。彼は、白昼公然と、あなたの妻たちと寝るようになる。
あなたは隠れてそれをしたが、わたしはイスラエル全体の前で、白日のもとで、このことを行う。』」
ダビデはナタンに言った。「私は主の前に罪ある者です。」ナタンはダビデに言った。「主も、あなたの罪を取り去ってくださった。あなたは死なない。
しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる息子は必ず死ぬ。」

サムエル記 第二 12章7~14節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ダビデの刈り取りは、「剣は、とこしえまでも〜(その)家から離れない」ということと、ダビデの妻たちがその目の前で奪い取られ、「彼は、白昼公然と〜(その)妻たちと寝るようになる」ということでした。この時、ダビデは、「私は主の前に罪ある者です」と言ってすぐに悔い改めて、告白しました。もし、ダビデがその罪を認めなければ、その命はすぐに取られていたことでしょう。ダビデが悔い改めた時に、その罪が赦され、取り去られたのです。しかし、それでもナタンは、ダビデに「あなたに生まれる息子は必ず死ぬ」と宣告しました。

 もし、私たちが自分の罪を悔い改めるなら、主は赦してくださり、天国に入れてくださいます。しかし、蒔いてしまった種についての刈り取りはあるということが、このダビデの出来事から、わかります。そしてナタンが宣告したとおりに、ダビデの身に起こりました。

 その息子、アブサロムは、自分が冷遇されたことに怒り、自分が王になろうとして、ダビデに反逆するようになりました。そして、最終的には、アブサロムに次のようなことが起こります。

王はクシュ人に言った。「若者アブサロムは無事か。」クシュ人は言った。「王様の敵、あなた様に立ち向かって害を加えようとする者はみな、あの若者のようになりますように。」
王は身を震わせ、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブサロム。わが子、わが子アブサロムよ。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブサロム。わが子よ、わが子よ。」

サムエル記 第二 18章32~33節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 この出来事は、ヒッタイト人ウリヤを殺した刈り取りでした。そしてこれだけではなく、神様がダビデに言われたように、「剣は、とこしえまでも〜(その)家から離れない」ということが実現したのです。

ときに、ハギテの子アドニヤは、「私が王になる」と言って野心を抱き、戦車、騎兵、それに自分の前に走る者五十人を手に入れた。

列王記 第一 1章5節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ハギテの子、とあるのは、ダビデとハギテの子、という意味です。つまり、アドニヤは、(アブサロムの次に生まれた)ダビデの息子でした。アドニヤも、「「私が王になる」と言って野心を」抱いた、とあります。そしてツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルもアドニヤを支持するようになった、とあります。

彼がツェルヤの子ヨアブと祭司エブヤタルに相談をしたので、彼らはアドニヤを支持するようになった。

列王記 第一 1章7節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 しかし、結局アドニヤも、ダビデの息子、ソロモン王によって、アドニヤの反乱の時に殺されることになりました。

主は生きておられる。主は私を父ダビデの王座に就かせて、私を堅く立て、約束どおり私のために家を建ててくださった。アドニヤは今日殺されなければならない。」
こうしてソロモン王は、エホヤダの子ベナヤを遣わしてアドニヤを討ち取らせたので、彼は死んだ。

列王記 第一 2章24~25節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ソロモン王は、母は違うけれども自分のお兄さんであるアドニヤを殺しました。

 私たちは、罪を犯した時に、その罪を告白して悔い改めることが大切です。そうすれば主は赦してくださり、私たちは滅ぼされることなく天国に行くことができます。しかし、刈り取りは必ず起こることに、十分に注意しなければなりません。それは自分に返ってくるものです。アブサロムや、アドニヤの出来事をとおしても、ダビデの罪が彼にずっとついてまわったことがわかります。このため、御言葉は次のように警告しています。

あらゆる形の悪から離れなさい。

テサロニケ人への手紙 第一 5章22節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 実際の植物に関しても、私たちが蒔く種がたとえ小さくても、その実はたくさん生えてくるものです。これと同じように、それが良いものであっても、悪いものであっても、自分が蒔いた以上のものを刈り取ることになります。このため、私は、ダビデから学んでほしいと思います。20代の人にも、是非、学んでほしいです。自分のしたことは一生ついてまわります。

 三番目に、ダビデから学ぶことは、彼が神様の前にも、人の前にも、謙遜だった、ということです。

神は、さらに豊かな恵みを与えてくださる」と。それで、こう言われています。「神は高ぶる者には敵対し、へりくだった者には恵みを与える。」

ヤコブの手紙 4章6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ダビデは、アドニヤが王になろうとしていたことを知り、混乱は起こしたくないと思って、生前に退位して、神様が王として選んだソロモン王にその王位を譲りました。人は、権力を持つと生きている間はそれを持ちたいと思うものです。しかしダビデは違いました。

それからダビデ王は「祭司ツァドクと預言者ナタン、それにエホヤダの子ベナヤをここに呼べ」と言った。彼らが王の前に来ると、
王は彼らに言った。「おまえたちの主君の家来たちを連れて、私の子ソロモンを私の雌ろばに乗せ、彼を連れてギホンへ下れ。
祭司ツァドクと預言者ナタンは、そこで彼に油を注いでイスラエルの王とせよ。そうして、角笛を吹き鳴らし、『ソロモン王、万歳』と叫べ。
それから彼の後に従って上れ。彼は来て、私の王座に就き、私に代わって王となる。私は彼をイスラエルとユダの君主に任命する。」

列王記 第一 1章32~35節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 ダビデは、王として自分の王位に固守するのではなく、「彼は来て、私の王座に就き、私に代わって王となる」と宣言しました。その上、家来たちが来てダビデに次のように述べた時でさえも、ダビデは謙遜でした。

そのうえ、王の家来たちが来て、『神がソロモンの名をあなたの名よりもすぐれたものとし、その王座をあなたの王座よりも大いなるものとされますように』と、われらの君、ダビデ王に祝福のことばを述べました。すると、王は寝台の上でひれ伏されました。
また、王はこう言われました。『イスラエルの神、主がほめたたえられるように。主は今日、私の王座に就く者を与え、私がこの目で見るようにしてくださった。』」

列王記 第一 1章47~48節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会

 「すると、王は寝台の上でひれ伏されました」とあります。もし、それがへりくだらない人で、自分の権力や権威に固守する人であればムカッとするでしょう。しかし、ダビデは、謙遜な人だったので、自分の息子が自分よりも高くされることを受け入れ、神様のされることを喜びました。

 また、ダビデは、家来たちが連れてきたアビシャブに、自分の世話をさせました。このことは、謙遜でなければなかなかできないことです。ダビデは、このように、神様の前にも人の前にも謙遜でした。人は、誰しも人の支えがなければ生きていくことはできません。そして、ダビデは、そのことを知って、謙遜に受けいれていました。

 今日は、ダビデをとおして、老後の備えとなる三つのことについて学びました。主の祝福だけが人を富ませ、人の労苦はそれに加えることはありません。私たちが主に従い、御心を行うなら、このような不安定な時代にあっても、必ず主の御手があり、主は守り助けてくださいます。また、良いことであっても悪いことであっても、必ず刈り取りはあることを覚えて、あらゆる形の悪を避け、善を行うものでありたいと思います。そして、最後に、ダビデは謙遜でした。主は、高ぶるものを退け、へり下るものに恵みをお授けになる、とあるため、どのような時も、謙遜なものでありたいと思います。

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